アジア土木技術国際会議(CECAR)
第1回アジア土木技術国際会議(1st CECAR)開催報告
アジア土木学協会連合協議会(ACECC)担当委員会
国際担当理事 石井弓夫
1.概要
本年の土木学会の主要なイベントである「第1回アジア土木技術国際会議」が1998年2月19日、20日、フィリピン・マニラ市において土木学会(JSCE)、アメリカ土木学会(ASCE)、フィリピン土木学会(PICE)の共催により開催され、盛会のうちにその幕を閉じた。ここではその概要を速報し、詳細は次号以降で報告する。
本会議は”Infrastructure, Sustainable Development and Project Management”をテーマに、アジアのインフラ整備と持続可能な発展に向けた土木技術の貢献を考えるもので、初日のPlenary Session(全体会議)では土木技術者でもあるラモス・フィリピン大統領により”AN OPPORTUNITY TO BUILD”と題する基調講演が行われた。また、二日目の同セッションでは、OECF(海外経済協力基金)元理事の笹沼充弘氏がODAや東南アジア諸国の建設市場に関する問題点を指摘する講演を行い、参加者に感銘を与えた。
会議は引き続きTechnical Track(技術分科会、JSCEが担当)とProject Management Track(PM分科会、ASCEが担当)に分かれて進められた。技術分科会では国際的インフラ整備における適用基準や標準、インフラ整備と環境問題、アジアにおける空港や地下鉄整備が、またPM分科会ではアジアの建設請負契約、資金調達から各国の商習慣に至る幅広い内容について発表や討論が行われた。
2.会議運営
本会議は、名誉議長:ルーサー・W・グラエフ(ASCE会長)、議長:パトリシア・D・ギャロウェイ(ASCE国際委員会委員)、副議長:宮崎 明(JSCE会長)、執行理事:フィリップ・F・クルス(PICE会長)他を役員とし、3カ国の土木学会がSteering Committee(運営委員会、委員長:パトリシア・ギャロウェイ)およびTechnical Committee(技術委員会、委員長:筆者)を構成して企画と運営にあたった。個々の企業名は紙幅の都合で略すが、本会議には国内の多くの企業から協賛をいただいた。
JSCEからは、宮崎会長、三好専務理事、筆者、国際委員会から富永副委員長、冨岡委員、花村委員、日下部幹事長らが出席した。また、メキシコ土木学会会長、大韓土木学会副会長をはじめ英国、スウェーデン等の代表も出席、「アジア会議の活動内容に関して重大な関心を持っている」との意見が多かった。
3.参加者会議
会議への参加者登録は、アジアにおける通貨危機等の影響も大きく、直前まで低調であったが最終的には700名が参加した。内訳はJSCEが120名(現地参加約20名を含む)、PICE520名、ASCE50名、他7カ国より10名であった。
4.プレ・カンファレンス ツアー
会議開催前の2月16、17日に、今回ASCEが世界土木遺産に指定したイフガオのライステラス(千枚田)への記念ツアーがあり、現地で記念碑の除幕式が行われた。JSCEからは三好専務理事および筆者が参加した。マニラからのバス行程となったが、片道10時間程度を要した。
5.カルチュラル・ディスプレイ
会議登録会場にて、共催3カ国の分化等を紹介する”Cultural Display”を行った。ここでJSCEは最近の国内のプロジェクト(東京湾アクアライン、明石海峡大橋、山梨リニア実験線)および日本の四季等についてパネル展示を行った。また各方面のご協力により、プロジェクトに詳しいJSCE関係者が説明のため常時ブースに待機した、他の各国のパネルは観光地のポスター程度であったが、日本のものは内容、出来栄え等で優れており、我が国の優れた土木技術を効果的に紹介することができた。
6.ネットワーキング・レセプション(2月19日・夕)
JSCE宮崎会長主催のNetworking Receptionが会議初日の夜にマニラのホテル内のシャンペンガーデン(屋外)で行われ、宮崎会長が歓迎の挨拶を、また三好専務が挨拶および乾杯を行った。会場ではJSCEのロゴ入りタイピンおよびカフスボタンを主だった参加者に配布し、大変喜ばれた。歓談の途中で、宮崎会長からASCEグラエフ会長、PICEロペス元会長に対し、JSCEからのプレゼントの贈呈を行い、両氏から謝辞を頂いた。閉会挨拶は筆者が行い、7時30分にパーティーは終了したが、会場に残って料理を楽しむ参加者も多く見られた。和食を取り入れたメニューとしたが、各国の方から「大変おいしかった」と好評であった。
7.エッセイコンテスト発表会(20日・昼)
地球環境に関する学生エッセイコンテストを募集し、会議2日目に受賞者(3カ国各2名)の表彰式が行われた。JSCEでは学会誌等を通じて募集、23件の応募があり、広島県立三次青陵高校の佐々木桂子さんと東京工業大学の加藤沙絵さんが満場の参加者を前に、すばらしい英語のスピーチを行い、会場から大きな喝采を得た。
8.次回会議の日本における開催について
本会議に関しては、第1回会議の日本開催を望む雰囲気が企画の初期段階にあったが、JSCEとしては意思表示保留した。1996年秋、ワシントンにおけるASCE年次大会において1998年マニラにおける開催がフィリピン側から提案され、当時の松尾会長はこれに賛意を示した。
このような経緯で第2回は日本で開催という認識が各国に強くなっており、国際委員会および理事会での討議を経て1997年10月、ASCEミネアポリス年次大会後のマニラ会議準備会において、JSCEは次回会議の日本開催を受け入れる用意があるとの会長メッセージを伝えた。
本マニラ会議2日目の共催学会会長による会議総括において、宮崎会長はJSCEとして本会議の継続を提案するとともに、2000年頃に次回会議を日本で開催する用意があることを表明、会場からは拍手で歓迎された。今後、本会議を継続的に開催するにあたっての基本コンセプト、関係諸国の範囲、共催国組みあわせのルール設定、次回会議開催への同意取り付け、参加・共催の打診、資金調達方法等の検討が必要になる。
9.土木学会ツアー
本会議に参加する土木学会関係者のために、学会主催のツアーを第1班2月17日~22日(6日間)26名、第2班2月18日~21日(4日間)19名に分けて催行した。団長は井畔瑞人氏(東京鉄骨橋梁)、副団長は山本正明氏(鹿島建設)にお願いした。
10.その他
“フィリピン時間”という言葉を聞いたが、会議の運営は良く言えば柔軟であり、悪く言えば現場合わせで進行した。参加登録者は年明けの段階で100名程度との情報しかなく、マニラに到着して確認したところ”500名を確保した”、そして会議終了時には”700名だった”。傍目には不安もあったが、最後はうまくまとめてしまうフィリピン人の行事運営手法には驚かされた次第である。
【出典:土木学会誌1998年5月号56~57ページ】