一度絶滅したコウノトリの野生復帰を目指し、放鳥後の「コウノトリも住める環境づくりとは何か?」を考え抜くことで、住民にとっても良い環境づくりと、環境と経済が両立し得る地域活性を実現。
兵庫県豊岡市の市街地部は、こう配が緩やかな円山川に沿った盆地であり、かつては湿地帯が広がっていました。湿地は、カエル、ナマズ、ドジョウやフナといった沼地にすむ多様な生物にとって理想的な生態系が保全されており、食物連鎖の頂点に君臨するコウノトリにとって格好の棲みかでした。しかし、明治以降、コウノトリは乱獲され、また、農薬の使用等により餌が少なくなったことで、1971年、野生のコウノトリは日本の空から消えました。
それから30年以上の歳月が流れた2005年9月24日、長年にわたる人工飼育の努力が実を結び、5羽のコウノトリが空に放たれたのです。
今回は、一度絶滅したコウノトリの野生復帰を目指し、放鳥後も「コウノトリも住める環境づくり」に取組み、環境と経済が両立した地域活性の中心的役割を担ってきた中貝宗治豊岡市長をご紹介します。
コウノトリの人工飼育・繁殖の事業は1965年に始まりました。当時は専門家もおらず、相次ぐ個体の死亡や孵化しない卵等、厳しい状況が続きました。しかし産まれてくる卵に希望をつなぎ、事業は続けられていきました。そして1985年、ロシアから6羽の幼鳥が送られてきたことが転機となり、人工飼育に取り組んで25年目の1989年、ついに待望の雛が誕生しました。その後、少しずつ増殖が進み、人工飼育による孵化も22年間連続して雛がかえるほど安定し、今では144羽のコウノトリが豊岡に暮らしています。
中貝氏は、人工孵化が安定し始めてきた1991年当時、県議会議員をしており、地元の人の紹介で、飼育員の松島興治郎氏に出会いました。松島氏から人工飼育・繁殖に関するこれまでの苦労話を聞いた中貝氏は、その努力に心打たれ、「いつかはコウノトリをケージから空に帰す」という松島氏の信念に強く共感しました。そして、その願いを一緒に叶えたいと思うと同時に、コウノトリが大空を飛ぶ美しい姿にロマンを感じました。中貝氏は、松島氏との出会いを機に、コウノトリを空へ帰す取組みに傾注していきます。
人工飼育によるコウノトリの放鳥については、いろいろな課題が山積みでした。そもそもコウノトリは環境変化により滅んでしまったので、生息できる環境に改善していかなければなりません。今までコウノトリを増やすことばかり考えていましたが、いざ放すとなると生息可能な環境をつくるという、より広い視野で考える必要が生じてきました。
2001年に市長となった中貝氏は、放鳥を見据え、コウノトリの住める環境について検討します。放鳥が住民に犠牲を強いることなく住民に受け入れられるように「コウノトリ『も』住めるための環境づくり」という言葉に思いを込め、次々と取組みを進めていきました(決して「コウノトリ『が』住める」ではなく)。
例えば、市内に設立された「コウノトリの郷公園」の一角に県立大学の研究機関を置いて、野生化の研究が進められたり、休耕田を利用したビオトープ水田の設置や中干しの延期(中干しとして田んぼから水を抜くことを一ヶ月延期してもらい、餌となるオタマジャクシがカエルになることを助ける)、水田魚道に市が助成したりするなどして、市内の自然再生が進められました。 特に無農薬・減農薬の「コウノトリ育む農法」による米作りは、農法的にも優れていることがわかり、急速に広がりを見せ、200ヘクタールを超える水田で実践されています。
また、円山川では、河川敷を切り下げたりして湿地を再生したりするなど、かつての河川環境を取り戻すことを通じて、多様な生態系を再生することを目標とした「自然再生計画」が作成されました。2004年の台風23号による大水害を受けて行われた激甚災害対策特別緊急事業の中でも、美しい円山川、コウノトリ「も」住める環境づくりを進めるために、着実に湿地が再生されてきました。こうして今ではコウノトリが円山川の浅瀬に降り立つ光景を日常に見ることができるようになりました。
中貝氏は、市長就任当初から、市の基本構想で掲げるまちの将来像でもコウノトリを意識しました。通常、都市像というと、環境都市とか文教都市などの言葉が使われますが、豊岡市の基本構想(2002)に記された目指す都市像では「コウノトリ悠然と舞い 笑顔あふれるふるさと・豊岡」という極めてユニークで、かつ、イメージしやすい言葉を採用しました。また、行政組織においても、コウノトリを保護するだけでなく、農業、河川事業、教育、産業等のまちづくり全体での調整・取組みが必要性であることから、企画部コウノトリ共生課を新設し(従来は教育委員会が担当)、総合調整を担当できる体制づくりに取り組みました。
コウノトリの住む環境づくりを持続可能なものとしていくためには、それを支える農業や産業などの経済活動も活性化しなければなりません。環境と経済はしばしばトレードオフの関係にあると考えられますが、豊岡市では環境を良くすると益々儲かるという事例をつくってきました。前出の「コウノトリ育む農法」はコウノトリにとっても良好な生息環境を創造すると同時に、作られたお米は通常の農法で作られたコメよりも店頭で60~100%の高値で売れることとなり、優れた農法として広がっていきました。中貝氏は、コウノトリの放鳥から学んだ「環境と経済の両立」を具体化し、明確化するため、2004年度に「環境経済戦略」を策定しました。さらに、環境と経済の知の集積を実践化するため「豊岡エコバレー」として環境企業(例えば太陽電池パネル製作等)の誘致、環境研究者の招聘を行っています。豊岡市を研究と実践の場とし、人を育て、知識を集積することにより、地域経済を活性化させることを目指しています。中貝氏は知の集積について「現場における実践の教育を通して、環境と経済の両立を当たり前のように考える賢い子供たちが将来の豊岡を担ってくれれば、社会に内在化されていく」と現場の教育の重要性を唱えます。
中貝氏は一連の取組みを振り返り、「足元をしっかりと深く見ることが重要だ」と言います。また、「豊岡は、生物多様性の観点から大変だという認識をしたわけではない。何故豊岡でコウノトリがいなくなったのか?何故豊岡にいたのか?帰すにはどうすればいいか?豊岡の空にコウノトリが帰るというのがどういう意味を持つのか?などを考えることは、豊岡の自然、歴史、文化、伝統を深く見ることにつながり、各々が真剣に進めてきた取組みは根底でつながる共通性をもち、そして普遍性に到達する。何よりも、豊岡の自然、文化や歴史、環境のシステムを知ることにより地域への愛着が湧く。知れば知るほど視野も広がり面白く、誇りになり、エネルギーになる。そのためにも足元をしっかりと見てほしい。最初から生物多様性や自然保護を言葉として考えるのではなく、川のフナをどう守るか、という身近な問題からスタートすることが重要である。そこから考えることで必ず視野は広がっていく。」と言います。
中貝氏が地元・豊岡市を深く見る取組みは、現在、国連環境計画(UNEP)やナショナル・ジオグラフィック、BBC等に取り上げられるなど、国際的にも評価されてきており、豊岡市は「小さな世界都市」へと、輝きとその存在感を増してきています。
行動する技術者たち取材班
門間俊幸 Toshiyuki MOMMA 国土技術政策総合研究所 主任研究官
参考文献
2010.12.24