自然環境保全への徹底したこだわりにより、樹木を伐採せずに斜面補強するノンフレーム工法に対して、"新たな技術理論の確立"、"施工方法の標準化"、"鉄に付加価値をつける新たな営業展開"など数々の難局を乗り越えた技術者の取り組み。
平成25 年に発生した秋田や伊豆大島の土砂災害など、近年、地震や記録的な集中豪雨による大規模な土砂災害が日本各地で発生しており、防災に対する社会的関心が高まっています。
しかし、樹木を伐採しコンクリートで覆い尽くす従来の斜面防災工は、防災と引き換えに少なからず自然環境を犠牲にしてきました。こうした中、環境・景観保全に対する社会的ニーズの高まりもあり、『斜面防災と森林保全の両立』は斜面防災工の大きなテーマとなりました。
今回紹介する技術者は、この大きなテーマに挑み、樹木を伐採せずに斜面補強を行う“ノンフレーム工法”を開発した日鐵住金建材株式会社土木鉄構商品部担当技術部長の岩佐直人氏です。
そのきっかけとなったのは昭和59 年。「くもの巣工法をやってみないか」という長崎県治山係長(当時)である市村氏からの一言でした。その工法は、斜面に鉄筋を打って、それらをワイヤーでつなぐ、あくまでもイメージだけが先行した工法でした。当時、鉄筋の頭部にワイヤー連結した試作品を作成して行政に営業したこともありましたが、反応は芳しくありませんでした。「なぜ樹木を残す必要があるのか?」「なぜ安定するのか?」、当時の岩佐氏は明確な回答を持っていませんでした。環境に対する関心が低かった当時、樹木を残すアイディアは市場ニーズに適合せず商品開発は断面せざるを得ませんでした。その後、岩佐氏は平成元年に当時の建設省土木研究所(以下、土研)の交流研究員として派遣され、2年間鉄筋挿入工法についての研究に没頭します。
そして、それから約5年の月日が経過した平成7年。岩佐氏は長崎県の現場にいました。そこは、上に神社、下には人家や公共施設がある斜面地。通常の切土を主体にした対策工を実施すると神社が無くなってしまう現場です。困った施主が相談した担当者の上司がなんと市村氏。10 年前に岩佐氏に提案したくもの巣工法が適用できる現場だということで、岩佐氏に相談がありました。岩佐氏にとっても、市村氏にとっても、10 年振りにリベンジが動き始めた瞬間であり、そして「ノンフレーム工法」が誕生した瞬間です。
この現場でやるしかないという結論に至ったノンフレーム工法ですが、イメージの域から設計段階に入ると大きな壁にぶつかりました。当時の地山補強土設計は、基盤面から奧に入った根入れ部分の摩擦抵抗を評価するのが一般的でした。道路公団(当時)の基準に移動層の摩擦抵抗を評価する方法について記載されていましたが、その基準に準じると森林斜面では摩擦抵抗が小さく、補強材を1m 間隔で設置しなければなりません。困った岩佐氏は、緩い地盤では鋼材が持っている曲げの効果を期待できるという学術論文を土研出向中に目にしたことを思い出します。そこに活路を見いだすべく、何人もの専門家に相談したところ、戻ってくるのは厳しい意見ばかり。「曲げの効果を見込むのは地山補強土設計の考え方を10 年昔に逆戻りさせる」と言われたこともありました。それでも、曲げの効果を諦めきれない岩佐氏は、当時地すべり抑止杭が曲がることによる抵抗力を用いた設計手法を提案していた東京農工大学 中村浩之教授(当時)に相談にしました。これをきっかけに、先生との共同研究の中で「土を動かして支持する」という新たな発想の確証を得ていくことになりました。これまでと違うことをするには徹底的な理屈付けが重要と話す岩佐氏。当時を振り返り、土研出向中の研究で解決できなかった鉄筋の曲げの取扱いについて、どうしても突き詰めたいという思いが大きな原動力になったと言います。
岩佐氏には他にも乗り越えなければならない壁がありました。それは施工方法の標準化です。「どのように施工するか」、「どのような機械を使用するか」、新たな工法には多くの課題がありました。斜面上にある樹木は伐採すべき、台切りすべきという意見がある中、「一旦伐採すれば森林の再生に膨大な時間が掛かる。伐採は結論が出るまで後回し」という強いこだわりを持ち続けながら、施工方法の標準化のための試行錯誤が始まったのです。
施工現場では数々の問題が発生しました。岩佐氏はその都度現場に足を運び問題発生の原因を追及していきました。そして、現場での失敗を一つ一つ確実に解決しながら、樹木を伐採することなく品質が確保できる施工法の標準化に成功したのです。
また、社内における推進体制についても大きな変化がありました。鉄鋼建材メーカーでは「鉄を何トン販売したか」が業績の目安になっており、鉄に付加価値をつけて販売するという発想は、その当時は全く無かったと言います。そのため、軽物を扱う斜面防災工に対して目を向けてくれる人は少なく、社内でも孤立無援の状態でした。しかし、環境・景観保全への社会的ニーズの高まりと共に、岩佐氏の技術者としてこだわりが「鉄にどのような付加価値をつけて販売するのか」という発想の転換を後押し、今では多くの人の協力を得ながら、更なる技術改良の体制を構築することができたのです。
この工法はまだまだ新しい技術で発展途上の技術。これまではひたすら前を向いて進んできましたが、この十数年を振り返ると共に、生涯モニタリングし続けることも自分の使命だと岩佐氏は言います。
また、斜面防災工は施工時から時間が経つにつれて、徐々に劣化し、強度が低くなるのが従来の考え方でした。しかしこの工法は、木の根と人工の根で補強していることから、木の成長によって強度が高くなるため、耐用年数の新たな考え方ができるのではと、岩佐氏のアイディアはつきません。この工法が一人前の成熟した工法になるまで、岩佐氏は自分の子供のようにこの工法の成長を見守っていくことでしょう。
現場で何が起こっているのか、自分の目で見て、触って感じて欲しいと若手技術者にメッセージを送る岩佐氏。効率化を求めてしまう現代において、土木技術者として忘れてはならない原点がある、と強く感じました。
岩佐さんはとにかく現場が好きで、技術に対して強いこだわりを持っている方です。
岩佐さんに関する最も印象的なエピソードは、工法を説明する模型を作成したときのことです。
展示会に出すための模型を製作会社に依頼をしたのですが、その出来上がりは見事なものでした。しかし岩佐さんは、この工法の肝である土の下の構造にリアリティが無いと言うのです。そこで岩佐さんは、自ら木の根を掘りに行ったり、時には岐阜の業者まで頼みに行ったり、また、秋の展示会の時には、落ち葉を外から拾ってきたり、とにかくとことんリアリティを追求するこだわりを持っていました。
これからも、このこだわりで新しいアイディアを生み出していくことを期待しています。
行動する技術者たち取材班
野見山 尚志 Hisashi NOMIYAMA 株式会社 建設技術研究所 次長
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