土木構造物の遺産としての保全活動について、文化財登録制度を通じて、その歴史的な意義、保全方法の理解と普及に貢献。文化的遺産として土木構造物を観ることで過去の知恵の再認識や新たな価値観の発見、維持管理の思想を語る。
戦後、急ピッチに整備された社会資本は、高度経済成長期から現在に至るまで、長年にわたり我が国の経済発展を支えてきました。そして、社会資本としての土木構造物は、時には地域のシンボルとなり、新たな地形の一部となりながら、世代を超えて現在も人々の社会・経済活動を支えてきています。
時代を超えて存在し続ける構造物は、新しい構造物とは異なる魅力や風格があり、それらをうまく引き出すことで、社会に新たな価値を生み出すことにもなります。構造物がもつ新たな社会的価値を広く認識してもらうために、土木構造物の遺産としての保全に情熱を捧げている技術者がいます。文化庁の文化財調査官である北河大次郎氏です。
北河氏は、日本の大学では土木工学科を卒業され、その後、フランスのグランゼコール(技術者養成機関)である国立土木学校に6年間留学した時、技術者自身が土木遺産のことを考え、その保護の担い手となる必要性を強く感じたと言います。実際、フランスでは、数多くの土木遺産が通常のメンテナンスの延長線上で維持管理されており、技術者の歴史に対する意識も高い。その理由を考えると、第1に歴史を重んじながら現代的な創造を行う重要性がフランス社会で広く認識されている。そして第2に、大学の講義などで単なる技術だけでなく、その背後の潜む本質について考察する訓練が行われ、技術者に社会資本を総合的視野から捉える目が養われているからだと思います。
そして、歴史と現代を行き来しながら豊かな未来を創り出そうとするフランス土木の考え方に共感し、北河氏は日本で土木遺産の保全に携わりたいと考えるようになります。
帰国後、北河氏は文化庁に入庁し、当時、文化庁が推進していた近代化遺産(土木遺産はその一つ)の担当となります。具体的には近代化遺産の文化財指定と文化財登録に関わる仕事です。
文化財登録制度は、平成8年の文化財保護法改正によって創設されました。登録制度は従来の指定制度よりも緩やかな保護措置を講じるもので、保存と活用が特に必要な文化財を国が登録し、所有者が自主的に保護する制度です(指定制度は許可制だが登録制度は届出制である)。
また、平成8年の法改正では、「建築、橋梁等」となっていた文化財建造物の範囲が「建築、土木構造物・・・」と書き換えられ、文化財における土木構造物の位置づけがより明確になりました。登録基準では「原則として建設後50年を経過しており・・・」とされ、近代の土木構造物も広く対象となりました。さらに、保存だけに力点を置くのではなく、文化財を利用、活用することも保護のためには重要であるという当初の文化財保護の精神が再認識されたのもこのころで、現役であることの多い土木遺産の保護を推進する上での追い風となりました。
制度創設後10年以上経ち、登録文化財となっている建造物は既に約7600件を超えており、そのうち土木構造物では、橋、トンネル、駅、ダム、港湾等の約450件が登録されています。文化庁では北河氏が土木遺産の指定・登録業務を一人で担当しており、今日も土木施設管理者に対して、土木遺産の意義と指定・登録制度への理解を熱く語り続けています。
建築遺産は、民間の所有物であることが多く、また、用途転用により保全されているものが多いのですが、土木遺産は「遺産」といえども、一般的には現役として常に機能していることが要求され、また、利用者も不特定多数であることから、安全確保の点でも保全のための制約を負うこととなります。さらに、土木遺産は保全実績が少なく、保全の考え方や手法の検討が十分ではありません。
遺産を保全する際には、まず土木構造物の歴史的な価値を把握することが重要です。北河氏は「材料自体の価値をはじめ、構造形式、規模、機能などの属性、建設の工法や技法、周辺環境なども含め、単なる景観保全ではなくより幅広い観点から土木構造物の価値を考察する点に難しさと特徴がある」といいます。また、遺産がもつ価値の把握やその保全は、常に実証的な根拠に基づいて判断されること(実証性の尊重)が要求され、また、機能維持のために何らかの策を講じる場合も、安易にコンクリートで固めるなどの不可逆的な措置をとらず、今現在、確実に出来ることだけを行うこと(可逆的な措置、最小限の措置)が求められます。安易な部位の取替えや、妙に歴史性を誇張したレトロなデザインを施すという行為は慎まなければなりません。
保全の技術は、「歴史的価値」と「土木施設としての安全性・耐久性等の要求性能」を満たす補修・補強方法を、各遺産の特質を把握した上で、個別に検討すべきものです。マニュアル通りの技術で対応できることは希で、従来にない個別の問題点に対して未知の取り組みが求められる場面が多いといえます。そのことが技術者のチャレンジ精神に火をつけ、大きなやりがいにつながる、と北河氏は語ります。
保全の際には、実証的な根拠を求めて、過去の図面や部材の痕跡などを調査しますが、北河氏はそういった調査を通じて、「先人の技術の結晶を学びとることができ、それが未来を考えるためのアイデアの源泉となるのではないか」と言います。例えば、構造物に関しては、「戦後、材料が限られていた時代に建設された西海橋は、部材バランス、アーチ形状からディテールに至るまで設計者の工夫が見て取れる。また、日本橋も、当時貴重であったコンクリートをアバット(橋台)部に充填し強固なつくりとしている一方、橋梁部は充填材にレンガを使用しており(コア抜き調査によって確認)、コンクリートが高価だった時代の先人の工夫が感じられる」と感想を述べています。
歴史的構造物のメンテナンスは、技術と歴史に関する総合的な知見が求められる知的な行為です。土木遺産を適切に次世代に引き継ぐためには、まず一人一人の技術者が、社会のニーズを適確に把握・分析し、機能だけでなく遺産の価値を深く理解することが必要となります。また技術者には、具体的な保全の技術だけでなく、遺産を保全して国土の風格を保ちながら、どのように安全で活力のある国土を築いていくかを具体的に構想することも必要なのだと思います。
土木施設の計画・建設が土木技術者の役割であるとともに、施設の維持・管理や保全も土木技術者が担うべき重要な仕事です。土木技術者が、将来の土木遺産にかなうものを計画・建設にあたり意識することは重要であり、また、遺産保全の思想や手法は、これからの更新時代を迎える社会資本の維持管理を考える上でも重要なヒントとなるのではないでしょうか。
行動する技術者たち取材班
門間俊幸 Toshiyuki MOMMA 国土技術政策総合研究所 建設経済研究室 主任研究官
参考文献
1)土木学会誌:土木遺産保全の実務的課題と方策,土木学会誌vol.93 no.8, p31-38,p46-49,2008.
2)土木学会誌:西海橋(伊ノ浦橋)工事概要,土木学会誌vol.41-4,41-5,1956.
3)吉田巌編:橋のはなしI・II,技報堂出版,1985.
4)伊藤孝:日本橋-コンクリートと煉瓦・石との複合橋梁-,建設業界,vol.54,No.1,2005年1月号.
5)中井祐:近在日本の橋梁デザイン思想,東京大学出版会,2005
2009.11.18
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第9回 歴史の中に未来のアイデアがある~土木遺産登録活動を通してこれからの管理方法を再考~(PDF) | 236.52 KB |