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ホーム › 2010年 › 第三五ヶ瀬川橋梁

第三五ヶ瀬川橋梁の解説シート

概要

名称
第三五ヶ瀬川橋梁
だいさんごかせがわきょうりょう
所在地
宮崎県/
西臼杵郡
竣工年
昭和14年
選奨年
2010年 平成22年度
選奨理由
旧高千穂鉄道の橋梁。鋼トラスおよび戦前唯一のRC方杖ラーメンが複合した形式は印象的で美しく、土木遺産としての価値が高い。

沿革や緒元・形式

緒言
橋長
274.8m(鋼製トラス:46.8m×
1連、RC方杖ラーメン:17.2m
×6連)
供用開始1939年
災害による
休止2005年
廃止2008年
歩道として
整備2010年
土木学会選奨土木遺産認定:2010年度

多様な橋が架かる渓谷宮崎県北部を流れる五ヶ瀬川は、その上流部でいくつもの深い渓谷を形成している。柱状節理のそそり立つ断崖が幻想的な高千穂峡は観光スポットとして知られ、標高513mの国見ヶ丘から見下ろすことができる雲海は秋の風物詩になっている。天孫降臨の地と言い伝えられる「神話の国」らしい情景である。

渓谷は、さまざまな形式の橋が競演する舞台でもある。戦前までは橋長を抑えるため、谷底の方に架橋されることが多かった。時代が進むに従って、渓谷をひと跨ぎできる巨大なアーチ橋が架けられると、天空を駆け抜けるような高規格な道路が整備されるようになった。この地域は、東京や大阪と並んで、架橋技術の変遷を随所で見ることができる格好の地とも言えるだろう。異種構造のマッチング今回紹介する第三五ヶ瀬川橋梁は、こうした橋梁群の中でも比較的古い方に属する。

1939(昭和14)年、鉄道省によって日ノ影線として延岡─日ノ影間37・6㎞が全線開通した際、建設され、高千穂峡へと続く渓谷の入り口に当たる日之影町に建設された橋長は274・8m。1径間46・8mの上路式鋼製トラス橋の前後にそれぞれ、1径間17・2mのRC(鉄筋コンクリート)の方杖ラーメン橋が2連と4連、さらに橋の端部をRC桁というように異なる構造形式の橋を連続して組み合わせている。当時の経済性を考慮して、鋼橋よりも安価なRC橋をできる限り採用した結果だろう。実際、日ノ影線に架けられた41個所の橋のうち、五ヶ瀬川に架かる4個所を除き、ほとんどがコンクリート橋である。橋脚部分は、1942(昭和17)年に完成した星山ダムの湖によって水面下に沈んでいる。そのため、湖面にはトラスと方杖ラーメン橋が浮かんで見える。無論、これは橋の設計時に織り込み済みだったに違いない。橋の材質や色、部材の厚さはそれぞれ異なるが、側面から見ると斜材の傾きとその間隔に協調性があって、美しい.一般的に方杖橋は、橋脚から延びる斜材が桁の途中を支持することで、桁断面の縮小を図る形式である。言い換えれば、同じ断面のRC桁であっても、長支間化できる。

第三五ヶ瀬川橋梁の架橋地点は谷が深く、川面から線路面までの高さが30m以上あるので、高橋脚の数を減らすために、方杖橋を採用した可能性が高い。余談であるが、日ノ影線では、第三五ヶ瀬川橋梁から約3㎞延岡側の地点に、アーチ支間45mを持つ建設当時としては長大なRCアーチ「綱ノ瀬橋梁」がある。RCアーチでは日本で初めて、支保工を用いず、ケーブルエレクションによる張り出し架設で施工したことで知られる。第三五ヶ瀬川橋梁の構造も、そうした先進的な創意工夫の一環だったのだろう。しかし、コンクリート造による鉄道用の方杖ラーメン橋は、この橋が戦前で唯一の存在であるばかりか、1994年に完成したPC(プレストレスト・コンクリート)による北陸新幹線霧積川橋梁に至るまで同様の形式はほとんど見当たらない。これは、1954(昭和29)年に1径間30mの鉄道用のPC桁が実用化されたことによって、施工が複雑なRC方杖ラーメン橋の優位性が低くなったことが一因と考えられる.

当初から宮崎県と熊本県を結ぶ九州横断鉄道として計画されていた日ノ影線は1972( 昭和47)年、日本鉄道公団によって日ノ影─高千穂間13・4㎞を延伸し、国鉄高千穂線に改称。渓谷には、当時日本最大を誇った高さ105m、橋長352・5mの上路式鋼製トラスによる高千穂橋梁が新たに加わった。その後も未開業区間23㎞の建設は続いたが、1976(昭和51)年、熊本県高森町内で掘削中だった高森トンネルでの異常出水によって、工事が中断。1980(昭和55)年には、計画自体が凍結されてしまう。

一方、延岡─高千穂間の運営は赤字のため1988(昭和63)年、JRから第三セクターの高千穂鉄道へ転換される。しかし、2005年9月、台風14号の増水によって、五ヶ瀬川に架かる第一五ヶ瀬川橋梁と第二五ヶ瀬川橋梁が橋脚ごと流失。全線50㎞は運転再開されることなく、その歴史に幕を下ろす。2010年、第三五ヶ瀬川橋梁は前後の軌道敷延長2・2㎞と合わせて、ウォーキングコースとして整備され、歩いて渡ることができるようになった。同年、土木学会の選奨土木遺産となったが、鉄道橋として供用中に注目できなかったことが悔やまれる。

出典:大村 拓也、『第三五ヶ瀬川橋梁-創意工夫から生まれた橋梁美-』、土木学会誌、Vol.97, No.3, pp.40-41

所在

 所在地 宮崎県西臼杵郡日之影町
 

保存状況など

 

見どころ

 

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