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ホーム › 2003年 › 最上橋

最上橋の解説シート

概要

名称
最上橋
所在地
山形県/
寒河江市・大江町
竣工年
昭和15年
選奨年
2003年 平成15年度
選奨理由
最上川に架かる最上橋は、3連の美しいリブアーチ橋の姿、調和のとれたバルコニーと高欄が歴史を物語る貴重なる土木遺産である。

沿革や緒元・形式

「さみだれを あつめて早し 最上川」
江戸時代の俳人,松尾芭蕉の「奥の細道」であまりにも有名なこの句は,漫々と水をたたえてすさまじい勢いで流れる最上川を見事に描写しながら,どこか旅情をかきたてる。日本三急流の一つに数えられる最上川は,山形県と福島県の県境にある西吾妻山(標高2035m)を源流とし,米沢盆地・山形盆地を抜けて北上,新庄盆地で進路を西に変え,庄内平野を経て日本海に注ぐ。その流域面積は7040k㎡,山形県全体の約76%を占める。芭蕉は旅の途中,新庄盆地の本合海(もとあいかい)から下流の清川までの約七里を舟で下り,冒頭の句を詠んだという。急流ではあっても,最上川は舟運による経済の大動脈としての機能を歴史に刻んできた。

置賜(おきたま)地方の流れを集めた最上川は,山形盆地の北部,中流域に入ると大きく迂回するようにゆったりとした流れになる。流れが大きく東に向きを変える瀞のほとりに,明治期の船着き場として栄えた左沢(あてらざわ)がある。舟運の中継地として栄えた景勝の地,左沢では昭和に入って「世界三大舟唄」の一つ,最上川舟唄が誕生した。最上川舟唄は,伸びやかな旋律にのせて,川とともに生き,川とともに栄えた大江町(1959(昭和34)年に左沢町と漆川村が合併して誕生)の歴史を語るのに欠かせない。最上川舟唄とともに昭和の大江町の歴史を刻んできたのが,最上橋である。

山形からJR左沢線に乗る。寒河江を過ぎ,沿線に名産のサクランボ畑を眺めながら,終点の左沢を目指す。楯山トンネルを抜けると,左手に広がる視界に,最上川と3径間の鉄筋コンクリート開腹アーチ橋,そして左沢の町並みが飛び込んでくる。最上橋は最上川に架かる国道458号の道路橋で,1940(昭和15)年に完成後60余年にわたり,地域のシンボルとして寒河江市と大江町を結んできた。2003(平成15)年12月に左沢バイパスの完成によって新しい「最上橋」が完成したため,交通拠点としての役目を終えた。しかし,(旧)最上橋となった現在,そしてこれからも,変わることのない大江町のシンボルとして新たな役目を担っていくだろう。

初代の最上橋は,1882(明治15)年,左沢の住人であった田宮源五郎らが中心となり,山形方面への重要な街道であった中郷村への架橋を計画したことに始まる。当時の左沢は,最上川舟運が盛んで商業の町として栄えていたため,対岸の中郷村とは経済上のつながりが強かった。そこで架橋にあたっては,中郷村からも費用と人夫の協力があり,建造に要した経費1000円余りのうち210円を中郷村が負担し,また420人が人夫として工事にあたるなどして,1883(明治16)年に完成した。しかし,木造の最上橋は1889(明治22)年の大洪水で落橋するなど,幾度となく修理と架け替えを繰り返してきた。しかしながら,度重なる水害等の影響で損傷が激しく危険な状態となったため,昭和13年度に東北振興土木事業として国庫補助を受け,1939(昭和14)年2月,山形市の土木建築請負業の佐藤宗治が約8万円で架橋工事を請け負った。1年8か月後の1940(昭和15)年10月に橋長97.6mのコンクリートアーチ橋,(旧)最上橋は完成した。

この最上橋は,3連からなる美しいリブアーチ橋の姿で,調和のとれたバルコニーと高欄が気品と風格を醸し出している。大江町を中心とする最上川流域は,NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台でも脚光を浴びたが,そのラストシーンを演出する背景にも優美な姿の最上橋が使われていた。また日本一公園(楯山公園)からの眺望は,多くの人に安らぎを与え県内でも有数の景勝地と呼ばれており,山形県が指定した最上川ビューポイントの一つにも選定されている。こうした最上橋を含む水辺の風景は大江町民の愛着が強いため,新しい橋のデザインと色彩には,自然の景観を損なわず,周囲に調和することが要求された。そこで新橋では,華美なものでなくシンプルであきのこないデザインが採用され,また色彩は山形県景観形成委員会での協議等を踏まえて(旧)最上橋との一体性がとられた。

最上橋の周辺では,今でこそ往時の河岸の形跡を探し出すことは難しいが,大江町市街地側(左岸)には,左沢温泉旅館の味のある建物が川面にたたずんでいる。また護岸は親水公園として整備されており,斎藤茂吉の歌碑やかつての川港を示す桜町渡船場跡があるほか,夏祭り灯籠流しや花火大会会場として(旧)最上橋一体が大江町民のイベント空間として利用されている。

山形県の母なる川として親しまれ,全国7位の229kmの長さを誇る大河・最上川には,多くの架橋が施されている。その中で,川の名と同様の「最上」の名称が付けられた橋は,この(旧)最上橋だけである。それ一つとっても,地域のシンボルとしての(旧)最上橋の文化財的価値は大きいものがある。デザイン的な美しさだけではない,土木遺産が持つ本当の価値を教えられた気がする。

諸元・形式:
形式 コンクリートアーチ橋
規模 橋長97.6m
竣工 1940年

(出典:最上川舟唄と「おしん」の舞台に映える最上橋(土木紀行),為国 孝敏,土木学会誌89-6,2004-6,pp.54-55)

所在

山形県寒河江市大江町

保存状況など

 

見どころ

 

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