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古都「京都」1200年の栄華を支えている地下水の適切な水利用や保全について、地下構造や地下水の研究を専門とする技術者が行っている技術支援活動。
世界から多くの観光客を引きつける古都「京都」。世界の中でも数少ない1200年の長きに渡り栄華を誇っている都市。この京都の雅を支えているものの一つに地下水があります。
今回の行動する技術者は地下構造や地下水の研究を通じて、京都の地下水の適切な利用や保全のために技術支援活動を行っている関西大学の楠見晴重教授を紹介します。
京都乙訓山城地域の多くの自治体は、水道水源の大半を地下水に頼っています。楠見氏は、20年以上前からこれらに、地下水に関する技術指導を行っています。上水道の80%を地下水に頼っているある自治体では、一本の井戸で一日あたり2000トン~2500トンの水を揚げ、一本の井戸で八千人から1万人に生活用水を供給しています。そのような井戸が各自治体に数本から数十本あります。過剰にくみ上げると地盤沈下や地下水が枯渇したりもするため、安全で安心な水を確保するためには地下水利用を適正に管理して、保全していく必要があります。楠見氏は、広域に跨る自治体に技術指導するために、京都盆地全体の地下水量を把握する必要があり、これがきっかけとなり広域の地下水調査が始まったのです。
図-1 京都・乙訓・山城地域の水道事情
京都市内には河原町、白川、川端、今出川、堀川、御池など水に関する地名や通りがたくさんあります。都市が安心安全に維持されるためには、生活に無くてはならない良質の水を多量かつ安定的に確保することを必要とします。京都は、平安時代から地下水の利用が盛んで、今も変わりません。ではなぜ京都には地下水が豊富に存在するのでしょうか?
京都盆地は南北約33km、東西約12kmの縦に長い形をしており、地下水は主に沖積層、洪積層の砂礫層に多く包蔵されています。その砂礫層は最も厚いところは旧巨椋池あたりで800mあります。そして、京都盆地の地下水が流れ出す箇所は、桂川・宇治川・木津川の三川合流部である、天王山と石清水八幡宮のある男山の幅約1kmのあたりです。そして、天王山と男山は同じ古生層からなり、その間を流れる淀川の下で繋がっており、その深さは約30mです。すなわち、幅約1kmの天然の地下ダムができているのです。そのため、ほんの僅かな量しか地下水が流れ出さず、京都盆地の地下には多くの地下水が貯留されています。
楠見氏が反射法地震探査や重力探査、約8000本ものボーリングといった調査データから京都盆地の地下水量を調べた結果、驚くべきことに、京都盆地の下には、琵琶湖の水量に匹敵する211億トンの地下水があることを導きだしました。楠見氏はこれを京都水盆と名付けました。そして、この京都水盆を、可視化技術を使って立体的に表現して見せ、広くその保全と活用を訴えたのです。
平安京ができた頃の大内裏(だいだいり)つまり御所(ごしょ)は、朱雀大路(すざくおおじ)(今の千本通り付近)の北、現在の京都市北区の船岡山付近にありました。現在の御所はそれよりもずっと東に寄っています。では、なぜ御所は東に移転したのでしょうか?楠見氏は、地下水が関係していると考えています。
京都市内の地質を調べると、左京区(京都の東側)付近の表層は砂礫が一様に多い地層です。それに対して右京区(京都の西側)付近の表層は粘土分が多い地層になっています。平安時代では、左京区は井戸を掘ればすぐに良質の地下水が出てくるという状態でした。当時の大内裏の場所は、山の上で現在の京都市中心から西に寄っており、左京区の様に1~2mも掘れば地下水が出てくるような所ではありませんでした。今の御所のある場所は平安初期には高級官僚の館があり庭には池が造られていました。その池の水は地下水が使用されていたと考えられます。平安初期の御所の位置では地下水が十分でなく、日本庭園に船を浮かべて遊ぶこともできなかったのではないかと想像されており、だから平安中期に御所が東に移転したと楠見氏は考えています。
京の文化と地下水には今も密接な関係があります。
平安京の水を守るために建立された下鴨神社、現在の京都御所、美しい庭園を有する二条城や神泉苑は、浅い地層から良質な地下水が得られる同一の砂礫層の上に造られています。このような、多数の美しい庭園が今も京都に観光客を引きつけています。
船岡山から東南東に約1kmの小川通りには茶道の三千家が並んであります。表千家・裏千家・武者小路千家すべて井戸を掘っていてその水を使ってお茶を点てています。
京都は450年前から酒造りが盛んで、伏見地区に約30社の酒造会社があり、現在でも酒造りに地下水を使っています。鉄とマンガンが少なく、カルシウムや重炭酸が適度に入っている水が酒造りに良いとされており、ここの地下水は正にこれに適した水質です。
京友禅は糊や染料を洗い流すために水をたくさん使用しますが、水温が一定で、かつマンガンや鉄分が少ないものが必要とされています。京都の地下水はこれにも適した水質です。
豆腐や湯葉は、鎌倉時代から京都で作られたと言われていますが、これに地下水を利用したのは京都が最初で、いまでも京の豆腐屋は地下水を利用する所がたくさんあります。これも、水温が一年を通じて一定で、水質も水道水よりも若干ミネラル分を含む軟水であることで、京の豆腐のおいしさを引き出しています。
このように京都盆地の地下水は京の文化を今も支えています。
楠見氏はこれらの結果を受け、自治体を技術面で指導して、地下水保全に関する条例作りに参画しました。さらに、楠見氏は保全すべき地域を科学的に説明し、それを基に自治体は保全地域の指定を行っています。
また、伏見の酒造組合に対しても技術指導を行っています。酒造りに適した地下水を守るため、いろいろな調査を行っています。例えば、この酒造組合で使用している地下水層に幹線下水道の計画があり、これについて、影響を有るか無いかを含めて、シミュレーション解析を行ない、伏見の酒造組合に対してもアドバイスを行っています。
市民を対象として活動では、第3回世界水フォーラム推進京都実行委員会が主催した、「京都―水の歴史館」の「3Dシミュレーションドーム」の監修を行い、京都盆地の地下の「水がめ」や、「平安京人々と水との関わり」、「京と水の軌跡」を体感できるように、3D映像などを使って紹介しました。さらに、京エコロジーセンターではNPO京都みずがめ研究会主催の大人から子供まで対象とした「京都千年の地下水脈」の講演などを行っています。
今も地元の人に愛され、京都に来る観光客を楽しませている神社仏閣などの庭園、伏見の酒・茶道・京豆腐・京菓子などに代表される食文化、京都盆地の下を豊かに流れる地下水はこれらを支えています。楠見氏は京文化と地下水の関係を科学的に結びつけ、地下水の重要性を説き保全活動を続けています。楠見氏の活動を通じ、技術者がその専門技術を生かして、本質を説くことは技術者に課せられた重要な仕事であることを再認識することができるのではないでしょうか。
行動する技術者たち取材班
山本剛 Tsuyoshi YAMAMOTO 国土交通省近畿地方整備局近畿技術事務所長
参考文献
楠見晴重:京を歩けば京の水脈シリーズ①~⑥, 三洋化成ニュース2006年冬号~2007年秋号
2009.4.13
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第3回 古都1200年の雅を支えた地下水の解明 ~それは豊穣な地下水に秘められていた!~(PDF) | 277.38 KB |
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