砂浜の消失という問題を、単に海際だけではなく、海に砂を運ぶ河川、砂を供給する山地など、砂に関する総合性の視点でとらえ、地域自らが海岸の将来を決めるための技術的判断材料を提供し続ける技術者の取り組み。
白く続く砂浜。寄せては返す波。昔話の時代から、海水浴、潮干狩りなど、海と言えば当たり前に脳裏に浮かぶ砂浜が、今、各地で消失の危機に瀕しています。そしてその砂浜が、いつから、どのように、どうして変わってしまったのか、その問いに明確に答えられる人は、ほとんどいません。
今回ご紹介する行動する技術者は、こうした状況を背景に、各地の海岸で、砂浜の保全、復活に携わる、一般財団法人土木研究センターの宇多高明氏です。
大学卒業後、宇多氏は砂浜の問題は海岸の技術により解決できると考え、研究に没頭しました。しかし、研究を進め様々な技術を開発しても、問題はなかなか解決の兆しを見せません。
そうした中、解決の鍵は、海岸以外の分野にありました。宇多氏は、海岸の研究と並行して、地形学、地理学などについても学び、その知識を深め続けていました。その蓄積から、海岸を河川等を含む広い空間スケールで捉え、超長期での時間の流れを理解できるようになった時、宇多氏は、「長い長い歴史の中のわずか数十年で、海岸が大きく変化していくという事態は異常」という考えに至りました。同時にその真相を解明すべく、日本全国の海岸を歩き、現地を見続けたのです。
この結果、宇多氏は、砂浜の消失という問題は、単に海際だけではなく、海に砂を運ぶ河川、砂を供給する山地などにも及んでいることに気が付きました。海岸、河川、森林など利用や開発が別個に考えられ、制度も、事業も個別であり、砂に関する総合性の視点が欠けていたのです。海岸、港湾、河川、砂防等各分野で生み出されてきた様々な技術は、個々には優れ、我々の生活に安全と豊かさをもたらしてくれました。しかし、現実にこれら技術の適用を重ねると、海岸にとって必ずしも全てがプラスに働いているわけではなかったのです。
「もしかしたら、みんなで海岸をだめにしていたのではないだろうか」。それからの宇多氏の行動は、海岸のみならず海岸を取り巻く環境全体を踏まえた砂浜の再生に向けられていくのでした。
今でこそ、「総合的な土砂管理」という言葉を耳にするようになり、その視点は、国土形成計画などにも盛り込まれていますが、当時、ともすれば個別事業を否定することにもなりかねないこの視点は、ほとんど注目されませんでした。
「変えるためには、今は草の根で動くしかない!」そう心に決めた宇多氏は、砂浜が消失する各地で、海岸と、海岸を取り巻く状況を説明し、技術的な解決法を示し続けます。専門家として、地域地域で異なる状況を的確にとらえ、それぞれで最善と考えられる対策を、地域へ伝え、保全に向けた合意形成に取り組みました。
そうした海岸の一つが、神奈川県の茅ヶ崎中海岸です。
図1 宇多氏による砂浜保全(養浜)の取り組み
事実を説明するにあたり、宇多氏は、室内での説明や議論だけでなく、実際に現地を見る機会も積極的に設けました。自らガイドを務め、茅ヶ崎海岸から相模川をさかのぼり上流の相模ダムまで足を運び、ダム建設や大規模な砂利採取による流出土砂量の減少や、漁港や海岸構造物による沿岸漂砂の減少により局所的な砂浜の侵食が急激に進行したことなど、海岸のみならず海岸を取り巻く状況を分かりやすく伝えていったのです。
地域に入るときの宇多氏は、必ず技術的に中立の立場を貫きます。「海岸をどうするかを決めるのは、技術者ではない。地域の、海岸に関わる当事者の人たちだ」と、結論ではなく、よい点も悪い点も含めた事実と対応するための技術を示す宇多氏は、地域が自ら将来を決めるための判断材料を提供することに心を砕いているのです。
一方で、個別地域での総合的な土砂管理への対応は未だ時間がかかることから、砂浜消失という現状を改善する即効的な技術も必要となります。そのために宇多氏が着目したのが「粒径を考慮した動的養浜」です。従来は、砂を投入して砂浜をつくり、併せて突堤や人工リーフ※などの砂が流れ出ないよう構造物を設置する「静的養浜」が一般的でした。それに対し、構造物を設けず砂の流出と維持管理を前提に、砂を投入して波の力で砂浜を形成していくのが「動的養浜」です。「動的養浜」では「静的養浜」でつくられるような人工的な海岸でなく、絶えず変形する生きた砂浜に近づきます。さらに養浜材に現地海岸の底質材料より大きな粒径を含めることで、より効果的に海岸を保全し、かつ経済的な維持管理を図ることができるのです。
前述の茅ヶ崎中海岸では、当初、レンズ礁※を海に沈める静的養浜が実施される予定でした。しかし、地元の人は海に人工物を沈めることに難色を示しました。そこで宇多氏は粗い粒径を多く含む相模ダムの浚渫土砂で海岸を養浜する「粗粒材による動的養浜」を提示したのです。しかし、養浜材が直ちに流されてしまったこれまでの養浜事例から、地元の人からは、粒径を考慮したとしてもその保全効果を心配する声が挙がり、また、砂の流出を前提とする工法には財政当局も難色を示しました。
そうした声に対し宇多氏は、技術者として「技術的に解決できること」「影響が考えられること」を中立な立場で説明し、人々の疑問に対応、説明していきました。
その後、地域は粗粒材による動的養浜を選び、茅ヶ崎海岸では今、見事に砂浜が回復してきました。現在では多くの人に利用される海岸がよみがえりました。
「地域に入るためには、技術者として自分のバックボーンを持っていなければならない」と宇多氏は言います。培われた技術力があってこそ、各地域で異なる海岸、そして海岸を取り巻く状況を的確にとらえ、最善の技術的解決方法を示すことが可能となっているのです。宇多氏は、現在も一年の大半をフィールドで過ごし、多くの海岸で、事実と技術を伝え続けています。「いい技術だったら、地域に入って逃げることはしない」と、宇多氏はどの地域でも、質問がなくなるまで続けています。
技術者が、地域の課題解決に向け、技術と信念をもって取り組むことにより、地域より信頼を得て、また地域に新しい価値を創造する活動へと展開されていくことを宇多氏の行動は示しているのではないでしょうか。
茅ヶ崎海岸では構造物による「静的養浜」を検討していましたが、地元との意見交換の中で方針を転換しました。現在は「動的養浜」を進めていて、かなり砂浜が回復してきています。これを進めるにあたり協議会を設立しましたが、宇多先生には中心メンバーの一人として取り組んで頂いています。
協議会の設置当初は、会議を進めていくのも難しいと感じる状況でした。宇多先生は、漁業者、サーファーなど利用者、市民、行政などそれぞれの立場を常に考えて、お互いの目指すところをつなげるように行動されています。
宇多先生は確たる技術論をお持ちで、知識も豊富ですが、なにより知識を知恵に変えていくすばらしいセンスを備えておられます。難しい数式を、聞いている人の体感や体験に置き換えることができ、聞き手は自分が見て感じているものから気づいてもらえるので、多くの方に納得して、関心を持ってもらえています。
宇多先生は非常に行動的で、たびたび現地を見に来られます。時には私たちが知らないうちに来られていて、状況を教えていただくこともあります。若手にも「常に現場を見る」重要性を伝えています。
行動する技術者たち取材班
中島敬介 Keisuke NAKAJIMA 株式会社エイト日本技術開発
渡邉一成 Kazunari WATANABE 一般財団法人計量計画研究所
※注)突堤、人工リーフ、レンズ礁
静的養浜(海岸の砂を動かないようにして海浜の形を保つ)において、砂が動かないように海に置く構造物。
参考文献
1)実務者のための養浜マニュアル(財団法人土木研究センター)
2)茅ヶ崎海岸中海岸地区の侵食対策事業(神奈川県藤沢土木事務所パンフレット)
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第26回 技術に基づき地域へ判断材料を提供~消えゆく砂浜の再生へ向けて~(PDF) | 252.22 KB |