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ホーム › 2006年 › 姫井橋

姫井橋の解説シート

概要

名称
姫井橋
ひめいばし
所在地
熊本県菊池市
(旧菊池郡旭志村)
竣工年
大正14年
選奨年
2006年 平成18年度
選奨理由
わが国初のRC下路アーチ(メラン式)、本形式の橋梁としては国内で唯一大正期に完成。

沿革や緒元・形式

大正のおわり、1925(大正14)年に、熊本県菊池郡旭志(きょくし)村(現・菊池市旭志)に姫井橋が建設された。
アーチ下側に路面のある「下路式」の鉄筋コンクリート(RC)アーチ橋としては建設時期がやや早く、当時の資料が少ないことから、この橋は鉄製アーチ橋をコンクリートで巻いたものではないか、との見方もあった。しかし近年、九州橋梁・構造工学研究会によって実施された調査の結果、建設年代と形式が確定されるに至った。姫井橋は、現時点ではわが国初の下路式RCアーチ橋である。
姫井橋は周辺の山から切り出した木材を運搬するため、既設の木橋を架け替えたものである。橋長18m、幅4.6mで、それほど大きな橋ではないが、この橋の完成により初めて荷馬車の通行が可能になったことから、建設当時は「馬橋」と呼ばれていた。

建設を計画したのは、菊池郡の中心地であった隈府(わいふ)町をはじめとする、十二の町村によって組織された「隈府町外十一ヶ村土木教育財産組合」という地域団体である。同組合は、勧業・造林や森林財産の収入による学校の経営、土木事業の設計・施工の監督、勧業造林や共有財産の管理処分などを取り仕切っていた。組合の規定のうち、土木事業に関する項目を見ると、工事の場所や種類によって組合各町村の負担割合が細かく定められており、組合が主体的に郡内の社会基盤整備を行っていたことがわかる。
この組合のように、熊本では遅くとも江戸期から、地方が独立して土木事業を計画・施工できるような行政機構が整えられていた。県内には石橋が多数建設されたが、それは肥後の石工集団の技術力もさることながら、この制度によるところがきわめて大きい。江戸から大正へと時代が移っても、このような制度は各地域に根付いていたのだろう。

日本では1903(明治36)年、初めてRC橋が出現する。熊本県においては、明治末にはRC橋が導入されたが、大正に入ってもその建設は本格化しない。当時、熊本県には耐久性のある石橋が多く、RC橋のような近代橋梁を早急に建設する必要がなかったとみられる。
そうしたなか、大正中ごろの1918(大正7)年、熊本県初のRCアーチ橋が完成し、県下で石橋からコンクリートアーチ橋への世代交代の前兆となる。その後、熊本県では、大正末期から昭和戦前期と戦災復興期という2つの時期に、コンクリートアーチ橋が集中的に架橋された。ただし、姫井橋を除き、すべて石橋のようにアーチ上部に路面がある「上路式」であった。
それだけに、下路式の姫井橋は奇異といえる。では、この橋を設計したのは誰か。最近の調査では、近隣地域におけるRC橋設計の実績があり、当時組合に在籍していた西田熊太郎ではないかとされるが、関係資料は組合の解散時に散逸し、決定的な証拠は確認されていない。
しかしRC技術が県下一円に広まった背景に考を巡らすと、明治以降の熊本において、興味深い状況がみえてくる。

当時、第五高等学校(現・熊本大学)工学部土木工学科で教鞭をとっていた川口虎雄教授は、2年間にわたる米・仏国への留学から帰国した1907(明治40)年に土木工学科でコンクリートの講義を開始した。開講当初は「応用力學」とされる科目の一部であったが、8年後の1915(大正4)年に「鉄筋混凝土(コンクリート)」という独立した科目となる(同時に「石工學」の講義時間は縮減)。当学科は県内にも人材を輩出しており、この頃からRC橋の建設が盛んになる。

また時を戻した1889(明治22)年、県南にセメント工場が創設された。当時最新設備を備えた工場の存在は、熊本においてコンクリートに関する技術情報を得やすい状況をつくる。さらに1922(大正11)年には、九州一円の鉄道施設における設計・施工管理を行う鉄道省熊本建設事務所が設置される。日本屈指の技術陣が進めた鉄道工事は、土木教育の見学研修の場となった。これは学生、施工業者、さらには県内の土木技術者に対して多大な技術的啓発を与えた。
姫井橋誕生の謎をとく糸口は、こうした環境にあるのかもしれない。

現在の姫井橋は隣接する橋に車道としての役割を譲り、主に歩行者用となっている。推奨土木遺産に認定された後、この橋は国の登録文化財となった。さらに、身近な地域の宝である「菊池遺産」にも認定されるなど地元の愛着は深く、日常管理も住民が行う。
姫井橋は大きさに圧倒される。意匠に見惚れる構造物ではない。けれども、のどかな田園地帯に囲まれ、今後も大切に愛され続ける風格を備えた土木遺産である。

諸元・形式:
形式 下路式RCアーチ
規模 橋長18m/幅4.6m/支間長17m
竣工 1925(大正14)年

(出典:姫井橋―熊本の近代化を物語るRC橋―,本田 泰寛,土木学会誌92-2,2007,pp.58-59)

(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架  登録番号:58453)

所在

熊本県菊池市旭志(合志川)

保存状況など

 

見どころ

 

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