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本稿は、全国土木弁論大会2026で述べた弁論のテキスト版とその解説である。弁論は七分間という制約のもとで、根拠の説明を大きく省いて要点だけを伝えた。そのため誤解を招きかねない箇所がある。そこで、当日の弁論の原稿を掲載し、各場面のあとに補足の解説を書き加えた。
みなさん、土木好きですか?
美しい橋、巨大なダム、私たちの生活を支えるインフラ。
土木ってすばらしい!
多くの方が、そう感じているのではないでしょうか。
でも、私が向き合ってきた土木は、その完成した姿でも、感動の物語でもありません。
人の命のすぐ隣で、判断をし続ける、あの苦しい時間そのものです。
今日は、そんな苦しい時間だった土木を、どう変えたいか。
その私の願いを、みなさんにお伝えしたいと思います。
【解説】この弁論は、土木の完成した姿ではなく、それを造る現場で人命のすぐ隣に立って判断を続ける時間を主題とする。以下では、一件の失敗の経験を出発点に、その願いの中身を順に述べていく。
深さ二メートル。
自分の背よりも高い、土の壁。
「簡易土留めを手配してくれ」
若い職長が私に言いました。
簡易土留めとは、土を掘る時に、その土が崩れることを防ぐ設備です。
けれど、それを入れれば工事は少なくとも三日は止まる。
私は、工事を止めたくなかった。
「もう少し、このまま頑張ってほしい」
その瞬間、彼が私に詰め寄りました。
「殺す気か」
二十数年前。私がまだ20代後半、初めて現場を任された頃の話です。
【解説】この場面での私の誤りは、三日間の工期の遅れと、土が崩れる可能性とを、同じ天秤に載せて比べたことにある。工期の遅れは取り返せるが、人の命は取り返せない。しかも、工期の遅れは今日確実に生じるのに対し、土砂崩壊は確率的にしか生じない。確実な損失と不確実な損失を比べれば、人は前者を避けたくなる。これは私の性格の問題ではなく、判断の構造の問題である。ゆえに、同じ状況に置かれた者は、同じように間違えやすい。
当時の私は、思い違いをしていました。
もちろん、事故を起こしてもいい、とは思っていませんでした。
けれど、安全よりも、工期や利益の心配が、頭をよぎりました。
私は、法令規則の数字だけを見ていました。
「二メートル未満なら大丈夫だろう」
でも、実際土が崩れるかどうかは、法令規則や教科書の数字だけでは決まりません。
土の状態、天候、周囲の状況、判断材料は現場にいくらでもありました。
ですが当時の私は、法令規則を自分に都合よく解釈し、それを盾にして、安全をないがしろにしたのです。
その思い違いを突きつけたのは、たまたま、その日に代理で来ていた、私より若い職長でした。
彼のたった一言が、私の心に深く、突き刺さりました。
【解説】私が頼りにした「二メートル未満」は、労働安全衛生規則第三五六条が定める手掘り掘削の勾配の上限であって、「崩れない」ことの保証ではない。本来見るべきだったのは同規則第三六一条である。同条は高さの数値によらず、崩壊等により危険を及ぼすおそれのあるときは土止め支保工を設けよと命じている。職長が求めたのは、まさにこの条文が命じる措置であった。法令は守るべき最低基準であって、免罪符ではない。都合のよい一条を盾にして別の条文を見ないことは、法令を守ることとは違う。
その日、結局土は崩れませんでした。
では、私の判断が正しかったのでしょうか?間違えたのは私に詰め寄った若い職長でしょうか?
もちろん違います。
あの日を分けたのは、職長の一言でも、私の判断でもない。
ただ、たまたま、何も起きなかった。
そして、判断を間違えたのは、私です。
【解説】結果が良かったことは、判断の正しさを何ら証明しない。判断の良し悪しは、その時点で得られた情報に照らして決まり、結果はそのあとに確率的に生じる別の事象である。結果から判断をさかのぼって評価する誤りを、結果バイアスという。さらに厄介なのは、悪い判断が良い結果を生むと、人はその判断のほうを学習してしまうことである。「今回も大丈夫だった」という経験が積み重なり、安全余裕は少しずつ食いつぶされていく。事故は、異常な人間ではなく、成功体験の延長線上で起きる。
あれ以来、私は自分に問い続けてきました。
私はあのとき間違えた。
人の命を、危険に晒した。
では、私は二度と、間違えないと言えるでしょうか。
残念ながら、言えません。
「二度と間違えない」、とは言えないのです。
【解説】間違いを決意で防ぐことはできない。決意は測ることができず、鈍っても気づけず、疲れていれば効かない。私を間違えさせたのは知識の不足ではなく、工期の圧力や、法令の数字が与える安心といった構造であった。その構造は、決意では変わらない。だからこそ「二度と間違えない」と誓うのではなく、間違えても人が死なない仕組みを求める必要がある。
今、私は、働きながら大学で「安全」について研究をしています。
「安全」の世界では、基本的な考えはこうです。
人は間違える。機械は故障する。
「間違えるな」「故障させるな」、もちろん大事ですがそれだけではなく、間違いや故障が起きることを前提に、現場を考えるのです。
【解説】「人は間違える、機械は故障する」を前提に現場を設計することが、安全工学の出発点である。この考え方は、機械安全の分野ではすでに当たり前になっている。機械の設計者は、使用者が間違えることを前提に、安全装置が壊れたら機械が止まる側に倒れるように設計する。同じ国で同じ工学教育を受けた技術者が、機械を造るときは使用者の間違いを前提とし、構造物を造るときは作業者の注意力を前提とする。この非対称は、必然ではない。
今、建設現場には、カメラ、センサー、AIなど、安全対策のICTツールが増えています。
たとえば、人と重機の接触を防ぐために、センサーを付ける。危なくなれば警報が鳴る。
では、そのセンサーが壊れたらどうなるのか。警報が鳴らなかったら。鳴っても、誰も気づかなかったら。解除されたら。操作を間違えたら。
人や機械が失敗した時のことまで考える。
そこまでやって、安全を確保することができるのだと思います。
【解説】安全装置を「付けた」ことと、「安全になった」ことは別である。センサーは汚れや振動で故障するが、故障しても警報が鳴らないため、正常な状態と見分けがつかない。誤報が多ければ警報は無視され、作業の邪魔になれば現場で切られる。問うべきは「対策があるか」ではなく、「その対策が失敗したとき、何が起きるか」である。この問いに工学的に答えるのが、機能安全という考え方である。機能安全とは、センサーや制御装置といった「安全を担う機能」そのものに、どれだけの信頼性が必要かをあらかじめ定め、故障を自己診断で検出し、検出したら機械を止まる側(安全側)へ導くように設計する枠組みをいう。国際的にはIEC 61508がその基盤であり、機械分野ではISO 13849やIEC 62061がこれにあたる。要は、装置が「壊れないこと」を願うのではなく、「どれだけ壊れにくくあるべきか」「壊れたときにどう振る舞うべきか」を、はじめから設計上の要求として決めておくのである。センサーを付けただけでは、この信頼性は確保されない。対策が失敗しても人が死なない現場だけが、本当に安全な現場である。
さらに、その人や道具が活躍する「前」の段階、つまり計画や設計の時点で、リスクを徹底的に排除したい。
近年、これまで現場で解決してきた課題を、それより前の段階で解決しようとする、フロントローディングの重要性も認識されてきました。
であればぜひ、安全のフロントローディングも実現すべきではないでしょうか。
工事が始まる前に、そもそも危ない作業をなくす。
危ない作業を目の前にして、現場の人に「気をつけろ」と言うのでは遅い。
リスクへの対応を現場に委ね、現場の努力だけで安全を保つのではなく、リスクそのものをなくすことで現場を安全にするのです。
【解説】機械安全の国際規格であるISO 12100には、スリーステップメソッドと呼ばれるリスク低減の手順が定められている。ステップ1:本質的安全設計方策。危険源そのものをなくす。あるいは、人が危険源に近づかなくても作業が成立するようにする。ステップ2:安全防護および付加保護方策。危険源を残さざるを得ないなら、柵、インターロック、センサーで人と危険源を隔てる。ステップ3:使用上の情報。それでも残った危険について、手順書、標識、教育、警告で人に伝える。「気をつけろ」は第三の、最も弱い手段である。人が正しく読み、覚え、思い出し、そのとおり動いたときにしか効かないからだ。ところが建設現場の対策は、この最も弱い手段に集中している。なお、生産性のフロントローディングが急速に進んだのに安全のそれが進まないのは、意識の問題ではなく誘因の問題である。上流で手間をかけても、その「死なずに済む」という便益を受け取るのは下流の作業者であり、コストを払う側と便益を受ける側が分かれている。だから、放っておいては進まず、制度で埋めるしかない。
安全は、現場だけの問題ではありません。
施工者が計画の時から、設計者が設計の時から、発注者が発注の時から、現場の安全を最優先に考えるのです。
そうすれば、工期や利益と安全を天秤にかけることも、たまたまの偶然に命をゆだねることも、なくすことができる。
【解説】現場の危険の多くは、工法・工期・単価・事前調査の粗さなど、着工前の発注・設計段階で既に決まっている。すなわちリスクは上流で作られ、下流で表面化する。これまで上流が下流の安全を引き受けずに済んだのは、「現場のことは現場にしかわからない」という言い分があったからではないだろうか。しかしBIM/CIMの普及により、施工手順を設計段階で可視化し、人がどこに立つかを机上で確認できるようになりつつある。見えるようになった以上、見なかったことは、もはや不可抗力ではない。実際、英国のCDM規則や、2025年に発行されたISO 19650-6は、発注者や設計者に予防の義務を課す制度として、すでに運用されている。責任を配分し直し、発注者、設計者、施工者それぞれがリスク低減の責任を果たすことは、理想論ではない。
「殺す気か」。
この一言を、二度と、誰にも言わせない現場を実現することができる。
この実現が、私の願いであり、これを実現することが、いまの私にとっての土木です。
建設業では、毎年、200名から300名の尊い命が、現場で失われています。
完成した姿だけではなく、現場で働く人の命まで守ってこそ、土木は本当にすばらしくなる。
私はそう信じています。
ぜひみなさん、一緒に変えていきましょう。
ご清聴ありがとうございました。ご安全に!
【解説】建設業の死亡者数は、直近の2025年で214人であり、前年から減少したとはいえ、全産業の約三割を占め、依然として最多の業種である。
安全とは、正しい人がいる現場のことではなく、間違えた人がいても人が死なない現場のことである。私自身、同じ状況に置かれれば、また間違えるかもしれない。だからこそ、間違えても人が死なない現場を、個人の決意ではなく制度によって実現したい。それが、この弁論で伝えたかった願いである。
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