「地盤工学」の国際化を推進し、英語教育やグローバル教育といった明確なビジョンを持って「有言実行」で行動する国際的な教育者、技術者の取組み。「グローバルセンスを磨く教育」や「時代を読む歴史感」など、技術者に欠かせない国際化の視点について、その思いを聞いた。
「日本の地盤工学はこの30年間世界を牽引してきた!」我が国の地盤工学、その国際化に寄与され、教育、ダイバシティ、防災、地域貢献と土木をとりまくあらゆる面で活躍されています日下部治茨城工業高等専門学校校長をご紹介します。
日下部氏の国際人としてのきっかけは1980年のケンブリッジ大学への留学でした。その2年半は日下部氏にとってまさにターニングポイントと言えます。留学したのは30歳。一番大変だったのは、語学の習得であり、英語で夢を見るようになるまで半年を要しました。また、ケンブリッジ大学の学位審査は経験したことのない厳しさで、学位の重さをあらためて知るとともに、指導教官であるスコフィールド教授の姿勢に700年の歴史を感じたと振り返ります。日下部氏は修士課程から二人だけドクターへの推薦を受ける一人に選ばれ、1年10カ月の最速でPh.Dの学位を取得しました。豊富な人材に囲まれた当時の経験と環境が現在のネットワークの源となって、その後の日下部氏の国際活動を支えています。
日下部氏がはじめて国際化に触れたのは、1977年の国際地盤工学会主催の東京会議であり、その後の地盤工学会における国際活動の原点になりました。帰国後、国際化への取組みにまい進します。当時は、まだまだ国際化の意識は決して高いとは言えない環境で、地盤工学会の国際担当理事として、1995年国際部の立上げや土木学会の国際委員会の幹事長としてニューズレターの発刊を行うなど、世界への情報発信と情報収集の仕組みの礎を作ることに着手しました。日下部氏はアメリカ、フィリピン、日本の土木学会で共催した第1回アジア土木技術国際会議(CECAR)の開催に携わりました。この会議がその後の土木学会における国際化に向けた人材育成、国際交流の更なる進展のきっかけとなりました。
その後、CECARの主催学会として、アメリカ土木学会、フィリピン土木学会との度重なる折衝(抵抗)を経て、1999年には台湾、韓国を加えた5カ国の土木学会で継続的なアジアネットワーク、ACECC(The Asian Civil Engineering Coordinating Council)を設立し、日下部氏は初代事務総長に就任しました。アメリカを中心としたバイラテラルな関係(2国間の関係)から、マルチなアジアネットワークの構築に至ったのは日下部氏の世界を牽引する行動力そのものだったと言えます。
一方で、ユーロコードに始まった設計コードの国際化の波が押し寄せる中、日下部氏は、1997年「設計法と地盤調査法の国際整合性」に関する委員会を地盤工学会に立ち上げ、「地盤コード21」、「JGS基準」の基礎づくりをしました。
また、土木学会では、ACECCの事務総長、調査委員会の委員長として包括コードの策定活動にも携わることとなります。「アジアコードの策定にはまだまだ時間を要するが、これからも新しい設計概念が必要」と日下部氏は言います。
日下部氏は、技術者として必要な国際化の視点を次のように言っています。教育現場では、「教育現場を変える」と同時に「学生の意識を変える」ことがグルーバルな教育に求められる。そして、リーダは方針を決め、ぶれない姿勢を貫き、若い世代には、厳しいようだが「勉強してください」とエールを送ります。なぜなら、留学を通して世界の優秀な技術者の「読書量」を目の当たりにした日下部氏は、「読書を通して教養人たるべき」と考えるからです。これからの技術者がグローバルセンスを磨くためには、「自分自身の歴史感を持ちタイムスケールの長い思考を心がけ、複数の語学を習得しグローバルなネットワークを作ることが必要である。」と言います。また、精神的に疲労しない工夫も必要で、読書やスポーツで自由な時間を持つことを忘れないで欲しいとも。また、日下部氏は、12万人の国内に在留する外国人留学生との交流、教育への参画を進め、国内にいながらの国際交流の実現する仕組みについても提案しています。参考までに日下部氏は、多くの書から世界感、歴史感を学ぶ一冊として、700ぺージを超える大書、ポールケネディの「大国の興亡」をあげました。
日下部氏は、これからの夢を「グローバルに活躍できる人材を作りたい」と語ります。工業高等専門学校の優秀な5万人の人材が自分自身にポテンシャルのあることを伝えたい。そのためにも、社会を見せ、社会との接点を増すことが重要で、社会人から50人の客員教授を招へいするなど、次世代の教育プログラムにも取り組みたいと、ますます意欲的です。
日下部氏は「ダイバシティの推進」にも積極的に取組んでいます。日下部氏の男女共同参画の加速に向けての取組みは言葉だけではありません。例えば、地盤工学会会長当時には、全委員会への女性参画を推進し、女性を幹部へ抜擢するなど、まさに有言実行の取組みを行ってきました。また、高専では女性教員に限定した公募をするなど、女性の役割の重要性を強調し、「やっとスタートラインに立った。2020年までに指導的地位に占める女性の割合を少なくとも30%にしたい。」と意欲を見せます。「女性の定年を10年延ばせばよい!」と女性の子育ての時間など考慮した発言も。因みに、九つ違いの奥様は、30半ばから大学院へ行かれ今は大学で教鞭をとられています。
-- 日下部校長はどんな人
日下部先生は茨城高専の校長として赴任され4年目を迎えます。専門教員約80名で1,200人の学生を教育する高等教育機関であり、少子化で統廃合が進む中で、生き残りをかけて旧態依然な教育組織の改革に取り組まれています。共同研究を通しての地域産業への貢献や、英語教育、グローバル教育といった明確なビジョンを持ってこれを強力に推し進め、全国51国立高専のモデルとなる成果を短期間に成し遂げました。また、海外留学等の新たなチャレンジを目指す学生を個人的にもサポートしており、卒業生の中には日本から飛び出し世界に羽ばたく者も多くでてきました。日下部校長は今も学生から大変尊敬される先生です。
日下部氏の若さ(バイタリティ)の源は、「すべてのことに興味を失わないようすること」と語られ、年に3つの資格試験にチャレンジするなど知識へのあくなき追求を実践しています。スイミングと日曜日の図書館通いで、自分の時間も大切にし、最近では「禅の研究」を読み直しされているとか。今後とも、行動する技術者として日下部氏の活動は土木分野に限らず、広く社会に貢献されていくことでしょう。
高田 知典
Tomonori TAKADA
行動する技術者たち取材班
参考文献
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グローバルセンスを磨く教育を!~世界を牽引する行動力~ | 381.58 KB |