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駅前で多治見独自の顔づくり 集客広場×用水再生の収束から生まれた居場所

投稿者:仕事の風景探訪WG 投稿日時:月, 2025-06-30 08:42

仕事の風景探訪 事例8(中部支部)【デザインのチカラ】【コミュニティのチカラ】【土地の記憶のチカラ】

事業者 岐阜県多治見市
所在地 岐阜県多治見市
取材・執筆・撮影:ライター 茂木俊輔
編集担当:大野暁彦(名古屋市立大学/仕事の風景探訪プロジェクト・中部支局長)


せせらぎの音と豊かな緑に包まれながら、お気に入りの場所で過ごす――。駅の目の前なのに、そんな贅沢な時間を過ごせる公共空間がある。JR多治見駅の北口に広がる虎渓用水広場だ。駅北口一帯の土地区画整理事業で用地を確保し、多治見市が2016年7月に供用を開始した。


虎渓用水広場のテラス。大人数で集える大テーブルやカウンターテーブルを設える

広さは50mプール3面相当。総延長約200mにわたって巡る水路には、約2㎞離れた土岐川から引き込む水が自然流下し、所々にテラスや小広場が配置される。テラスにはテーブルや椅子が備え付けられ、リモートワークも可能。無料Wi-Fiの環境がうれしい。

人口10万人規模の地方都市では、駅前と言えば交通広場が目の前にどんと居座り、主役は自動車交通。駅とまちとの間をつなぐ結節点というのが一般的だ。近くに駅ビルや繁華街でもない限り、人の姿は途切れがち。電車の発着に併せ現れては消え、虚ろな空間が残る。

ところがここは、ひと味違う。主役はあくまで歩行者だ。

平日午前は、サラリーマンや若者、それに親子連れが立ち寄り、近くの幼稚園や保育園からは数十人の園児がまとまって遊びに訪れる。駅北口は古くからの商店街で賑わってきた駅南口とは反対方向にあたるが、歩行者の姿が途絶えることはない。

駅北口にこうした広場を整備する構想は、30年ほど前に生まれた。

きっかけは、タネ地の出現だ。国鉄分割・民営化に伴い、駅北口に広がる機関区・操車場の利用が廃止された。市はこれを引き金に区画整理事業を通じた駅北口のまちづくりに乗り出し、1994年度には機関区・操車場の跡地を国鉄清算事業団から取得したのである。

 


土地区画整理事業前のJR多治見駅北口。右手に北口までの跨線橋が見える(写真提供:多治見市)

駅前に独自の広場をつくり、人が集まるにぎわいを

区画整理事業の計画図では、駅前の一等地を市は「多目的広場」と位置付けた。「旧国鉄跡地を貴重な公有地としてまちなかに確保し、他のまちにはない独自の広場をつくり上げよう、と計画していました」。区画整理事業の後半、2012年4月から事業完了の2020年3月まで事業担当部門に在籍していた現建設水道部上下水道工務課課長代理の守屋努氏は経緯を説明する。

2000年8月になると、市は多目的広場ワークショップを主催し、区画整理事業区域内の地権者をはじめ、まちづくりに関心を持つ市民らとともに、広場の整備計画を検討し始める。並行して新たな風景づくり計画策定委員会も立ち上げ、駅北口の魅力づくりに向けた検討も進めた。

多目的広場にまず期待されたのは、人が集まるにぎわいだ。

当時、多目的広場の整備計画づくりに携わっていた現都市計画部都市政策課課長代理の小木曽明芳氏によれば、広場内にはイベントを開催できる空間と客席代わりにもなる階段を整備する案を描いていたという。通過点になりがちな駅前を人が滞在する空間にしたいというワークショップ参加者の思いが、計画案ににじみ出る。


多治見市の守屋努氏(右)と小木曽明芳氏

多目的広場の構成要素には「水辺」も見込んでいた。市が2001年3月にまとめた「新たな風景づくり計画書」では、整備方針の一つとして「魅力的な水辺景観がまちをめぐる風景をつくる」を打ち出す。具体的には、水路の整備だ。「広場内にカスケードという段差のある水路を巡らせ、水の躍動を見せる、という想定でした」(小木曽氏)。

この水路に巡らせようとしていたのが、土岐川の水。虎渓用水として100年以上前から利用されてきた河川の水を再び活用した、独自の風景づくりを計画していた。

 


多治見市内を東西に横断する土岐川。虎渓用水には、この上流から水を引き込む

虎渓用水は農業用水として1902年に開削された。駅北口一帯に位置していた農村集落は江戸時代から水不足に悩まされ、近くを流れる土岐川から水を引き入れようとした歴史がある。その後、土岐川との間を隔てる虎渓山にトンネルを掘り、そこを介して水を引き入れ、地域一帯に用水として巡らせる工事を実施する。しかし、トンネル工事は困難を極め、集落は財産を売り払い、農家は私財を投げ売った、と伝えられる。用水の開削は地元にとって悲願の達成だった。

地域一帯の市街化が進むと、民家の軒先を流れる防火用水として利用されるようになり、そのうち雨水排水路に機能を転じる。それに伴い、暗渠化が進行。住宅地の間を走る生活道路の幅員に車両通行上の余裕を持たせる役割を果たすようになる。

 


舗装の異なる箇所の下に虎渓用水の水路が通る。暗渠化で道路の幅が広がった

広場の面積と水辺の面積のバランス確保に市が動く

その後、虎渓用水の再生を訴える声が、地元商工会議所からも上がる。「副会頭を務めていた伊藤良一氏が会頭賛同の下、商工会議所内で委員会を立ち上げ、多治見駅北地区の整備方針を独自にまとめたのです」と守屋氏はいきさつを語る。用水の再生には、開削に動いた先人の精神を次世代に伝える狙いを込めていた。

ワークショップで想定していた多目的広場とは何が異なるのか――。

守屋氏によれば、多治見独自の顔をつくり、多くの人が集えるようにしたい、というまちづくりへの思いは共通だが、水景への重きの置き方に違いが見られたという。「ワークショップでは水景を持ちつつも広場の活用に重きを置くのに対し、商工会議所では虎渓用水の再生に重きを置いていたように思われます」。

とはいえ、双方とも地元の声には変わらない。市は互いの案のすり合わせに乗り出す。その仕掛けが、「多治見駅北地区における虎渓用水を活用した水と緑の委員会」の立ち上げだ。2010年2月、伊藤氏を会長に発足。そこから15回にもわたって多目的広場の整備計画を煮詰めていく。


「水と緑の委員会」の様子(写真提供:多治見市)

最終的なコンセプトは、①日常でもイベント時でもいろいろな使い方ができる、いつでも活気ある場所②水と緑が重なり合い、その中に気持ちの良い居場所が織り込まれている場所③多治見ブランドとして他のどのまちにもない、ここだけの駅前風景――という3つ。これらに基づく整備計画案を、小学校区単位の地区懇談会、市広報誌での意見募集、市民500人アンケート、パブリックコメントなどの手続きで寄せられた声も踏まえ、修正を重ねた。

論点の一つは、広場の面積と水辺の面積のバランスである。最終的には、イベント空間としての広場を求める声を受け、広場の面積を当初の整備計画案より広げる形で落ち着いた。「『夏にはビアガーデンを開催したい』というように、ここでやりたいことが具体的に提案されていました。それができないようでは多目的広場を整備する意義が損なわれることから、みなさんがやりたいことがやれるだけの広さを確保することを優先しました」と守屋氏は経緯を明かす。

委員会の運営補助業務は玉野総合コンサルタント(名古屋市、現日本工営都市空間)が担当していた。そこに、オンサイト計画設計事務所(東京都港区)が事業協力者として加わる。多目的広場の設計段階では、かたや設計者として、かたや設計協力で参画することになる2社だ。

「駅北口にはどんな水辺空間がふさわしいのか、事例を委員会で熱心に視察に回り、『星のや軽井沢』のランドスケープ設計を担当したオンサイト計画設計事務所の名が挙がりました。そこで、委員会の運営段階から参画してもらったのです」(守屋氏)。

広場と水辺のバランス確保では、設計協力者の果たした役割は大きい。

「委員会ではさまざまな意見が出ます。しかしオンサイト計画設計事務所では、どんな意見も否定せず、ひとまず提案に取り込もうとする。その作業を丁寧に繰り返し、合意を得ていくのです。その取り組み姿勢には感心しました」。守屋氏はデザインの力に感嘆する。

 


JR多治見駅側から虎渓用水広場を見下ろす。正面に見えるのが、イベント広場

コストを抑えながら用水の水を広場に引き込むには

論点は、もう一つ。多目的広場内での用水再生をどう実現するかという点である。当初の計画は、既設水路の途中にある分岐点から広場まで新たに水路を整備し、分岐点からそこに自然流下方式で水を流す、というもの。維持管理コストを抑える狙いから、動力は利用しない。

ところが、地形がそれを許さない。守屋氏は解説する。

「分岐点と広場との間は水頭差6m程度。途中の起伏を乗り越える必要もある。自然流下方式で水を流すには、広場への流入地点を地面から3m下げざるを得ません。そこからさらに広場内を巡らせようとすると、その形状は極端な逆ピラミッド型になってしまうのです」。

そこで採用を決めたのが、水路の代わりに導水管を用いる方式だ。分岐点と広場の間を導水管で結び、分岐点側からの水圧で水を送り込む。これなら、広場への流入地点は地面から1m下げるだけ。広場内をさらに水路で巡らせるにも、深く掘り下げずに済む。

導水管は公道下に埋設するが、既設水路と並行する区間は暗渠化された水路内に敷設する。分岐点から広場まで導水管の延長は約1000m。委員会から条件付けられた毎秒200ℓの流水量を、この方式で確保することに成功した。広場内を巡った水は、再び導水管を通して既設の水路内に戻り、最終的には土岐川支流の大原川に流れ込む。

 


虎渓用水広場内の水路は、いくつかの段差が設けられ、水が自然流下していく造り

土岐川から取水するにあたっては、水利権の見直しを求められた。

水利権とは、特定の目的のために、その達成に必要な限度で、河川の流水を排他的・継続的に使用する権利。1896年制定の旧河川法で許可制を取り入れたが、土岐川からの取水はそれ以前から実態があったため、虎渓用水には慣行水利権が認められていた。

ところが、①権利の内容が不明確②見直しの機会がない③取水量報告の義務がない――という理由から、国は慣行水利権を1964年制定の新河川法で定める許可水利権に移行させていた。虎渓用水の再生論議をきっかけに、市は河川法を所管する国土交通省との間で新たな用水の活用方法の協議を始める。

その結果、農業用水としての目的を終えた虎渓用水は、環境用水として再活用が認められることになる。対象施設は、虎渓用水広場だけではない。市が同時期に整備するビオトープや散水用井戸ポンプも含まれる。「環境用水としての水利使用であるため、水辺の環境づくりや暑さ対策という観点から、この2つの施設も加えることにしたのです」と小木曽氏は理由を明かす。

 


散水用井戸ポンプは、虎渓用水の水路が巡る一帯に立地する小学校前に整備された

虎渓用水の再生に向けた課題をこうして乗り越えながら、2015年7月、多目的広場は整備工事を迎える。市は設計監理業務を設計協力者でもあるオンサイト計画設計事務所に委託。水と緑の委員会の運営補助業務や設計協力業務での実績を評価し、随意契約で発注した。

利用者自ら居場所を生み出せるように椅子は可動式

整備工事と並行して、市は2015年9月、多目的広場の設置・管理条例を制定。指定管理者による管理を定めた。「夏のビアガーデンなど市民が開催を望むイベントを開催しやすいように広場利用の自由度を上げるには、地方自治法上の『公の施設』と位置付け、運用については設置・管理条例で定めるのが一番、と判断した結果です」と守屋氏は経緯を説明する。


虎渓用水広場には集客力の高い各種のイベントでにぎわいが生み出される(写真提供:多治見市)

細かな縛りをなくそうという心意気は、可動式の椅子にも表れる。

広場内に備え付けの椅子はどれも、ただ置いてあるだけ。屋外に設置する椅子を盗難防止のワイヤーで地面にくくりつけている例も見られるが、ここでは解放されている。

「椅子を自由に動かせれば、例えば日陰など自分にとって気持ちの良い場所に居場所を好きに確保できます」と守屋氏。多目的広場のコンセプトに登場する言葉でもある「気持ちの良い居場所」は利用者自らが生み出すものでもあるという。

守屋氏はさらに言葉を続ける。「盗難防止に固定するというのが、行政の常識です。夜間だけ片づけるという案も出ましたが、手間がかかる。そこで思い切って、指定管理者が毎日、椅子の数を管理する程度にとどめたのです。市長にこの話を上げると、『椅子を盗むような市民は多治見にはいない!』と全面的にバックアップしてくれました」。

供用開始から9年。虎渓用水広場という通称が定着し、いまでは当初の期待通り、人が集まるにぎわいを生み出す空間として親しまれる。

2025年5月を例に取れば、市内で無肥料・無農薬栽培に取り組む生産者がオーガニック専門のマルシェを開催したり、市出身の女性ラッパーらが音楽・ダンスショーを開催したりするなど、にぎわいづくりに貢献する。指定管理者でもある一般社団法人多治見市観光協会(たじみDMO)も野外本屋を開設。駅北口に多治見独自の顔をつくる。

駅北口には、2015年1月に供用を開始した市の北庁舎に続き、本庁舎も移転してくる予定。供用開始は2029年上半期を目指す。その暁には、虎渓用水広場を新庁舎の前庭と位置付け、より一層のにぎわいを創出する計画だ。地方都市の庁舎は一般に、駅から離れた市街地に立地するが、その常識を覆す異例のまちづくりが控える。多治見独自の顔をつくる仕事は、まだ続く。

 


JR多治見駅北口には市庁舎が移転してくる予定。写真右奥には虎渓用水広場が広がる
 

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