コメントする上での注意事項
「景観」に関する専門的なアドバイスに留まらず、行政と市民の両者に入り込み、困難な問題を共に乗り越えプロジェクトを実現していく。この「景観まちづくり」の活動を率先して現場に出向き展開する技術者の取り組み。
近年、「景観」や「まちづくり」に対する住民参加型の様々な活動が全国で活発に行われるようになりました。
それでもなお、景観を阻害するものがまちには溢れているのも事実です。そのような現状の中、行政だけに任せるのではなく、住民自らが自らの生活と身近な風景を見直す中で工夫しながらまちづくり活動を行っていくことが大切です。今回は「景観まちづくり」という観点から行政と市民を結ぶ大切な役割を果たしている、京都市立芸術大学教授の藤本英子さんを紹介します。
幼い頃から「くらし」の中のデザインに興味を持っていた藤本さんは、大学で工業デザインを専攻、卒業後に就職した大手メーカーでは、デザイン関連部署に配属、「都市デザイン」のコンペに携わるなどの実務経験を積むことになります。独立後に、生涯かけて「公共空間デザイン」について取り組みたいと考え、「景観」という言葉がそこに重なりました。大学の教員となった今日では、多くの自治体で「景観アドバイザー」として活躍しています。
藤本さんは、「様々な日常の活動や、身近な風景を活かし地域のことを知ろうとすることが景観まちづくりの初めのステップであり、地域の様々な活動から景観まちづくりへと発展していくことができる」と熱く語ります。
近年「水都再生」という事業が大阪府、大阪市で進められてきました。藤本さんは、淀川などの河川を中心にまちづくりや賑わいを考える「水都の会」の一人として、行政への提言や市民を巻き込んだイベント活動に積極的に参画してきました。その代表的なプロジェクトとして、道頓堀川の遊歩道計画への提案があります。
大阪市は、2001年、都市再生プロジェクトのひとつとして、道頓堀川の遊歩道の検討が本格的に進められることになり、2002年には「道頓堀川遊歩道・橋梁デザイン検討委員会」が設置され、藤本さんは委員として、遊歩道と次々架け替えられる橋のデザイン案へのアドバイスをしていました。その最終の委員会で市が提示した資料に、藤本さんは目を疑うことになります。
道頓堀川に架かる橋は桁高が低いため、橋の下に遊歩道を通すことは簡単な話ではありませんでした。御堂筋の道頓堀橋も例外ではなく、桁下の高さが基準とされる2.5mを満たさないため、これをクリアするには水面下に遊歩道を設置する必要がありました。それだけではなく、御堂筋は幅員45mの国道であり、この下で遊歩道の基礎工事を行うことは想像以上に困難であったのです。また、様々なライフラインを支えるパイプが道路位置に埋められ、地下鉄御堂筋線がその下を通っています。それに加え、市側は橋の下の遊歩道の防犯面を気にしていました。
そのため、市が提示した案は、遊歩道は橋の下を通らずに4本のスロープ橋で御堂筋の歩道部へつなぐものでした。この案では川沿いの遊歩道の連続性が途切れ、皆がゆったりと歩くことができない内容となっていました。
その時、行政の委員としての立場の限界と、力のなさを痛感した藤本さんは、早速行動を起こしたのです。
藤本さんは、自ら参画していた「水都の会」メンバー、地元・地域の有力者に声をかけ、「御堂筋アンダーパスプロジェクト」と称し、遊歩道を道頓堀橋の下に通すことを呼びかけることになるのです。地元の総意も「橋の下を通したい」との思いで一致しました。
「水都の会」有志とボートを漕ぎ出し現地に向い、自らメジャー片手に桁下から水面までの高さを測定し、基準の高さを確保するには水面下の遊歩道となることを実感する一方、橋桁と護岸堤防の間に通路空間が確保可能なことが確認できたことから、より一層、遊歩道を通したいという思いが強くなるのでした。
しかし、遊歩道を「通したい」と思う地元と「通すことは出来ない」という市の計画が対立する中、幾度と地元説明会を重ね、地元とともに具体的な工法を提案すると、ようやく市も「検討に時間が欲しい、時間切れだから出来ないとは言いません」と意識が変わりはじめたのです。その結果、工期はのびる、予算も増加するが、仲間とともに提案した「浮体工法」の検討を進めていくことになったのです。最終的には、最新の造船技術もあって、この遊歩道が実現することになるのです。ここは、市側の担当者の技術者魂をも騒がせたことになったようです。
藤本さんはじめ、地元と行政が一緒になって、今の道頓堀川の遊歩道が実現されたのです。藤本さんは、多くの問題に出会っても、それを乗り越えた時の喜びを思えば、参加されていた藤本先生にとってこの遊歩道アンダーパスの実現は、感極まる思いだったと振り返ります。
藤本さんの行動する姿から、行政や住民へ単に「景観」について専門的なアドバイスをすることに留まらず、自ら行動し、両者に入り込み、コーディネートし、実現していることがよくわかります。また、その過程の中から、行政、市民双方から信頼を得られている様子も伺えます。
2012年に出版された「市民のための景観まちづくりガイド」に、「『景観まちづくり』はまず、行動です。小さいけれど、大きな視野の変化につながる一歩の行動が、また次の行動の一歩になっていくのです。こうして発言し、行動する市民が増えていくことを願って、景観アドバイザーの仕事を進めてきました。」とあります。その思いが正に、関係者に伝わり、動かしているのではないでしょうか。
これからも行政と住民が一団となって、「景観まちづくり」が取り組まれていくことを期待したいと思います。
行政にコミットしながらも、異を唱えることは難しい。そこであきらめずに、藤本先生が市民の目を入れ、市民を巻き込んだことが、道頓堀遊歩道の御堂筋アンダーパスを生みました。
同志としてアイデアも出しました。川底を傷つけられないなら「浮体」で。長いモノが入らないなら沈埋トンネルのようにパーツを後で組み立て引っ張る。
藤本先生は景観の専門家のみならず、あるべきまちをどう作るかのために常に行動しています。ゴムボートにも乗り、スカートでも柵を越え。私が北浜の水辺のビルを買った時、この時のコアメンバーでomp(大阪まちプロデュース)川床研究会を結成し、先生にも参加いただきました。川床の実現が決まった時、屋上のエレベーター機械室の上に梯子で上がり藤本先生持参のワインで中之島の夜景を眺めながら祝宴を上げました。
その後、川床の取り組みは「北浜テラス」の実現、河川法準則緩和にもつながっていきました。
行動する技術者たち取材班
稲田 恭子 Kyoko INADA 中央復建コンサルタンツ株式会社
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【Web版第30回】身近な風景へのこだわり ~信頼から生まれる「景観まちづくり」~ | 974.07 KB |
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