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北海道の厳しい気象条件(流氷など)に適応した社会資本(港など)を整備するため、地域に入り奮闘した事例。
わが国は、南北に長い島国であり、北に位置する北海道は寒さの厳しい地域です。そのため北海道にとって雪氷や寒さの克服は至上命題となってきました。しかし、日本全体からみると、積雪寒冷地の問題は、どちらかと言えばローカルな問題です。
一方、北極点から見ると、ケッペンの気候区分でも北海道は亜寒帯の縁辺部で比較的南側にあり、世界には広大な寒冷地が存在しています。そして、世界の主要都市、たとえばニューヨーク、モスクワ、ロンドン、パリ、ベルリンなどは、北海道の札幌よりも緯度の高い寒冷地に立地しています。そのため、寒冷地問題は世界的にメジャーな問題で、米国土木学会には寒冷地工学委員会が常設されているほか、雪や氷、極地工学に関する学会、国際会議、研究機関を挙げればきりがないほどです。
このような日本におけるローカルな問題である寒冷地工学、特にアイス・エンジニアリング(氷工学)分野で、北海道の地域問題を現場で解決しながら、一方で北極海における石油資源開発の世界市場でしのぎを削る造船、石油掘削リグ建設などにかかわる日本企業の理論的な後ろ盾となって国際的な行動をしてきた技術者がいます。
ご紹介するのは、北海道大学名誉教授で、現総長の佐伯浩氏です。佐伯氏は、わが国におけるアイス・エンジニアリング研究の開拓者として、北海道沿岸および陸水域における氷力による構造物の破壊対策、流氷による水産被害の軽減、氷による河川閉塞、結氷被害の防止に関する研究を行い、わが国に「寒冷地工学」(図)という分野を開拓した第一人者です。
いま、世界の原油価格が高騰しており、サハリンや北極海など、氷力の影響を受ける海域での海洋石油開発も十分に事業採算性の確保が可能な時代です。同様のことが、1974年のオイルショック後にも起こりました。オイルメ ジャーは、アラスカのボーフォート海沿岸、北極諸島の海域で積極的な探査活動を行い「モリクパック」、「クルック」などの石油掘削リグが相次いで氷海に建設され、これらのほとんどが日本の重工メーカーによって建設されました。その理由は製作技術の高さと納期の確かさが認められた結果によるものですが、一方、氷海構造物の設計に関する知識は当時のわが国には皆無に近く、欧米企業の独壇場でした。
佐伯氏が、このような状況に危機感をもったことと、北海道にオホーツク海というフィールドがあったことが、研究を始めた背景にあります。しかし、わが国においては、ほぼゼロからの出発ですから、海氷強度の試験方法一つにも試験器具の試作から始まり、厳冬のオホーツク海沿岸で何週間にもわたって氷の供試体の破壊実験を繰り返す日々が続きました。このような基礎的な実験を積み重ねる一方で、国内の重工関連会社、公共研究機関、大学などをまとめて、共同研究体制をつくることにもイニシアティブを発揮し、いままで製作だけだった重工関連会社に設計方法のノウハウを蓄積することに尽力し、重工メーカーの国際競争力を高めることにも貢献しました。これらの一連の研究や成果は、世界的にも高く価されており「Arthur Lubinski Outstanding Paper Award」(1981年:米国機械学会)をはじめ、国内外から多くの賞が授与されています。
一方佐伯氏は、地域でも行動してきました。オホーツク海沿岸のサロマ湖はホタテ貝の養殖で有名ですが、冬期になると流氷が侵入し、移動するときに養殖施設を破壊したり、氷の下面が湖底の地盤を掘削するような現象(Ice Gousing)によってホタテ貝養殖に毎年被害が出ていました。この対策のために佐伯氏が考案したのが「アイスブーム」(写真)です。欧米では、河川氷の制御に使われる小型の浮体式構造物ですが、これを海氷に対して世界で初めて適用しました。欧米の研究者からは実現性に疑問の声が出たほどでしたが、佐伯氏は基礎的な実験の積み重ねと綿密なフィールド調査を基に、計画および設計手法を確立しました。現在、サロマ湖に建設されたアイスブームによって侵入する流氷は少なくなり、水産被害は大きく軽減されています。同様の施設は能取湖(のとろこ)にも計画されています。
佐伯氏は、このような寒冷地工学が交通、住宅、環境、農水産業などの生活から産業活動に至る裾野の広い分野とする一方で、地域性に強く依存するため、技術的な面での普遍性が高いとは言えないと述べています。そのため、地域の技術者が地域に最もふさわしい技術を自ら創造していく必要性があり、地域における技術者養成が重要であることを指摘しています。
また、いままで寒さや雪に対して「厄介者」として克服すべき意識が強く、寒冷地工学の目的も「克雪・克寒」が主でしたが、徐々に身近なものとして親しもう、利用しようという意識が芽生え、雪氷の冷熱エネルギー利用や冬期観光などへ拡大し、「利雪・親雪」まで取り込んだ寒冷地工学へと発展し始めているとも指摘しています。
佐伯氏によれば、このようなわが国の寒冷地工学の技術力は世界的にも評価が高く、国内で培われた寒冷地工学を核として、バイオ、環境・エネルギーや高度情報化などの技術分野との連携による産業クラスターの形成も夢ではないと言います。事実、世界を見ると、雪の降る地域で世界総GDPの55%を占めるという報告もあり、世界の寒冷地域は経済圏としても、地下資源の面からも巨大なマーケットなのです。
いずれにしても、寒冷地工学の技術を生み出し、実用化していくには人材が鍵を握っており、地域で活動しながらも世界に通用する複眼的な技術者・研究者をいかに生み出すかが、地域、そして国の将来を左右すると思います。
一番の課題は教育の国際化です。今後国際的な教育圏はアメリカ、ヨーロッパ、アジアの三極構造になると予想され、北海道大学も寒冷地工学などの特色を活かしつつアジアの拠点大学の一つとなることを目指して、多くの優秀な留学生を受け入れる環境を整備しています。実情では、英語圏への留学に人気がありますが、日本も東アジアの教育拠点として遅れをとるわけにいきません。また、北海道でも若い人たちの人口が減っていますが、そのなかでも優秀な芽を伸ばし世界レベルの人材を養成すべく力を尽くしていく必要性を感じています。
一次産業である農水産業の基盤を確立させることが重要で、やはり後継者不足の問題が一気に起こる、ここ10年が勝負でしょう。後継者対策の一つは、企業など外部からの参入を認め、推進するのが得策と考えます。いろいろな人が集まり考え方が交じり合うと、地域社会は若返ります。また生産業者は流通の言うなりになるのでなく、自らの工夫や戦略をもつことが必要です。たとえば、北海道では寒冷地という厳しい気象条件をうまく利用することで通年でタマネギを売るための貯蔵技術、水産品は常に大量販売するのでなく、1匹の魚でも付加価値をつけて高く売るなど、できることはたくさんあると思います。
行動する技術者たち取材班
原文宏 HARA Fumihiro (社)北海道開発技術センター理事(地域政策研究室長兼務)
正会員
土木学会誌 93巻 2号 2008年2月
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第17回 地域テーマで世界も牽引 ~世界に発信する日本の寒冷地工学~(PDF) | 218.76 KB |
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