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土木技術者は単に社会資本整備に携わるだけではない。様々な経験を通じ、そこから広がる、コミュニティ、社会活動の基盤や組織づくりといった「見えないインフラ」に気づき、社会資本整備の場から子供とともに学び、文化づくりに挑戦する技術者の取組み。
インフラストラクチャー(インフラ)といえば普通、道路、下水、鉄道、空港等のいわゆる公共施設が浮かび上がると思います。もちろんこれらは、我々の豊かな暮らしに貢献するものでありますが、土木から生まれるコミュニティ等の“見えないインフラ”もあるのではないか?
本日ご紹介する技術者は、もともとは橋梁設計の専門技術者でありましたが、サイクルシェアリング、地域防災等の様々な経験から、地域の文化づくりは、我々土木技術者だからこそ出来るものだと言い切る、安江哲氏です。
2003年、土木学会コンサルタント委員会の副幹事長を務めていた時のことです。当時は、1995年に発生した阪神淡路大震災から8年半が経過しており、「10年目の特別行事」の企画会議に召集されました。この特別行事は東京で開催予定でしたが、東京で開催する意味が安江氏には理解できませんでした。何故なら、多くの尊い命が犠牲になった神戸周辺で開催すべきと思ったからです。そこで、安江氏は、この大震災で犠牲となった約6,500人のうち、一般家屋の下敷きでなくなった犠牲者が約4,800人という点に着目し、「東京で開催するならば、来るべき首都直下型地震に向けて、建築学会と共同で開催する」ことを提案しました。建築学会と特別行事を共同開催するのは初めてのことであり、まさしく“歴史を動かした”取組みでした。開催テーマは、「市民が学会とともに考える東京の地震防災」です。この時は、NPO法人とも協働関係を結び、小学生を主体とした、「子供たちによるぼうさい探検隊」を結成し、東京の街並みを防災の視点で調査等の活動を行いました。「市民活動を支えるNPOや町内会、小学校、土木学会、建築学会等の機関の垣根を越えた防災の取り組みに人生感が大きく変わった」と安江氏は言います。開催テーマは当初、「学会が市民と考える東京の地域防災」でした。しかし、ある地域の代表者から、「だから学会はダメなんだ!市民が学会と考える…だろ?」と一言が。まさにこの言葉が人生を変えたといっても過言ではないと安江氏は言います。
この防災に関連し、早稲田の商店街での活動から、安江氏は「見えないインフラ」に気付きます。自主的な防災訓練だけでなく、神戸の長田商店街や中越地震での被災地と、防災を通じた地域交流を行いました。その結果、地域の子供も高齢者も活き活きとし、活気ある商店街がよみがえったのです。防災からコミュニティを生み出したこと、安江氏はこれらを実際に目のあたりにしたからこそ、土木技術者がこのような活動をもっと出来ると確信したのです。
「ポロクル」(札幌のポロにサイクルのクルでポロクル)は、事前に専用サイト等で登録した利用者が「サイクルポート」と呼ばれる無人の拠点でICカードや携帯電話により利用者認証を行い、自転車を自由に借りたり返したり出来るサービスです。現在はサイクルポートが約45箇所、保有自転車も約350台まで拡大しています。安江氏のポロクルへの思いは、放置自転車対策の一助はもちろんのこと、加えて街を美しくしたい、また公共交通の利用促進により街ににぎわいを与えたいということでした。きっかけは意外なことに、ロンドンオリンピックでした。当時のロンドン市長のボリス・ジョンソンは、オリンピック招致後すぐにサイクルシェア(通称:ボリスバイク)を実施し、なんと医療費を1兆円も削減したのです。安江氏は、このポロクルの効果を大きく2つの分野にも広げます。一つは防災面であり、札幌市とは災害時に自転車を提供し応急・復旧活動を支援する協定を結んでおります。そしてもう一つが運営を通じた人的教育です。自転車の点検・修理・配置等は、学生主体のNPOが行っています。若い彼らにとって、これらは簡単なものではありません。利用者からの厳しいご指摘等に、時には涙を流しながら対応しております。しかし、このような経験が、彼らの人間力を高め、現在では若い力が活躍している姿に、市民・観光客からも非常に高い評価を得ております。これもまた、“見えないインフラ”であり、「その価値をもっとPRしなければいけない」と安江氏は言い、若い力と一緒になり、それを幸せと感じ、日々より美しい札幌の実現に奔走しておられます。
安江氏は2012年から約2年半、北海道エアシステムの取締役に就任しました。北海道エアシステムは、北海道の各都市間を運行する航空会社で、いわゆる広大な北海道における足となっていましたが、経営が苦しい状況でした。就任に当たっては、経営の立て直しが命題だったのですが、ここでは安江氏自身が勉強させられたといいます。それは、飛行機を飛ばすための安全への意識の徹底です。ある日の出来事ですが、喫煙室において30代前半の整備士が、20代後輩に対し、真剣に安全への意識について指導している場面がありました。乗客の命をあずかるという重みが社員ひとりひとりに身についており、経営が苦しい中でも、それが社員のモチベーションとなっていました。これを見て、「この会社は立て直し出来る」と思ったそうです。社員の育て方においても、トラブルの際、原因をつくった人間を叱るのではなく、原因を見つけた人間をほめるということが大事であることも教わりました。安江氏は、小さな会社で社員の待遇も良くはないながらも、北海道民の足を守るという使命を背負い、一生懸命働く社員と一緒になれたことは非常に大きな財産になったと言います。「残念ながら、現在の土木業界の使命感への意識はここまでは至ってないが、我々も出来ないはずはなく、この経験を活かし、より誇りを持てる業界にしたい」と語ります。
街づくりを楽しみ、子供に愛される大人になり、子供とともに学ぶ姿は美しいと安江氏は言います。そして大人は子供の模範となり、責任あるアドバイスをする義務があります。社会資本整備は、それらを実行する最上級の教室であり、安江氏が今後も、我々のお手本として、若さあふれる前向きな精神で、若い力とともに土木を通じて、良き文化そして元気で美しい街づくりに貢献されることを願っております。
-橋梁技術者を目指した理由は何ですか?
最初はトンネル技術者を目指していた。実際、大学2年生の時は竜飛岬で青函トンネルの現場で自ら実習に出向いた(当時ではかなりめずらしいこと)。ただ、大学3年生の時に、本屋で見た橋の本に感銘を受けた。橋はかっこいい(笑)!それがきっかけですね!
-今後の夢は何ですか?
津軽海峡に橋(大間~函館)を架けたい。事実この20年間、津軽海峡に橋を架けるという活動をしている。大間の人たちの移動を楽にしてあげたい。いつになるかはわからないけど、いつまでも夢は持ち続けたいですね。
-若手技術者(学生)へ一言
若い人が会社の利益に貢献できるのは20年かかる。社会の実学的なものを先輩からありがたく頂くという気持ちで日々励んで欲しい。また今の時代、一つのことでは競争に勝つことが出来ない。何でもすることが必要である。そのためには人間力を鍛えることが大事だ!
行動する技術者たち取材班
株式会社エイト日本技術開発
大久保 証文 Tsugufumi Okubo
参考文献
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【Web版第42回】土木技術者が生み出す文化~見えないインフラを実感して~ | 367.6 KB |
(c)Japan Society of Civil Engineers