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日本屈指の温泉街として知られる草津。草津は温泉街からリゾート観光都市として発展したが、その発展に開発という側面で寄与した氏が、町民の生活の場としても草津を発展させたい、という熱意と行動の事例。
群馬県草津温泉は、常に「人気温泉ランキング」の上位に位置する名湯であり、大和時代あるいは奈良時代に開湯され、ベルツ博士がその名を全世界に知らしめたことは周知のとおりです。
今回は、温泉街・草津を舞台に、科学的手法による「高原リゾート都市」の計画・開発に尽力されるとともに、真に「地域の将来像」を考え、「町民の生活空間としての、豊かで住みよいリゾート都市づくり」について、町民とともに考え、行動された、東京工業大学名誉教授の鈴木忠義先生をご紹介します。
草津温泉は、明治から昭和初期までたび重なる火災禍、戦争による傷手を受けながらも、防腐性配湯管の開発による内湯の実現などを背景に湯治客が増加しました。戦後になり、草津はスキー場開発に取り組み、わが国で初めてリフトを架けるなどの先駆的な取組みを進めてきました。さらに、高度経済成長期以降は、鉄道や道路網の充実、モータリゼーションの進展と観光ブームの到来により「湯治場、温泉街」から「リゾート地」へと発展してきました。国土・地域計画、とりわけ観光地の空間計画を専門とする鈴木先生は、こうした草津のリゾート開発について、航空写真によるスキー場適地の選定、入込客数の需要予測に基づく道路整備など、科学的手法により「高原リゾート都市・草津」を誘導してきました。
こうした華やかなリゾート地として発展してきた草津ですが、1970年代当時の町民生活は、医療機関に恵まれず、未舗装部の生活道路が多い、質素で不便な状況でした。
「リゾート業を生業とする生活都市・草津」への展開
1973年末、わが国は石油ショックに見舞われ、草津町においても、今後の低成長時代の施策目標・開発政策の再検討、町の主産業である観光レクリエーション産業が直面する課題への対応など、大きな変革期を迎えました。これまで草津のリゾート計画・開発に尽力されてきた鈴木先生は「草津町にとって社会的・経済的基盤は観光産業であり、この産業の成長なくして街の発展は考えられない」と考えた一方、「華やかなリゾート地」と「質素で不便な生活空間」のギャップを目の当たりにし、「産業開発優先の政策を洗い直し、ともすれば置き忘れかねない9,000人余の住民の生活に密着した視点から課題を整理し、町の総合計画を策定する」ことを提案しました。当時の行政計画は、行政が計画案をつくり、議会で議決する手続きが通例となっていましたが、鈴木先生は行政に対して「まちづくりの主役は町民であり、町の実態は町民が一番知っている」と説き、計画づくりへの町民参加を促しました。
こうして町民参加による計画づくりが始まりましたが、鈴木先生は、計画づくりの初段階に、町民の行政不信が根強いことを知り、行政と町民との信頼関係を構築すべく、徹底した情報公開・共有と決定に至る手続きの明確化に取り組みました。すなわち『計画策定の中で「小さな草津町で解決できる問題は限られている」ことを町民にも理解してもらったうえで、積極的に町民から要求・提案を出してもらい、これらの情報をオープンにするとともに、要求・提案を総合化し、町民共通の目標づくりを具体的に政策や施策として積み上げていく』計画づくりのルールを明示し、合意を得たうえで、作業を進めていきました。
市民参加や合意形成手法は、昨今、社会資本整備や都市づくりで積極的に導入されていますが、鈴木先生は約30年前に「全町民アンケート調査」や「買物ゲーム(貴重な税金をどのように使うべきか?)」という、町民にわかりやすく、かつ町民が直接的に政策や施策を考えてもらう手法を開発・導入し、「町民の、町民による、町民のための草津」づくりを手がけられました。
こうしてつくられた計画では「草津町の身の丈にあった産業・生活の充実」が打ち出され、全国的なリゾート開発ブームにも流されず、多くのリゾート地が苦戦するなか、成長管理的な町の発展が進められました。国際音楽祭による文化づくり、温泉資源の「泉質主義」、ホームタウン密着型で活躍するサッカーチーム「ザスパ草津」など、いずれも「高原リゾート都市・草津」の充実に資するとともに「町民生活の充実」にも資する取組みにもなっていることが注目すべき点です。
草津町は、今後も高原リゾート都市として発展するとともに、リゾート業を生業とする生活都市としても成長を遂げていくことと思います。草津町の地域づくりを手がけられた鈴木先生は、観光計画の第一人者として後継者の育成に努められるとともに、地域づくりの第一人者として積極的な活動を展開されてきました。近年では、飛騨高山のまちづくり、群馬県川場村の地域づくり(東京都世田谷区との連携型地域づくり)など、まさしく「行動する技術者」としてご活躍です。
土木技術者は、今、「科学的手法による地域づくり」とともに「住民の、住民による、住民のための地域づくり」を担う専門家として、大いなる期待が寄せられています。
謝辞:
本稿の執筆にあたり、観光開発プロデューサー原重一氏、足利工業大学中川三朗教授、(財)日本交通公社岩崎比奈子研究員より貴重な情報・資料をご提供いただきました。深く感謝いたします。
鈴木氏:土木工学は「民衆」工学であり、これまで万人が使うさまざまな施設をつくってきたが、大切なのは「何に使うのか」という目的、意味合いをはっきりさせたうえでつくることである。さもないと、つくることが目的となってしまい「ソフトなきハード」が量産されてしまう。これまでの近代化は「ものづくり」が主であり、さまざまな技術・手法が生み出されてきた。これからの近代化は「ことづくり」であり、意味論がますます重要となってくる。人間は機械と異なり「気」をもつ生き物である。「元気」、「勇気」、さまざまな「気」をもつ人間が「やる気」をもって地域づくりに取り組むことが大切である。また、地域づくりは技術者だけでなく、地元のリーダー・人材が必要不可欠であることを忘れてはならない。
行動する技術者たち取材班
渡邉一成 WATANABE Kazunari (財)計量計画研究所都市・地域研究室 主任研究員
参考文献
1)草津温泉観光協会ホームページ
2)(財)日本交通公社観光計画室、草津町社会開発計画、1977. 3
土木学会誌vol.91 no.9 September 2006
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第6回 町民の、町民による、町民のための草津(PDF) | 334.17 KB |
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