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【第4回】 道路にも駅を!

元:国土交通省中国地方建設局道路計画第二課長、
現:日本建設コンサルタント(株) 徳島征二氏
徳島氏
徳島征二氏

 全国各地に広まった「道の駅」。そのきっかけと制度づくり,地域への普及の過程。


■■道の駅って

 ドライブに出かけると各地の「道の駅」を利用していませんか?「道の駅」は休憩や食事だけでなく、地域の物産販売や、温泉、宿泊などの機能を備えた施設もあり、「道の駅」そのものを目的として出かける方も増えています。そんな「道の駅」の第一号ができたのは1993(平成5)年4月22日。誕生してから、わずか13年と比較的新しいものです。
 全国各地に830箇所(2005年8月現在)に増加し、専門の本も出版されるなど、現在も拡がりを見せる「道の駅」。その発想の原点には、「地域連携の場」という、地域で生活する人びとの交流や地域活性化という視点もあります。ドライバーのためのドライブインではない「道の駅」。この誕生には、さまざまな人びととの出会いと熱意を受け、実現に向け努力をした技術者の存在がありました。

■■道路にも駅を!

 「道の駅」のきっかけは、1990(平成2)年1月28日に広島県宮島町で開かれた、中国地域まちづくり交流会(中国地域づくり交流会の前身)シンポジウムでの、山口県船方総合農場代表の坂本多旦さんの「鉄道に駅があるように、道路にも駅があってもいいのでは」という発言でした。それを起点に「道の駅」について、中国地域づくり交流会を中心に、活発な議論が進められました。

「道の駅」の盛り上がり
「道の駅」の盛り上がり

 この場に参加し、「道の駅」の発想を現実のものとするために、情熱をかけた一人の技術者がいました。当時建設省中国地方建設局の徳島征二さんです。

■■過疎の悩みから生まれた「道の駅」
イベントでにぎわう「掛合の里」
イベントでにぎわう「掛合の里」

 当時すでに人口減少と高齢化の局面を迎えていた中国地方の中山間地域は、過疎や活力の低下に悩み、各地で地域活性化方策について、早くから検討が重ねられていました。そんななか、交流会での「道の駅」という提案に対し、大いに関心をもった徳島さんは、交流会の意見交換会へ積極的に参加しながら、市民の熱い議論をどのようにしたら現実にできるのか、ということを考えていました。ちょうどそのとき、議論をしていたイメージに近い施設を、島根県掛合(かけや)町が国道沿いに検討しているという話を聞いた徳島さんは、掛合町に出向き、町の人たちと一緒に検討を始めました。施設の整備は、町内に「新たな核」をつくることになり、場合によっては、従来の集落の中心が寂れ、地域コミュニティそのものを変えてしまうということも心配されたため、新しい“まちづくり”のしっかりとした計画が必要ではないかと考えた徳島さんは、繰り返し地域に出向き何度も意見交換を行いました。しかし、どんな特徴を出したらよいか、本当に人が集まるのか、という不安もあったことから、当時としては珍しい社会実験を実施しました。その結果、利用者数が多かったこともありますが、地元の女性の皆さんが自然と「道の駅」に集まり、楽しそうに清掃活動や世間話をしている姿を見て、徳島さんは「道の駅」が地域を活性化させることを確信しました。

掛合の里「交流の館」
地域づくりの議論の場となっ
ている掛合の里「交流の館」

 この社会実験は、掛合のほかに地域が熱心だった2箇所(山口県田万川(たまがわ)、阿武(あぶ))で行い、いずれも盛況でした。また、中国地方での検討と同時期に、建設省本省でも「夢ロード21」委員会(平成元年~3年8月堺屋太一委員長、中村英夫副委員長)が設置され、車が停車しているときの道路政策が不十分だとの議論から「道の駅」の制度化に向けての検討がなされていました。中国地方での取組みや、その後の全国での社会実験を経て、制度として「道の駅」がスタートしました。徳島さんが手応えを感じた「掛合の里」は、制度開始以前の1992(平成4)年夏に、一足早く実態的な「道の駅」としてオープンされました。

■■海外へも拡がる「道の駅」
道の駅の登録箇所数の推移
道の駅の登録箇所数の推移
(各年1月1日現在(H5のみ4月22日現在)

 「道の駅」は、2004(平成16)年の新潟県中越地震の際には、避難所、情報拠点、被災者への施設提供等が行われ、地域の拠点としての機能が発揮されるなど、地域における安全・安心の確保の面からも欠かせないものとなってきています。また、国内にとどまらず「MICHINOEKI」として、開発途上国の地域振興策として移出され、世界各地で、地域を元気づける制度の拡がりを見せています。
 その一方で昨今、ドライバーの視点に偏った印象を受ける「道の駅」もあり、売上げや利用者数にとらわれすぎているものもあるのではないかと感じます。今一度「道の駅」の原点に立ち戻り、地域のコミュニティの場として「主役は地域である」との視点で考えてみると、魅力と活気のあふれる一層すばらしい「道の駅」となるのではないでしょうか。

徳島さんに当時を振り返っていただきました

――特に苦労されたことは何ですか?

 前例のないものでしたので、「道の駅」の特徴を何に求めるのかといった内容や、民間のドライブインへの影響とか、どうやって整備するのかなど、すべてが試行錯誤の連続でした。出前講座で「道の駅」の説明や議論を繰り返し多くの地域住民の理解が得られたのと、多くの関係者が過疎地域の活性化に積極的であり、非常に熱心に取り組んだのでできたものだと思います。

――道の駅ができたときどのように感じましたか?

 中山間地、過疎地に新しい地域おこしの拠点の創出を感じました。孔子の言葉の「近者説遠者来」の場ができたのではないかと感じました。

――現在「道の駅」を改めてみるとどのように感じますか?

 最近は通過交通(利用者)にばかり目が向いてしまい、地域が忘れられていないか心配です。まちづくりのしっかりとした計画が必要だと思いますが、数が多くなり、地域の特徴が出しにくくなっているのではないでしょうか。


行動する技術者たち取材班
鈴木学 SUZUKI Manabu  国土技術政策総合研究所 主任研究官

参考文献
1)国土交通省道路局ホームページ
2))田中栄治著「地域連携の技法-地域連携軸と社会実験-」

土木学会誌vol.91 no.6 June 2006

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