2004(平成16)年7月にユネスコの世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は,熊野三山(熊野速玉大社,熊野本宮大社,熊野那智大社)や高野山をはじめとする霊場と,これらを結ぶ参詣道を対象としている。
その参詣道である熊野古道は,関西方面からの「紀伊路」「大辺路(おおへち)」「中辺路(なかへち)」,高野山との間を短絡する「小辺路(こへち)」,吉野山から入る「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」,伊勢神宮とを結ぶ「伊勢路」など,いくつかの街道から構成される。このうち伊勢路は,伊勢神宮を起点として現在の国道42号線とほぼ同じルートをたどり,尾鷲(おわせ),熊野を経て新宮,本宮へと至る街道で,お伊勢参りの人々がさらに足を伸ばして熊野三山を目指したと言われる。この伊勢路は,三重県熊野市大泊町と同市木本町の境界で標高135mの松本峠を越える。その直下にある道路トンネルが木本隧道(きのもとずいどう)である。
三重県南部における道路網の整備は,県庁所在地の津を起点として1910(明治43)年,荷坂~長島が開通し,1917(大正6)年には尾鷲へと達した。この区間には,長島隧道(紀北町),海野隧道(同),道瀬隧道(同),三浦隧道(同),相賀隧道(同),尾鷲隧道(紀北町/尾鷲市)などの煉瓦造りのトンネルが建設され,いずれもほぼ原形をとどめたまま現存して,交通路のあゆみを伝える貴重な土木遺産となっている。
熊野古道の難所のひとつであった松本峠に,隧道を含む道路を建設する計画は,1921(大正10)年の三重県議会に上程され,1924(大正13)年度から3年間の継続事業として行われることとなった。道路改修の延長は1896mで,ここに延長509.0m,有効高さ4.4m,有効幅員4.24mの木本隧道が建設された。
木本隧道の工事は,三重県の設計・監理,京都の矢野組の請負により1925(大正14)年1月14日に着工した。掘削工法は,頂設導坑(ちょうせつどうこう)を掘削し,丸形(両側のアーチ部分)を切り拡げ,中背(ちゅうぜ),大背(おおぜ)と掘削して最後に土平(どべら:側壁部分)を返すいわゆる日本式掘削工法によって行われたが,これは当時の標準的トンネル掘削工法であった。掘削は発破を使用し,支保工(しほこう)には枝梁(えだばり)式支保工と後光梁(ごこうばり)式支保工が用いられた。覆工(ふっこう)は204.3m区間のみに施され,アーチが煉瓦,側壁が煉瓦と場所打ちコンクリートの併用で,煉瓦の巻厚は地質に応じて3枚巻~5枚巻とし,その他の区間は,地質が良好であったため無巻とした。
工事は両坑口から掘り進め,1925(大正14)年11月20日に導坑が貫通し,翌年6月30日に本体も竣工して,同年7月26日に県知事(県土木課長が代理),県会議長,県会議員ら約200名の参列の下に,盛大な開通式が挙行された。
木本隧道へは,JRの紀勢本線熊野市駅で下車し,熊野古道の松本峠方面を目指して徒歩15分ほどで到着する。現在,松本峠の下には海側から国道42号線の鬼ヶ城トンネル(延長570m,1964年開通),木本隧道,紀勢本線の木本トンネル(延長891m,1956年開通)の3本のトンネルが貫いており,木本隧道は「鬼ヶ城歩道トンネル」と改称されて乗用車,二輪車,人道の専用道に用いられている。昭和初期までの道路トンネルは,その長さや施工技術など,鉄道トンネルに比べて見るべきものはほとんどなかったが,延長500mを超える道路トンネルは,栗子トンネル(福島県/山形県)に次ぐもので,県の手がけるトンネル工事としては大がかりな事業であった。当時,南紀地方の鉄道は,全国的に見ても鉄道の建設が遅れた地域であったため,道路の整備が先行し,木本隧道をはじめとする一連の道路トンネル群が明治末から建設されたのである。
木本隧道の坑門のデザインは,両坑口とも壁柱と帯石,笠石,迫石,扁額を備える重厚なもので,基本的にはイギリス積み煉瓦で積まれているが,壁柱のみコンクリート構造で,独特の凹型模様がある。扁額には「木本隧道」と記されており,これは開通時の三重県知事・山岡国利の揮毫によるものである。坑門のデザインそのものは,明治期の煉瓦・石積みによる鉄道トンネルで多用された古典的意匠である。内部は,1972(昭和47)年に内巻補強をしたため原形ではなく,覆工区間はコンクリート,無巻区間は吹付けモルタルで覆われている。
南紀地方を訪れる機会がある方は,南紀名物「めはりずし」をお供に,木本隧道をくぐり,熊野古道の松本峠コースや鬼ヶ城の奇岩など,付近の名所旧跡へと足を伸ばしてみてはいかがだろうか。
諸元・形式:
工法 日本式掘削工法
規模 延長509.0m/有効高さ4.4m/有効幅員4.24m
竣工 1925年
(出典:木本隧道 (現・鬼ヶ城トンネル)(土木紀行),小野田 滋,土木学会誌89-12,2004-12,pp.108-109)
三重県熊野市大泊町,木本町