全国土木弁論大会2025「有馬優杯」 最優秀賞・オーディエンス賞
「『お陰様』と当り前のインフラを考える」 岩橋 公男
皆さんは、「土木」と聞いてどのようなイメージをお持ちでしょうか。
今日ここにいる皆さん、そして、画面の向こうの皆さんも、「土木は素晴らしい!」との想いを持つ方が多いのではないでしょうか。
物事には、必ず二面性があります。正と悪。表と裏。土木も同じです。陰の部分を語ることで、表の素晴らしさがより深く伝わるのではないでしょうか。
私は、ゼネコンに入って33年間、現場で色々なインフラを造ってきました。原子力発電所、下水処理場、地下鉄、駅、活線の橋梁架け替えなどなど。
現場では、きれい事だけではすまないことがたくさんあります。 近隣住民からの昼夜休日問わずの批判、危険と隣り合わせの現場、使命感の薄い作業員との軋轢、発注者との闘い、そして、ここでは語れない陰の部分も多々ありました。 厳しい苦難に何度も涙し、くじけそうになりながらも、必死に乗り越えてきました。そして、そこに作業をする人達がいてこそ出来上がるということも痛感しました。 その中で、完成はもちろん、少しずつできていくことの喜び・感激、近隣からの「ありがとう」の言葉。土木を愛せざるを得なくなりました。 まさに現場は、二面性に満ちていました。 若い頃、街中をヘルメットに長靴で歩くと、遠ざかる視線、侮蔑の言葉が刺さりました。
「作業員がいなかったら、これは造れない。この恩恵を受けるのは、あなたたちですよ。」と、どれほど言いたかったかことか。 皆さんは、「土木は素晴らしい」と言う時に、汗を流す作業員に想いを馳せたことがあるでしょうか。 こんな話があります。
高速道路関係の工事をしているとき、反対している住民が言います。「俺は車に乗らないから、高速道路は要らない。」と。 私は、「すみません。」と頭を下げるしかありませんでした。けれど、本当は言いたかった。 「あなたは、八百屋に新鮮なキャベツを買いに行きますよね。そのキャベツはどうやって八百屋に運ばれてきたのですか。産地からトラックで高速道路を使って運ばれてきたのではないですか。 その高速道路を造った時に地元の人達は、涙を呑んで来たのです。今度は、あなたが涙を呑む番になったのではないですか。」と。その工事は、反対者3人のために2年、工事が止まりました。 こんなことも最近ありました。弊社が建てたマンションの住民が、隣の新築の弊社の工事現場に対して、「うるさい、なんてひどい工事をしているのだ。なんて会社だ。」とSNSに書き込んでいました。 自分の住んでいるマンションも同じような工事をしてできているのです。その時に誰の迷惑も掛けずに工事がなされたのでしょうか。お互い様の感覚はないのですね。 そして、そのうるさい環境の中で働く作業員がいるのです。その人達への想いはないのでしょうか。 インフラは、市民の暮らしを支える礎です。電気、水道、交通などそれが当り前の様にあることで、市民の生活が「安全・安心・快適」になります。
けれどもそれは、本当に「当り前」なのでしょうか。 「安全・安心・快適」の陰には、「英知・努力・犠牲」があってこそではないでしょうか。 「当り前」こそが、その陰に色々な人達のはたらきがあってこそであって「当り前」ではないと私は、考えます。 日本語には『お陰様』という素晴らしい言葉があります。陰に『お』も『様』もつける様な心を日本人は持って来ました。土木は、まさに『陰』に当たります。
陰は決して表に出る必要はなく、陰のことを想ってくれる人達がいればそれで良いのです。 当り前は、陰があってこそ、今、その陰の部分に想いをはせることもなく、当り前が当り前になりすぎているように想えて仕方ありません。 『お陰様』が死語になりつつありませんか。私は、『お陰様』を復活させたいと願っています。
最後に、皆さんに一つ質問します。
東京メトロでは、夜中、終電後に一日何件の工事が行われていると思いますか? 答えは、およそ200件から250件です。軌道、電気、信号や、土木、建築など、様々な作業があって、それが、初電前にはきれいに終わっている。 それで日々、安全で安心で定時に地下鉄が走っているのです。 まさにお陰様ではないでしょうか。人々が寝ている時間に汗をかいている人達がいることに感謝の心を持つこと、子供達には、そんな教育が必要と考えます。 そうでないと、電車が少し遅れただけで、駅員にクレームを言う人になってしまうのでは、と思います。 「当り前」である事への感謝。そして、その「当り前」を当り前にしている人達への感謝。
「お陰様」の心を私たちの社会の中に広げましょう。そして、市民に向かって堂々と「土木は素晴らしい!」と語りましょう。 |