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白い道/緑の丘陵を青い海へ開く、日本最北のホタテ貝殻の道

投稿者:仕事の風景探訪WG 投稿日時:火, 2025-08-26 08:00

仕事の風景探訪:事例11(北海道支部)【自然のチカラ】【コミュニティのチカラ】

事業者:北海道稚内市
所在地:北海道稚内市宗谷村宗谷
取材・執筆:ライター 大井智子
編集担当:笠間 聡(国立研究開発法人土木研究所 寒地土木研究所/仕事の風景探訪プロジェクト・北海道支局長)
     岡田智秀(日本大学/仕事の風景探訪プロジェクト・リーダー)

 

日本本土の最北に位置する稚内市の宗谷を訪れ、砕いたホタテの貝殻を敷き詰めたという道を歩いた。想像していたよりも柔らかく、歩き心地がよい。周囲には、宗谷丘陵の雄大な景色が広がっている。2011年に稚内市が整備した「白い道」だ。幅4mほどの道が約3kmにわたって、牧草地の中を縫うように続く。細かく砕いたホタテの貝殻を厚さ10cmほど敷き詰めてある。日が差し込むと白い貝殻が反射して、まばゆいばかりの純白な道だ。

 
取材時は徒歩やバイク、自動車で観光客が訪れていた(写真:岡田 智秀)

道の標高がピークに達すると、目前の眺めに思わず息をのんだ。白い道が海へと向かって飛び込んでいくようだ。ジェットコースターが頂点に達し、これから急降下していく時のシーンを思い出した。

 
白い道が海へと続いているように見えた(写真:大井 智子)

道はやがて、樹木群に囲まれた坂道にさしかかった。空気が澄んだ日は、大海原の向こう側に、利尻島の利尻山(別名「利尻富士」)が見えるという。

 
大海原が目前に広がった(写真:大井 智子)

平日にもかかわらず、何人かの観光客が白い道を訪れていた。徒歩の人は1人だけ。ほかはバイクや自動車に乗っている。みなそれぞれのスポットでしばし留まり、大自然の中の道を熱心に写真に収めていた。

白い道は、宗谷を代表する人気の観光スポットのひとつだ。そもそもなぜ道路にホタテの貝殻を敷き詰めることになったのか──稚内市役所に移動して、整備のいきさつを聞いた。

1万年前にできた地形と現代の風車を眺めて歩く道

ホタテの貝殻を敷き詰めたのは「宗谷丘陵フットパス」のゴール地点付近の区間で、以前は砂利道だったという。フットパスとは、既存のまちなみや自然を楽しみながら歩くことのできる小径のことだ。英国発祥で、日本国内では2000年前後に取り組みが広がった。

 
整備前は砂利道だった(写真提供:宗谷シーニックバイウェイ)

宗谷岬をスタート地点とする宗谷丘陵フットパスのロングコースは全長約11km。歩くと4時間かかる。宗谷丘陵の自然を楽しむために設定されたコースで、周囲には、約1万年前に氷河期の凍結と融解を繰り返したことでできた周氷河地形が続く。コースの途中に巨大な白い風車群が出現するなど、他で見ることのない壮観な景色を体験できる。

 
フットパスコースから宗谷丘陵の地形を望む。写真右下は放牧中の宗谷黒牛(写真:大井 智子)

 
宗谷丘陵に林立する風車群。全57基あり、ブレードの先端までの高さは最大約100m(写真:岡田 智秀)

ただ、コース設定当初は利用者数が延びなかった。JR稚内駅からフットパスのスタート地点まで車で45分ほど。わざわざ足を運びたくなるような強い魅力付けが求められた。

「過去の調査結果から、稚内市を訪れる観光客は20~30代の層が少ないことがわかっていました。若い層を引き付ける、新しい観光スポットの創出が大きな課題でした」と当時の内容について、稚内市建設産業部観光交流課観光戦略グループ主事の田原秀鳳さんは話す。

実は白い道の整備に先行して、フットパスコースに隣接する牧場では粉砕したホタテの貝殻を場内の小径に撒いていた。これが参考になったという。

 
フットパスコースの北側2kmほどのエリアに、「元祖・白い道」の名残があった(写真:笠間 聡)

もともとフットパスコースに指定された区間の大半はアスファルト舗装されていたが、ゴール地点付近だけは砂利道だった。「砂利道の区間のうち延長1kmほどを対象に、道路の維持補修の予算を使いながら、試験施工的に砕いたホタテの貝殻を撒いたのです」。稚内市建設産業部観光交流課観光戦略グループ主査の中本祐介さんは、当時をこう語る。施工性や見映えなどを確認したうえで本格的な導入に踏み切り、延長約3kmの区間を白い道として整備した。

 
白い道を施工する前は砂利道だった(写真提供:稚内市)

 
現在の白い道のスタート地点付近。写真奥側はアスファルト舗装(写真:岡田 智秀)

 
白い道のゴール地点付近。下り坂が続く(写真:笠間 聡)

ホタテの貝殻は2年に1度補充する

ホタテの貝殻は、次のような工程で処理される。

まず宗谷漁業協同組合に所属する組合員が水揚げした殻付きのホタテを加工業者に販売する。貝柱やヒモを取り除いた貝殻は各加工業者が洗浄し、粉砕した上で稚内水産物残滓処理協同組合の堆積場に運び込む。これらはしばらく山積み状態で雨風にさらし風化させて、1年後に汚染などがないかを検査した上で市内の土木業者などに販売する。

 
白い道のホタテ貝殻。粒形は40mm以内程度で、大きな貝殻もあった(写真:大井 智子)

白い道に撒くための貝殻は稚内市が購入し、敷設する。需要と供給のバランスは稚内市の水産商工課が調整している。稚内市建設産業部水産商工課水産振興グループ主査の大石祥治さんは、「昔はホタテの貝殻はやっかいもの扱いで、漁業関係者は処理に困っていました」と打ち明ける。

現在は、建設資材などとして活用する仕組みが構築されたことで、稚内市内ではホタテの貝殻は廃棄されることなく、すべて再利用されるようになった。ちなみに、粒度調整のない「切り込み砂利」の資材単価は1立方メートル当たり5000~6000円だが、粉砕したホタテ貝殻は50円程度。はるかに安い。

「ホタテの貝殻は海産物としての生臭さがありますが1年間、屋外に置くことで風化して匂いが抜けます。2024年度は、粉砕したホタテ貝殻の9000tすべてが建築資材などに活用されました」(大石さん)。

具体的に、白い道はどのように施工するのだろう。「ホタテの貝殻を想定した道路の仕様書は存在しないので、稚内市の砂利道の基準を参考にしています」。こう話すのは、稚内市建設産業部土木課事業推進グループ主任の福井達郎さんだ。粒形は40mm以内程度を目標とし、これを10cmほどの厚みで敷いてある。

2011年に施工した後、2015年に敷き均し作業を実施し、その後も2年に1度、貝殻の補充と敷き均し作業を続けているという。

 
稚内市建設産業部のみなさんに、白い道について教えてもらった(写真:岡田 智秀)

敷き均し作業では、幅員約3~4m、延長約3kmの道に、4~5cmほどの厚みでホタテの貝殻を補充する。2024年は約400㎥を補充し、材料費と施工費で660万円ほどのコストを掛けた。仮に砂利敷きで計算すると資材費は200万円ほど。砕いたホタテの貝殻の資材費は2万円なので大幅なコスト削減だ。

冬期は積雪のため、白い道は11月頃から5月上旬まで通行止め。敷き均し作業は、雪解けを待って4月末以降に実施する。

 
2024年4月の除雪作業の様子(写真提供:稚内市)

「新たにホタテの貝殻を補充したうえで、重機を使いながら地面を平らに均していきます。バンバン叩くと貝殻が砕けてしまうので、職人たちが技を駆使して力を加減しながら転圧していきます」(福井さん)。

 
2024年4月にホタテの貝殻を搬入した。雪解け水で濡れているため茶色く見えるが、乾くと純白になる(写真提供:稚内市)

 
重機で地面を平らに均していく。道路の右側は残雪(写真提供:稚内市)

ホタテの貝殻は白い道のほかにも、広く民間の間で活用されているという。貝殻の成分や地表を覆うことで、雑草の発生を抑制する効果もあるそうだ。「よく使われるのは、農地の土壌改良やぬかるみ対策です。見映えのために撒くのではなく、農地で使うことで土の質が良くなることや、泥の上に砂利の代わりとしてかぶせることで、ぬかるみを抑えてくれる。かつて、実証実験的に白い色が光を反射するため太陽光発電所の敷地に撒いたこともありますし、雑草対策などで庭に撒く人もいます」。大石さんのこの証言を、のちに我々取材チームは稚内市内の各所で目撃することになる。

白い道のスタート地点付近に観光拠点をつくる構想も

整備当初、白い道を訪れる人は少なかったが、テレビ番組で取り上げられるなどして2020年頃から人気が高まった。「今年、インスタグラムの投稿を調べたところ『稚内市』のキーワードでヒットしたのは3.8万件、『白い道』のキーワードは1.3万件の投稿がありました。稚内に関する投稿のうち3分の1が白い道の関連で、関心の高まりを実感しました」(田原さん)。

 
白い道から白い風車を望む(写真:笠間 聡)

人気の観光スポットとなったことで、新たな課題も生じている。白い道の両側に広がる牧草地は、民間の敷地だ。夏はオーバーツーリズムで車が押し寄せるため、牧草地に立ち入らないよう観光用の動画でマナーを呼び掛けている。また、白い道のスタート地点とゴール地点は看板で示し、一方通行での利用を誘導しているが、ゴール地点側から入る車もあるという。道幅が狭いのですれ違いするのが難しい。

これらの対策として、市はスタート地点やゴール地点を示す看板を目立つものにするなど工夫している。車からの乗り換えを促すため、数年前からJR稚内駅や宗谷岬でのレンタサイクルの貸し出しも始めている。

 
国道238号のバス停近くに大きな案内看板があった(写真:大井 智子)

「自動車やバイクでの利用が増えるのはありがたいことではありますが、できればフットパスの理念に戻り、徒歩や自転車での利用を増やしたい。ただ、白い道のスタート地点には駐車場やバス停はないし、宗谷岬の展望台などを起点として白い道を歩こうとすると少なくとも11kmの長さになってしまうことが課題です」。中本さんはこう話し、稚内市が2024年3月に取りまとめた「宗谷岬周辺魅力創出基本構想」の概要を説明してくれた。

「白い道のスタート地点近くに駐車場や休憩所、トイレを備えた観光拠点を創出し、白い道沿いに小規模なビュースポットをつくる構想です」。このほか、白い道のスタート地点まで観光客をシャトルバスで送り、そこから歩いてもらうアイデアや、白い道に並行して新たなフットパスを整備して白い道をコンパクトに周遊できるルートをつくることで、周遊性を高める構想もある。最終的には自動車から、徒歩や自転車、シャトルバスなどへの転換を進めることが狙いだ。「具体的な検討はこれから始まるところなので、実現はまだ先になると思います」とのことだ。

ニュージーランドの石灰の道を参考に

そもそも白い道のアイデアは、どのように生まれたのか。田原さんに白い道の誕生秘話を知るキーマンを紹介してもらい、さっそく取材に向かった。

 
杉川さん(中央)と中場さん(左)に白い道が誕生したいきさつを聞いた(写真:岡田 智秀)

「元祖・白い道」は、現在の白い道の2kmほど北側に位置する社団法人宗谷畜産開発公社(現在は解散)の敷地内に、1999年につくられていた。

「当時、宗谷畜産開発公社では、子どもたちを対象に環境学習を実践する『エコビレッジ』を運営していました。場長の氏本長一さんが景観をよくするために、漁業組合が捨てていたホタテの貝殻を粉砕して小径に撒いたのが最初です」。

こう話すのは、宗谷シーニックバイウェイルート運営代表者会議(以下、宗谷シーニックバイウェイ)事務局長の杉川毅さんだ。本業は稚内印刷株式会社の代表取締役会長だが、稚内観光協会常務理事のほか、観光地域づくり法人 きた・北海道DMOの副代表理事も務めている。杉川さんと一緒に取材を受けてくれたのは、宗谷シーニックバイウェイの代表を務める中場直見さん。宗谷バス株式会社代表取締役を務めており、稚内観光協会会長で、観光地域づくり法人 きた・北海道DMOの代表理事でもある。

 
宗谷畜産開発公社のエコビレッジの小径につくられていた「元祖・白い道」(写真提供:宗谷シーニックバイウェイ)

「もともとは、氏本さんがニュージーランドの牧場にある石灰を撒いた白い道を目にしたことがきっかけです。『白い道、緑の牧場、青い空のコントラストが最高』と感じた氏本さんは、宗谷で道に撒くことのできる白いものが何かないか、探したそうです」(杉川さん)。行き着いたのがホタテの貝殻だった。これを砕いて牧場内の小径に撒き、杉川さんに「見に来てよ」と声を掛けた。

「真っ白な小径を見て、これはいいなあと思いました。ちょうどその頃、フットパスの構想が持ちあがっていました。コースに想定されていたゴール地点付近の下り坂は、海や利尻富士への眺望が開けている。そこに撒いたらいいんじゃないかなと思ったのです」と当時を振り返る。

だが当時、ホタテの貝殻を本格的に建設資材として活用する仕組みは確立されていなかった。廃棄物処理法の壁もあった。「諦めかけていたころ、稚内市役所の職員の方ががんばって仕組みを構築してくれたのです。稚内市が稚内観光協会、稚内商工会議所、宗谷シーニックバイウェイなどの関係機関と連携して、2011年に白い道が完成しました」(杉川さん)。

 
取材時は自動車やバイクが白い道を訪れていた(写真:大井 智子)

だが、そこからもトントン拍子にはいかなかった。

「当初はほとんど人が来ませんでした」と杉川さんは苦笑する。自身のブログに「白い道」の写真を載せたりすると、少しずつ問い合わせが来るようになり、最初にバイクのライダーたちが訪れるようになった。あるライダーは、「北の最果てに行ったのに、沖縄みたいな景色に出会った」とコメントを添えてユーチューブに写真をアップしてくれた。

その後、バイク専門誌に白い道が掲載され、企業がCMのロケ地に使うなどして、徐々に存在が知られていった。コロナ禍を経て、2021年8月13日の交通量調査では、1日で475台の自動車と、277台の二輪車が白い道を訪れた。今では夏の週末に、写真を撮るため停車する車で渋滞が発生することもあるという。

 
車を停める時は路肩に寄せる(写真:大井 智子)

 
ビュースポットの近辺に、牧草地への乗り入れ部分が交差点状に広がっていた。観光客が車の停車帯やすれ違いに利用しているようだった。
撮影時は雨上がりで、水を含んだわだち部分の色が変わっていた(写真:大井 智子)

人気の観光スポットとなったことで、稚内市役所で聞いたように、杉川さんと中場さんもオーバーツーリズムへの危機感を抱いていた。2人とも、「道幅を広げても車の台数が増えるだけ」と考えている。できれば、白い道のスタート地点に駐車場を設けるなどして車の乗り入れを制限したり、交通料を徴収したりする仕組みを導入したいが、そのためにはゲートを設け徴収係員を常駐させるといった体制づくりが必要になるため、一朝一夕にはいかない。

2022年には宗谷シーニックバイウェイが、白い道での電動キックバイクの乗車体験とガイド付きフットパス体験の実証実験を実施した。「徒歩や自転車、キックバイクなどを活用してもらって、白い道の豊かな自然環境を保ち、ダイナミックな風景を眺めながら誰もが楽しめる場所を、将来にわたって維持していきたいのです」(中場さん)。

 
車を気にしながら徒歩で散策する人もいた(写真:大井 智子)

バスと自転車を乗り継いで白い道を楽しんでほしい

杉川さんは、宗谷シーニックバイウェイの活動で、スイスのツェルマットの「スイスモビリティ」を視察した時のことを教えてくれた。そこでは、電車やバスなどの公共交通機関とサイクリングやカヌーなどを組み合わせて、大自然を満喫しながら移動を楽しむ仕組みが実践されていた。

帰国後に「宗谷版スイスモビリティ」として企画したのが利尻島でのサイクルツーリズム。バスと自転車を組み合わせた観光だ。これらの経験をベースに、旅行会社と連携しながらバスと自転車を活用して白い道を楽しむための体制づくりに奔走した。

宗谷バスの代表取締役でもある中場さんは、「稚内観光協会と宗谷バスが連携し、2022年からJR稚内駅~稚内空港~宗谷岬をつなぐ『アクティブバス』の運行を始めています」と話す。運行期間は6~9月。日に2往復し、路線バスを補完するように走る。1便目は、バスに自転車を積載できる。2023年の自転車の積載台数は12~3台。今年度からはラッピング仕様での運行も準備しており、バスを利用したサイクルツーリズムの観光需要の掘り起こしに意欲的に挑んでいる。

 
宗谷バスの中場さんに「アクティブバス」を見せてもらった(写真:笠間 聡)

 
「アクティブバス」の座席数は16で、バス後方に自転車を12台積載できる(写真:笠間 聡)

 
「アクティブバス」をラッピングしたサイクルバス(写真提供:稚内観光協会)

自転車貸し出しの利便性も向上している。稚内観光協会のレンタサイクルは、宗谷岬の「BASE SOYA」とJR稚内駅にあり、クロスバイクや電動クロスバイクを貸し出す。例えば、バスで宗谷岬に行って、「BASE SOYA」で自転車を借り、宗谷丘陵の眺めを楽しみながらフットパスコースを走って白い道へとアクセスできる。自転車は宗谷岬と稚内駅のどちらで返却してもよい。

 
宗谷岬展望台の「BASE SOYA」にレンタサイクルを設置した(写真:大井 智子)

「道路の景観が観光につながる」という杉川さんの考えは、約20年間続けてきた宗谷シーニックバイウェイの活動で培われてきたものだ。

シーニックバイウェイとは、「景観」と「わき道」を合わせた造語。景観や自然などの要素を取り入れたルートを活用し、観光や地域活性化につなげていこうとする米国発祥の取り組みだ。道路そのものが観光資源という考え方で、日本では2005年に国土交通省北海道開発局が主導して「シーニックバイウェイ北海道」がスタート。現在は15の指定ルート、2つの候補ルートがあり、中でも特に景観に優れた区間を「秀逸な道」として指定する取り組みが2021年に始まり、道内全15区間が指定されている。稚内市内は、宗谷シーニックバイウェイの指定ルートであり、「秀峰・利尻山を望む道」と、白い道を含む「大地の息吹を感じる宗谷周氷河の道」の2つの「秀逸な道」の指定区間がある。

 
秀逸な道「秀峰・利尻山を望む道」(国道238号)。道路の路肩拡幅に併せて、もともと海側にあった電柱を陸側に移動し、海への眺望を確保した(写真:笠間 聡)

宗谷シーニックバイウェイの活動範囲は稚内市のほか、礼文町、利尻町、利尻富士町、浜頓別町と広域にまたがる。これまでの活動によって人とのつながりが生まれ、様々な情報を得ることで、フットパスや白い道づくりの活性化に尽力できたという。

「道路の景観を向上させていく取り組みを通し、『景観が人を呼び』、『景観に価値がある』ことを知りました」。こう話す杉川さんは、宗谷丘陵が北海道遺産に認定される前の2000年頃から、月に1度、壮大な景色を見るために丘陵に通ったという。「フットパスコースを設定して、宗谷丘陵を観光資源として活用しよう」と周囲の観光関係者に熱く語ったところ、周りの反応は「そんなところ、歩く人はいないでしょう」と芳しくなかった。「毎日眺めて見慣れた景色なので、地元の人はなかなかダイヤの原石に気づかないのかもしれないと思いました」。

レンタサイクルの導入も、当初、周囲は乗り気ではなかったが、いまは自転車ブームが到来した。「地域活性化につながる新しいものは何かないかと、いつも貪欲に探しています。これまでやったことのない試みは周囲に敬遠されがちですが、やり続けていけばどこかで花が開くと思っています」(杉川さん)。いま温めている構想は、白い道の夜間利用だ。道の両側に間接照明のフットライトを設置すれば、満点の星と、遠くにまたたく稚内市内の夜景を楽しむ場になるはずと考えている。

日常生活に溶け込む砕いたホタテの貝殻たち

関係者への取材を終えた我々は、白い道の夕景を確認するため、本プロジェクトの北海道支局長を務める笠間聡さんの運転するレンタカーで、寄り道をしつつ、再び現地に向かった。海岸沿いを走っていると運転席で、「あっ!」と笠間さんが声を上げた。「白いのがあった」。窓から見ると、海産物を干すと思われる海辺のやぐらの足元に、ホタテの貝殻がキラキラ光っている。さっそく車を停めて、写真に収めた。

 
海岸沿いにホタテの貝殻が撒かれていた(写真:大井 智子)

しばらく車が進んでいくと、今度はプロジェクト・リーダーの岡田智秀さんが、「あそこにも白いのが!」と叫ぶ。

すごい。

道路から、ホタテの貝殻が積まれている集積所のようなところが見えた。

 
ホタテ貝殻が積まれていた(写真:大井 智子)

そこから我々の目は、「白いモノ」センサーが起動したように次々とまちなかのホタテ貝殻を発見し、写真に収めていった。なかには「白い!」と誰かが叫んで車を停めてよく見たら、白い小石でがっかりしたこともあった。稚内市役所で大石さんが教えてくれた通り、ホタテの貝殻は日常の便利グッズとして使われており、地域の風景に溶け込んでいるようだ。

 
こちらは、ぬかるみ対策だろうか(写真:大井 智子)

 
照り返し効果への期待からか太陽光発電所の敷地に撒かれていた(写真:大井 智子)

 
交番では看板の下にホタテの貝殻が(写真:大井 智子)

現地に着くと、夕日が落ちる前に最後のミッションを実行した。稚内観光協会は、砕いたホタテの貝殻を詰めた「白い道ボトル」を2023年に商品開発。観光客が貝殻を白い道に撒いたり、記念に持ち帰ったりするために、ボトルを1本500円で販売する。これを岡田さんと笠間さんは2本ずつ、私は1本購入していた。

気に入った景観の場所を見つけて、細かな貝殻をさらさらと撒いた。2024年は49本売れたというので、「今年の販売分のうち、10分の1はすでに貢献したかもしれないね」と喜び合った。

 
白い道ボトルの貝殻を撒いた。この日の午前中は激しく雨が降り、夕方に晴れた(写真:大井 智子)

 
白い道ボトルは、現地の様子をプリントしたすてきなデザインだ。半分撒いて、半分は今も自宅の机上にある(写真:大井 智子)

昼過ぎまで激しい雨が降っていたせいか、夕方以降に見かけたのは観光客を乗せたタクシー1台だけ。我々は好きなところで何度も車を停めて撮影し、ゆっくり白い道を散策しながら、日没を待った。

 
雨上がりで訪れる人は少なかった(写真:大井 智子)

この日の東京は30度超えの真夏日だった。宗谷は風が強く、体感温度は10度を下回っている感じだ。あまりの寒風に涙を流しながら、海へと沈む夕日を眺めていた。

 
白い道が夕日に光り、海へと太陽が沈んでいった(写真:大井 智子)

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