2011年3月11日(金)14時46分、三陸沖近海でマグニチュード9.0というわが国の歴史上最大の地震が発生し、それによって大規模な津波が東北地方から関東地方を襲った。強くかつ継続時間の長い揺れは、直接的には地盤の液状化や斜面崩壊等を広範囲にもたらしたが、人命の喪失という点では、津波によるものが圧倒的で、亡くなられ方は15,856名、行方不明の方は3,070名と報じられている。津波の高さや溯上高さは、26,360人の犠牲者を出した明治三陸地震(1896年)による津波の規模を上回った地域が多い。
これまでの津波被害と大きく異なった点は、福島第一原子力発電所が非常用電源を喪失し、冷却機能を失って多量の放射性物質を放出したことである。幸い、放射能による人的被害はまだ報告されていないが、30万人以上の住民が1年後の今もまだ避難生活を続けており、生鮮食料品に放射能汚染による出荷停止も生じていて、社会的には甚大な影響を残している。
発電所を襲った津波は高さ10mの防波堤を乗り越えていて、東京電力が想定し対策していた津波高さを超えるものであった。想定津波高さは、2002年に土木学会から刊行された「原子力発電所の津波評価技術」によっており、この報告書作成に電力関係者が多数加わっているという理由で、報告書の第三者性が疑わしいとの批判が報道やインターネット上に見られた。
直ちに、学会長は報告書の内容および土木学会の役割に関する声明を発し、一応の収まりを見せたが、土木学会から積極的に情報発信することの必要性を強く感じた。想定する震源の規模により得られる想定津波高さは異なるものの、報告書に示されている津波評価技術は一般性があり、その普及を図る必要がある。さらに、今回の被災を教訓として、設計時の想定を超えた場合について明確で合理的な対策を検討しておく必要がある。そのために、津波推計・減災検討委員会を設置することとし、調査研究委員会の中で関係する19の委員会に参加を呼びかけた。順不同であるが、研究企画委員会、コンクリート委員会、水工学委員会、構造工学委員会、鋼構造委員会、海岸工学委員会、地震工学委員会、原子力土木委員会、海洋開発委員会、情報利用技術委員会、エネルギー委員会、建設技術研究委員会、地盤工学委員会、都市計画学研究委員会、土木史研究委員会、コンサルタント委員会、安全問題研究委員会、地球環境委員会、複合構造委員会の全ての委員会から参加いただき、昨年8月末に第1回委員会を開催した。
本年3月末までの7カ月程度で委員会のミッションを果たすために、主として幹事会で検討方針、資料収集等を積極的に行い、途中経過を全委員にメールで配信した。間瀬 肇副委員長(京都大学教授)、小長井一男幹事長(東京大学教授)、当麻委員兼幹事(電力中央研究所)をはじめとする幹事会のメンバーの献身的な努力により、短期間で議論の方向が定まり、報告書作成にたどり着いた。第2回委員会は1月上旬に開催して報告書の具体的内容の審議をし、3月下旬に第3回委員会で最終的なとりまとめの議論を行い、委員会の当初の目的をほぼ達成することができた。
本年3月5、6日には、土木学会震災特別委員会によるシンポジウムが開催された。その中のパラレルセッションの一つとして、本委員会も津波水位推計技術に関する基調講演、6名のパネリストによるパネルディカッションを行い、成果の一部を報告した。
本委員会の議論を通じて、新たに「耐災」という概念を創出できたことに、委員長として役目が果たせたという思いがあり、委員および幹事の皆様に深く感謝いたします。
平成24年6月
津波推計・減災検討委員会委員長 丸山久一