受付は終了させていただきました |
本シアターは,CPDプログラム(2単位)です。会員証でCPDポイントの自動登録が可能ですのでご参加の際にご持参ください。
今回のイブニングシアターは「歴史的橋梁特集」と題して3作品をお贈りします。
昨年土木学会で発見され2013年2月に東京都に複製を贈呈した、一般には初公開の「勝鬨橋」建設時の記録(土木学会土木文化映画委員会1939~40年製作・未完成)、100年もの間日本海の激しい風雪に耐え2010年に新橋架け替えとなって一部が保存された「余部鉄橋の記憶」、明治の木橋から昭和の鉄筋コンクリートアーチ橋へと時を越えて愛され、1964年新潟地震にも耐えて今なお現役の「名橋、万代橋」の歴史的映像3作品です。
会場はいつもの四谷・土木学会講堂ではなく、後楽園の文京シビック小ホール(325席・階段状ホール)となります。
お間違えのないようご注意の上、多数ご参加ください。
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制作 2007年 概要 この作品はおよそ100年もの間日本海の厳しい風雪に耐え,多くの人たちに支えられてきた鉄橋の歴史を主軸に,そこに展開された人間ドラマや四季折々の美しい映像を織り交ぜながら,余部鉄橋の有終の美を貴重な土木遺産として記録・表現した作品です。明治後期から大正にかけて行われたルート選定や基礎・橋脚の建設,またその後の錆との絶え間ない闘いとそれを支える橋守の存在,地元の悲願であった餘部駅誕生の経緯などを,当時の設計技師のプロフィールや現場のエピソード,工事記録写真や図面・報告書,新聞記事などで再現するとともに,新駅誕生のニュース映画など地元の方々の当時の映像も取り込んで,ていねいに表現しており,一見淡々とした描写の中に歴史の重みとそれに関わった人々の思いが伝わってきます。 |
制作 1990年 概要 この作品は,日本の大河,信濃川河口に開けた町,新潟町と沼垂町を結ぶ架橋建設の請願から物語が始まります。明治19年住民悲願の橋(木橋)が竣工されました。時代が激動の昭和へ入ってからは,近代技術も進み鉄筋コンクリートが材料として選択できるようになり,また信濃川が中流部で大河津分水によって流量が調整されるようになったため,川幅が狭くなり橋長を短くすることができました。そしてなにより橋脚基礎工に関東大震災の復興橋梁に導入されたケーソン工法が取り入れられ,安定した地盤まで橋脚がとどいたことで,重量構造物が建設可能となりました。建設にあたっては,設計上もっとも美観を考慮し,施工にあたっては,コンクリート型枠は一枚一枚手カンナをかけたといいます。世界恐慌の昭和4年によくぞこれ程の素晴らしい橋が施工できたものと感心せざるを得ません。 |
制作 1939(昭和14)年~1940(昭和15)年 概要 当映像は勝鬨橋建設時の跳開シーンなどを記録した貴重映像で,昨年土木図書館から発見され,土木技術映像委員会で調査したところ文献記録等から,昭和14年から15年にかけて土木学会土木文化映画委員会*が製作したと推定されました。 5分36秒のモノクロ無声映画で,タイトルなどが入っていないことから,完成版の手前の編集用の撮影映像と思われますが,「勝鬨変電所」の看板の映像からスタートして機械室の中で操作盤に向かい実際に操作する職員の様子や,勝鬨橋が徐々に開いていき,大型船舶が通航するシーンなどが克明に映し出されています。そして,勝鬨橋は昭和15年に開通した「シカゴ型双葉跳開橋」で,「海運と陸運の共栄」を目指し,また,開戦で中止となった東京オリンピックと万博のための東京の海の玄関として建造された世界に誇る可動橋です。(写真:東京都建設局所蔵) *土木文化映画委員会(1936~1941):1936(昭和11)年に土木学会の常置委員会として発足。金森誠之初代委員長、青木楠男第2代委員長を中心に、土木技術の記録・広報活動のために土木映画の製作を行い、勝鬨橋をはじめ、三国国道工事記録、秋田男鹿地震調査記録などの映像を残している。(当土木技術映像委員会の前身) |