仕事の風景探訪:事例1【記憶のチカラ】
事業者:(株)オリエンタルコンサルタンツ
所在地:神奈川県足柄上郡開成町
取材・執筆:土木ライター 三上美絵
編集担当:岡田智秀(日本大学/仕事の風景探訪プロジェクト・リーダー)
撮影:岡田智秀(前掲)
2024年12月にユネスコ無形文化遺産に登録され、世界中から注目が集まっている日本の「伝統的酒造り」。オリエンタルコンサルタンツは9年前、神奈川県開成町にある江戸創業の酒蔵を買い取り、子会社化して経営を再建。その立役者が、橋梁技術者だった森隆信さんだ。杜氏の起用から新たな酵母の開発、酒づくり、マーケティングまで、試行錯誤を繰り返しながら取り組んできた。
まさに「瓢箪から駒」だった。「まさか自分で酒蔵の再生と経営に取り組むとは、思ってもいませんでした」。瀬戸酒造店の社長で、オリエンタルコンサルタンツ地域経営推進事業部副事業部長を兼務する森隆信さんは、2016年当時をそう振り返る。
当時、新規事業開発の一環として地方創生事業を検討していた森さんは、関係者を通じて神奈川県開成町の元町長を紹介される。江戸時代から続く地元の造り酒屋を再生し、地域活性化につなげたいという構想を聞き、コンサルティングの相談を受けることになった。その造り酒屋こそが瀬戸酒造店で、1980年に自家醸造を休止して以降、他所で造った酒の瓶詰め・販売だけを細々と続けている酒店だった。
地方創生に関わる国の補助金を使って、酒蔵を復活できないか。検討を続けたものの、結果として必要資金の全額は賄えず、半分以上は自己資金を投入するしかないと分かった。創業家には、もはやその体力は残っていない。
このまま終わらせてしまうのは、惜しい。交付金の申請書をまとめる段階で、伝統的な日本酒づくりのイロハは学んだ。折しも、和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、「次は日本酒だ」とのムードが盛り上がっていた。開成町は東京にも箱根にも近く、水田が広がり、あぜ道にはあじさいが咲き誇る日本らしいロケーション。インバウンド需要の伸びも見込まれる。
山裾に水田が広がる開成町の風景。あぜにはあじさいが植えられている
「ウチがやると言ったら、どうします?」。森さんの申し出に、瀬戸酒造店のオーナーは一も二もなく同意した。
だが、大変なのはここからだった。役員会にかけると、一様にきょとんとした顔を向けられる。「お前、酒飲めないじゃないか」。その一言が、森さんの心に火を着けた。「酒蔵を経営するのと酒を飲むのと関係あるんですか?と言い返して、後に引けなくなってしまった」。森さんは、そう言って笑う。
役員会で指摘された懸念を議事録に残し、次回に解決策を示す。それを20回繰り返して計画をブラッシュアップし、ようやく親会社の承認を得ることができた。2017年6月、オリエンタルコンサルタンツは瀬戸酒造店の全株式を取得し、子会社化。社長に就任した森さんをはじめ、3人の社員が出向して現地に常駐している。
再生した酒蔵に立つ森隆信さん。後ろに見えるのが、酒米を蒸す甑(こしき)だ
いよいよ現地での開業準備が始まった。全国に造り酒屋が多々あるなかで、オリジナリティを打ち出すにはどうすればよいか。東京農業大学醸造科学科の教授に相談し、建て替え前の古い蔵から採取した「蔵付き酵母」と、開成町の花であるあじさいの「花酵母」で新しい酒を造ることになった。
問題は杜氏の採用だ。蔵を閉じておよそ40年、以前の杜氏はとうにいない。新規に雇用するにも、高齢化により全体数が減っているうえ、季節雇用が主流であるため、通年製造の新規酒蔵に正社員として入社を希望する杜氏はほとんどいない。各地の杜氏組合に当たったものの見つからず、最後の手段としてハローワークで募集したところ、現在の製造部長である杜氏の小林幸雄さんが応募してきた。
「新規の蔵で、新しい酒をゼロから造り上げるところに魅力を感じました」と小林さんは話す。それまで和歌山の蔵で働いていたが、家庭の事情で実家に近い関東へ移住したいと希望し、勤め先を探していたところだった。
左から森さん、杜氏の小林幸雄さん
森さんたちは古い蔵を解体し、更地に新たな蔵を建築。醸造設備も一新した。「設備は予想以上に高価でした。小林に何が一番重要かを聞き、甑(こしき=蒸し器)だけはいいものを入れようと。その代わり、他は手作りするなどやりくりしました」と森さんは言う。
酒蔵のオープンに、酒がなくては話にならない。蔵の工事の間、茅ヶ崎の蔵元の設備を借りて仕込みを行うことになった。2018年3月までに、どうしてもあじさい酵母を使った「零号」の酒を完成させよう――。森さんをはじめスタッフ一同が、このターゲットに向けて心を合わせた。
とはいえ、花酵母を使った醸造は、全員が初めて。「花酵母は力が弱い」と言われていることから、ベテランの小林さんも不安があったという。行けそうだ、と思える決め手になったのは、この土地の「水のよさ」だ。「瀬戸酒造店の井戸水を使って試作した酒は、他所の水道水を使った試作酒よりも断然美味しく、これなら大丈夫だと思いました」と小林さんは太鼓判を押す。
森さん自身、初めてこの地を訪れたとき、最も好ましく思ったのが「水」だった。「まち中を網目のように水路が通り、清流が流れていたのが印象に残っています」と語る。富士山麓と丹沢山系を源流とする酒匂川の伏流水が豊かに流れるこの地には、名酒を生み出す素地があるのだ。
つくばいから溢れる水が、開成町の原風景を象徴している
皆の思いが通じたのか、蔵付き酵母もあじさい酵母も、それぞれに力強く個性的な味を醸した。2019年から24年まで連続してフランスの「Kura Master」で受賞したのをはじめ、破竹の勢いで国内外の数々のコンテストで受賞。24年には受賞歴をポイント化して格付けする「世界酒蔵ランキング」で8位に輝いた。
酒蔵の入口には「杉玉」が吊るされていた
完成した麹。出来具合を拡大鏡でチェック
タンクに水と麹、蒸米、酵母、乳酸を入れて酒母を培養した後、麹、蒸米、水を段階的に加え、もろみを仕込む。1カ月ほどかけてじっくり発酵させる
ふつふつと音を立てて発酵するもろみ。甘くよい香りが漂う
瀬戸酒造店の酒はこれまで数々の賞を受賞している
瀬戸酒造店の創業一族は、江戸時代には代々この地の名主を務めていた。酒蔵の近くに遺された茅葺きの古民家は現在、開成町の所有となり、「あしがり郷瀬戸屋敷」として運用されている。オリエンタルコンサルタンツがこの屋敷の指定管理者となり、インバウンドツアーの誘致と受け入れ、イベントの開催、交流拠点となる直売所およびカフェの計画と運営などを手掛けている。
瀬戸酒造店のオーナー一族だった瀬戸家の住宅。茅葺きの立派な客間と枯山水の庭園を備える。別棟の母屋と土蔵がある。
瀬戸屋敷に常駐しているのが、オリエンタルコンサルタンツ関東支社から出向している技師の川口勇作さんだ。入社6年目の若手で、学生時代はコンクリート工学を専攻。交通系の部署にも興味があったが、人と接する仕事がしたいと、新人研修の終わりに地域活性化推進部への配属を希望した。
「田舎の出身なのでここの景色は珍しくないし、酒は好きだけど詳しくはない。特にワクワクする気持ちはありませんでした」。瀬戸屋敷に赴任した当初の正直な感想だ。仕事が面白くなってきたのは、前任者から引き継いで責任ある立場になり、現場を仕切れるようになってから。
ちょうどコロナ禍で地元の「あじさい祭り」が中止になり、農家が祭り用に育てたトウモロコシが行き場を失っていた。「瀬戸屋敷で販売しようと呼びかけて、大成功したことで自信が付きました」と川口さんは話す。今では、週4回年間200回訪れるアメリカからのツアー客を地元のボランティアガイドたちと一緒に楽しませている。
オリエンタルコンサルタンツの川口勇作さん。あしがり郷瀬戸屋敷の運営を担う
和食と日本酒に舌鼓を打つアメリカからのツアー客たち。ツアー会社によるアンケートの結果、年間の顧客満足度が100点満点で88点と、日本国内のツアーとしては極めて高いという
もう一人、関東支社から出向で来ている技術主査がいる。森さんが厚い信頼を置き、後継者と目している関詩織さんだ。瀬戸酒造店では総務経理部長を務める。「なぜウチの会社が酒蔵をやるのか。その理由を理解するまでが、じつは一番たいへんでした」と関さんは明かす。
瀬戸酒造店は、橋梁や道路のようなインフラではない。だが、この酒蔵が存在することで、地域の人たちが故郷を誇りに思えるとしたら、広い意味でのインフラと言えるのではないか。すなわち、酒蔵の再生がシビックプライドの一つの要素になり、ひいては地域活性化に結びつく可能性がある。関さんはそこに、自らの問いへの答えを見つけた。
関詩織さん。総務経理部長として瀬戸酒造店の経営を補佐し、あしがり郷瀬戸屋敷の運営にも関与している
「この仕事は面白い」。まったくの素人から飛び込んだ世界に魅了されているのは、森さんも同じだ。それまで長い間、技術者として橋梁設計を手掛けてきたが、経験を積むうちに、道路橋示方書に沿った設計の繰り返しに思え、当初に感じた創造の喜びが薄れてきていた。そんなとき新規事業を開発する部署に異動になり、たまたま出合ったのがこの仕事だ。
「酒蔵や古民家の空間プロデュース、日本酒というプロダクトとブランドの立ち上げ、スタッフへの接客指導。そうした全体のマネジメントが、自分にとってはとてもクリエイティブに感じられます」と微笑む。プロセスを計画し、ファクトを積み上げ、検証してフィードバックする。建設コンサルタントとして培った管理手法は、ここでも生かされている。
例えば、観光客が瀬戸屋敷から瀬戸酒造店へ向かう県道は、かつては狭くて歩くのが危険だった。そこで、町へ歩道整備を要望し、町が県に交渉して歩道整備を前倒しにするなど、行政との連携にも手腕を発揮。そのほか、2025年の町政70周年に向けた記念事業の企画委員や総合計画の見直しの委員会、地方創生の会議でも委員を務めるなど、まちづくりにも貢献している。
酒蔵の再生に始まった森さんたちの挑戦は、単に酒を造るだけでなく、酒蔵の存在がかつて連綿と果たしてきた「まちのハブ」としての役割の再生にまで広がりつつある。
あしがり郷瀬戸屋敷の敷地内の「管理棟」。関さんたちの提案で、「発酵」をテーマにしたカフェにリニューアルした
三輪自動車トゥクトゥクで酒蔵と瀬戸屋敷を行き来する。両者をつなぐ道路は、森さんと行政の連携によって整備された
酒蔵には「やるべき事がやれていなかった 共有ノート」が。PDCAを回して製造工程の改善を図る手法は建設コンサルタントの得意とするところだ
取材に訪れた12月初旬の開成町の風景。冬枯れの田園にも日本らしい趣がある