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お客様の役立つ情報をカーナビゲーションで提供したいという強い思いから、世界初のプローブカーシステムを発案し、システムから得られたプローブデータによって、道路交通分野でイノベーションを起こした技術者の取り組み。
2011年頃から“ビッグデータ”という言葉がニュースや新聞、インターネット上で取り上げられるようになってきました。ビッグデータは、大容量のデジタルデータであり、種類が多様、リアルタイム性が高いという特徴を持っています。そして、ビッグデータを有効活用することによって、私たちの社会生活は大きく変化する可能性があると期待されています。
今回紹介するのは、道路交通分野のビッグデータであるプローブデータ(GPSを搭載した自動車から得られる移動軌跡の情報)を取得するプローブカーの仕組みを世界で初めて開発し、道路交通分野に大きなイノベーションを起こした本田技研工業株式会社の今井武氏を紹介いたします。
今井氏が本田技研工業に入社したのはオイルショック後の就職難の時、今井氏にとっては採用通知をいただいた唯一の会社でした。当時、今井氏が専攻していた電子工学から自動車メーカーへ就職する学生はほとんどいなかったため、就職担当教授に「車のセールスでもするのか?」と言われたことを懐かしそうに話します。
入社後の今井氏は、ディスプレイや電子コンパスの開発を担当し、カーナビゲーション(以下、カーナビ)開発の担当者になったのは1985年頃でした。1981年に自社から世界初のカーナビが販売されていましたが、当時は、ジャイロケーターと車速センサーで自動車の現在位置や進んでいる方向を確認し、透明フィルムに印刷された地図をカーナビ画面に手差しして自分の車の位置を設定する、いわば利用者が自らマップマッチングをするようなシステムだったのです。そこで今井氏は、“お客様にとって便利なカーナビを作りたい”という強い思いから、自動で地図を表示する新たなカーナビを1986年に開発しました。今井氏にとって初めての製品です。しかし研究所のある和光からテストコースのある宇都宮まで試験走行した際、途中の佐野IC付近でカーナビが示していた車の位置は、遙か彼方にあるような状態であり、結果的にこのカーナビは商品化されませんでした。しかし、今井氏は落胆しません。ジャイロケーターの精度は高いので、マップマッチングの技術が開発されれば必ず精度の高いカーナビが実現できるという確信があったのです。お客様の役に立ちたいという今井氏の強い思いは、技術革新とともに、新たなステップへと進んでいきました。
その後GPSの普及によりマップマッチング技術が開発され、1998年、現在のインターナビの原型が誕生しました。当時は通信容量の制約があり、イベント情報やニュース程度しか提供できませんでした。ところが利用者へのニーズ調査の結果、最も欲しい情報は渋滞を考慮した最適なルート案内であることが分かったのです。そして2002年、今井氏は、VICS情報((一財)道路交通情報通信システムセンターが配信している渋滞、事故や交通規制等のリアルタイム交通情報)を基にしたオンデマンドでルート案内を提供する新たなカーナビを開発します。しかし、これもまた、お客様のニーズに十分に答える商品ではありませんでした。「VICS情報を提供していない道路では使えないじゃないか。」お客様から数多くの苦言を呈されたと言います。お客様のニーズに答えるため今井氏は試行錯誤を繰り返し、発想を大きく転換させます。「情報がないのであれば車自体をセンサーとして渋滞情報を収集してはどうか。」プローブカーシステムの企画が生まれた瞬間です。当時、自動車メーカーでは世界初の取り組みでした。ですが、プローブカーシステムに対する社内の反応は冷ややかでした。当時はインターナビ会員数が数百人という時代。「渋滞情報をきちんと取得するには何十年かかるのか?」と笑われたことを今井氏は振り返ります。しかし、今井氏のお客様のニーズに応えたいという強い信念はどんな向かい風に負けることなく、社内でも徐々に認知されながら、現在では約200万人(2014.8現在)の会員数を誇る大きなビジネスへと成長していったのです。
その後、今井氏の取り組みは、道路交通分野の調査や分析でも脚光を浴びることになります。当時の交通調査は必要な時に人手観測を行うのが常識でした。しかしこのシステムから得られたプローブデータは、過去に遡って365日24時間、GPS搭載車が走行した全ての交通状況を把握することができたのです。これによって、大幅に調査コストが削減されるとともに旅行速度や利用経路等の新たなデータが取得可能になりました。当初「何故ホンダのデータだけなのか?」という否定的な意見も数多くありましたが、このデータを社会のために役立たせたいと考えた今井氏はプローブデータを活用した道路整備効果分析等の事例を数多く示していきました。その結果、データの有用性が理解され、現在では交通状況を把握する上では欠かせないデータとなっているのです。また、プローブデータによって、時間信頼性という交通状況を示す新たな指標も生まれました。道路交通分野の調査、分析に大きなイノベーションが起きたのです。
プローブデータは他の分野にも活用の幅を広げます。
その契機となったのは2004年の中越地震。約280箇所の道路が決壊し、被災地に入るための通行可能な道路を見つけることができたのは3日後だったそうです。その結果、災害時に通行実績を可視化することの重要性が浮き彫りになりました。これをきっかけに今井氏は、防災推進機構に協力する形で災害時のプローブデータの活用について研究を始めたのです。そして東日本大震災ではプローブデータが活躍する場面が発生します。東日本大震災はあまりにも被害が大きかったため、Google Earth上で読み込めるデータ形式(KMZ形式)による通行実績マップの提供を部下が強く進言してきました。しかしこの形式では、会員のデータが流用される可能性や、被災した車のデータが含まれているかもしれません。一瞬迷いが生じた今井氏は、それでも「役に立つ情報を出すためにはこの形式しかない」と即決した、と当時の思いを力強く話します。そしてこの情報は行政を大きく動かすことになります。震災から3日後の3月14日、自動車メーカー4社が集まり、各社が保有するプローブデータにより通行実績マップを作成することとなりました。そして国土交通省は、道路管理者が持っている通行可否の情報を提供することを決断します。これらを合わせることで、通行実績のない道路を効率的に点検することが出来るようになったのです。この取り組みが官民協働オープンデータの第一号となりました。中越地震の際、「官が民間データを提供して2次災害が発生した際、大きな責任問題になる」と一蹴された経験のある今井氏にとって、官民協働オープンデータは、災害時におけるプローブデータ活用の大きな成果となりました。
現在、震度5弱以上の地震が発生した際に通行実績マップを自動的に作成する仕組みを構築しているという今井氏。今後はアジアでプローブデータから高精度な地図を作るというグローバルな展開を思い描いています。
常にお客様目線で真摯に向き合う今井氏の姿は、我々土木技術者として忘れてはいけない姿勢であると強く感じました。
―若手技術者に対して―
私は、創業者本田宗一郎氏の「人の役に立ち、使って便利で楽しいものを提供したい」この言葉を大切にしています。常にお客さんが何を求めているのか、何を期待しているのかを考えること技術者として重要です。
野見山 尚志 (Hisashi NOMIYAMA)
行動する技術者たち取材班 株式会社 建設技術研究所 道路・交通部次長
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【Web版第38回】お客様視線でイノベーション~道路交通分野で広がるプローブデータの活用~ | 384.66 KB |
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