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既存インフラ利用で国産高級りんごを中国本土に直接輸出するルートを整備。「守り」の農業から「攻め」の農業を実証。地域の元気や活力にもつなげる仕組みづくり。
2004(平成16)年12月、小泉内閣のメルマガで話題になった『ひとつ2000円のりんご』という記事。小泉総理は「北京のデパートでは青森でつくっているりんごが150元(2,000円以上)で売られている。これにはびっくりしました。」と語っています。
青森りんごがはじめて、直接北京に送られたのはその年の4月。秋田港経由で高級りんご『陸奥』を送り出したのは、東北大学の稲村肇教授。港湾・海運を専門とする土木技術者です。
なぜ、土木技術者がりんごを輸出することに取り組んだのでしょうか。
青森県は、国内のりんご生産の過半数を占める一大産地です。しかし、価格の長期的な安値・下落傾向や経営難からの生産者減少など、産地では厳しい状況が続いています。
そして、いま大きな脅威となりつつあるのが『中国産りんご』の存在。
中国は、安価な労働力を背景に年間2,000 万トン以上を生産する世界一のりんご大国。生産は『ふじ』という、日本国内で生産されるりんごの半数以上を占めている品種が中心です。日本国内へのりんご輸入は、植物防疫上まだ量はわずか。しかし、中国の生産・防疫技術は急速に向上しており、そう遠くない将来、中国産りんごが国内へ上陸してくると予想する関係者も少なくありません。そのとき、価格面で太刀打ちできない国内のりんご生産は大打撃を受けるとも予想されています。
2001(平成13)年4月、日本政府は農業3品目のセーフガード暫定措置を発動しました。中国産ネギなどの輸入量急増を受け実施されたものです。中国はこの対抗措置として、日本製自動車等へ特別関税の追加を実施。その後の政府間協議で、中国側の特別関税の撤廃と日本側のセーフガード本発動の回避が決定されました。
稲村氏は、この決着に「このままで日本の農業は大丈夫なのだろうか?」と疑問をもちました。
「国際的な市場開放や経済交流が進むなか、極東地域の貿易のあり方も大きく変わらざるをえないだろう。競争力のある品目は輸出して、競争力のない品目は輸入で対応するようにできないと日本はやっていけなくなる。それには農業がネック。保護ばかりでは国際経済に取り残されるし、農業の体質が強化されないまま自由化されたら国内の農業は壊滅してしまう。」
では農業の体質強化にはどうしたらよいか。
稲村氏は、経済の急成長により富裕層が拡大している中国に着目し、日本の高い技術を活かした競争力のある農作物、東北での生活体験から青森りんごを輸出することを考えました。
そのためにはどのように輸出し、輸出先でどう市場を確保するか。 稲村氏は、行政や商社、船会社などからデータを集め、話を聞いたりしてみましたが、なかなか実態が見えてきませんでした。そこで自ら、30年蓄積してきた物流分野の研究成果と経験を生かし、国産りんご中国本土直接輸出プロジェクトに取り組んだのです。
それまで北京市場に並んでいた青森りんごは、日本の商社が神戸から香港に送り、香港のディーラーが中国に送って陸路北京に持ち込まれていました。コスト、時間面で無駄が多く、安価な中国産と競争できるものではありませんでした。
稲村氏は自らの専門知識を活かし、輸送ルート全体の経路・手段を最適化することで、高品質な青森りんごを北京の市場に並べました。それは中国産りんごの数倍の価格にもかかわらず、数日で完売しました。
青森の高級りんごには、国際的な競争力があるということが実証できたのです。
流通の最適化で地域を支援するりんご輸出プロジェクト
今回のプロジェクトのキーパーソンは(有)片山りんごの片山寿伸氏と、北京市果品公司の王兢氏。
講演などで交流のあった人から『欧州にりんごを輸出している人がいる』といううわさを聞いて直接連絡し、パートナーとなったのが生産者の片山氏。中国側の流通を任せられる業者がなかなか見つからなかった稲村氏が、中国の学会で基調講演を行った際、学会関係者に相談したところ紹介されたのが王氏。
専門分野の活動を通じたこの二人との出会いが、プロジェクトの成功につながったのです。
「地域の産業振興と、基盤となるインフラの有効活用と、そしてまちづくり。それらが合わさったものが今回のプロジェクト。」と稲村氏は語ります。
地域で愛されるりんご。時代の先を見ていた生産者や販売者。地域の基盤である港湾。こうした地域の資産を、技術者の思いと知恵がコーディネイトし、「農産物をブランド品として輸出する」という新しい価値をつくり上げたのです。
稲村氏は自ら、農産物輸出会社を設立しました。今年は生産販売組合組織として、生産農家も出資する形に衣替えします。その利益はほとんど出資者である農家、そして地域に還元する予定です。
その理由を稲村氏は次のように語っています。「地域に生き、地域に誇りをもてる人たちが集まっていれば、その地域は持続可能です。それにはまず経済的な持続可能性が重要。そのうえで農家の人たちとは『若者や団塊世代の人たちに、りんご生産に限らず農村体験などを通じ、地域に興味をもってもらえば、地域の魅力が認識されるようになる』という話をしています。利益の一部はそういう活動につなげてほしい。弘前や津軽という地域の魅力-追分山の麓や白神山地のすぐそばで農業をする魅力- が伝えられれば、喜んで定住したり、新しく人が訪れたりする。そうした地域の強さが、りんごの生産体制だけでなく、地域そのものを支えていくんだ、と。」
行動する技術者たち取材班
中島敬介 NAKAJIMA Keisuke 国土交通省国土技術政策総合研究所 交流研究員
正会員
参考文献
1)農産物等の輸出に向けた東北農政局の取り組み(平成16 年)
2)ニック・ロジスティクスホームページ
土木学会誌vol.91 no.3 March 2006
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第2回 「守り」の農業から「攻め」の農業へ(PDF) | 438.35 KB |
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