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それまで,やっかいものとして下水道に流されていたトンネルの湧出水を,環境用水として活用した,「マイナスからプラス」への発想の転換
東京都国分寺市にある「姿見の池」。
その名の由来は、鎌倉時代までさかのぼり、宿場町の遊女たちが朝な夕なに自らの姿を映して見ていたという言い伝えによるそうです。かつてこの池は、付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、由来の通りの清水を湛えていました。
しかし、姿見の池は、周辺の宅地化とともに高度経済成長期(昭和40 年代)には埋め立てられてしまいましたが、現在は清水を湛え見事に復活しています。この池の復活には、自然回帰に情熱を捧げた一人の技術者がおりました。国分寺市役所の石島修二さんです。
姿見の池の復活に着手した当時は、埋め立てられた池周辺は資材置き場になっていました。池の復活には、まずこの土地の取得が必要でしたが、十分な資金のない国分寺市は、1989(平成元)年に「水と緑の国分寺プラン」を策定し、池周辺の緑地保全地域の指定と用地の取得を東京都にお願いしました。1993(平成5)年、池周辺は地域指定され、用地買収が進められることとなりました。
1995(平成7)年より姿見の池周辺整備を担当することになった石島さんは、1990(平成2 年)より野川の水量復活に取り組んでいた東京都環境保全局の飯田輝男さんと相談しながら用地買収に取り組み、翌年には国分寺市でも用地買収に取組むことを庁内で働きかけた結果、用地確保の目途がたちました。
引き続き市は池の復活に向けた事業計画案を作成しましたが、事業費は確保できない状況でした。
そこで石島さんは、事業費を確保するために、環境庁と東京都に通い詰め、湧水保全に関する補助事業の制定を申し入れ続けました。こうした石島さんの熱意により、1997(平成9)年に環境庁が「井戸・湧水復活再生事業」を、1998(平成10)年には東京都が「水循環再生事業」を制定し、これを活用することでようやく姿見の池周辺整備事業が動き出しました。
こうした困難を乗り越え、整備事業が動きだしましたが、新たな問題が現れました。池の水がないのです。
1990 年から実施した雨水浸透マスの設置により池周辺の湧水復活を期待しましたが短期間では結実しませんでした。そのため、姿見の池周辺の井戸から都指針による規制上限の水を汲み上げて流しましたが、この水量では池にたどり着くまでに地面にしみこんでしまい、池を清水で湛えることは不可能でした。
姿見の池の水源に悩んでいた石島さんと飯田さんは地下湧水に目をつけました。 国分寺市の西側丘陵地帯に1973(昭和48)年に開通した武蔵野貨物線では、何度か西恋ヶ窪地区で地面より水が湧き出る被害が発生していました。そのため、国鉄はトンネル内部に水抜きの横井戸を設置して、地下水を集水し下水道に流す処理を施していました。
石島さんと飯田さんは下水道に流している地下湧水を姿見の池に流し込むようJRにお願いしましたが、すでに下水道へ処理することで問題が解決していたために協力が得られませんでした。その後、民営化が進み、経営の採算性が問われるようになったJRは、この下水道料金が負担となり始めました。
そしてついに、石島さんと飯田さんの働きかけが実り、2000(平成12)年春、JR・東京都・国分寺市で湧水利用に対する協定が締結され、JRが横井戸から出る湧水を地上に送るポンプ設備を全額負担で整備し、国分寺市は下水道法の特免措置を認め、トンネルの湧水が姿見の池に流れ込むこととなりました。無用であった水が、恵みの水として生まれ変わったのです。
姿見の池は、復活に情熱を捧げた技術者たちの努力により、地下から湧き出る清水により満面の水を湛え、市民の憩いの場として愛されています。また池の水は近隣を流れる野川に導かれ、川の水量も回復しています。石島さんは、その昔、宿場町の人びとや旅の人びとに愛された「姿見の池」が未来永劫、地域の人びとに愛されるものになってほしいと願い、国分寺のまちづくりを共に歩んできた後輩に託すこととなりました。
地下湧水を環境用水として活用した姿見の池周辺整備事業
東京都の飯田さんは、この取組みを「地下水の環境用水としての利用」と位置づけ、石島さんの協力を得つつ、JR東京地下駅やJR上野地下駅周辺のトンネル湧水を立会川や不忍池へ放流する取組みを立ち上げました。さらにJR武蔵野線の湧水について、小平市や東村山市での清水復活に向けた活動を継続して展開しています。
(本文中の団体名や肩書は当時のものです。)
私が頭を痛めたのは、姿見の池周辺整備事業は一般的な法定補助事業(道路・公園・緑地などの整備)に該当しないため、市の財政状況から新たな補助事業を国と東京都にお願いしなければならないことでした。なんの関わりもない市職員が突然出向くことは大変失礼と思いながらも、アポなしで環境庁に何度も押しかけました。根負けしなかったおかげで、どうにか着席して話を聞いていただけるようになり、環境庁指定名水百選の保全を突破口として、国分寺市の現状を説明し、補助要綱策定の確約をいただきました。
緑地保全地域の指定、池周辺の整備事業、水環境の再生という一連の事業は、東京都と国分寺市が1つの目標に向かい、おのおのの立場で何をすべきかを認識し、常に連携し行動を共にした結果として動いたと思います。門外漢の私を親身に指導していただいた東京都の飯田さんには大変感謝しており、また協力していただいた多くのすばらしい仲間と、すばらしい仕事を楽しくさせていただけたことを誇りに思っています。
行動する技術者たち取材班
渡邉一成 WATANABE Kazunari (財)計量計画研究所都市・地域研究室 主任研究員
参考文献
1)武蔵国分寺と東山道武蔵路「国分寺市の鎌倉街道上道その2」
2)野川最源流姿見の池パンフレット(武蔵野線トンネル湧水と恋ヶ窪用水と姿見の池)、国分寺市環境部自然環境課
土木学会誌vol.91 no.4 April 2006
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第3回 「無用の水」が「恵みの水」に!(PDF) | 438.75 KB |
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