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ホーム › 2006年 › 武庫大橋

武庫大橋の解説シート

概要

名称
武庫大橋
むこおおはし
所在地
兵庫県/尼崎市~西宮市
竣工年
昭和2年
選奨年
2006年 平成18年度
選奨理由
当時最大級(6連)のRC開腹アーチ橋で、開腹部はアーケード状、また装飾的なバルコニーを有する道路橋である。

沿革や緒元・形式

国道二号線が、尼崎市と西宮市の境界である武庫川を渡るところに、武庫大橋がある。この橋は、関西圏の産業を支えてきた幹線道路としての機能を果たす骨太の巨大インフラである一方で、地域の文化を支えるような人間的で柔らかな顔をもつ。

殖産興業政策が、わが国において、いよいよ大きなうねりを興していた明治後期。紡績業などの産業を発達させた大阪と、近代港により国際貿易都市となった神戸において、集中する労働力が都市人口の急速な増加を招き、都市環境のさまざまな問題を引き起こし始めていた。1905(明治41)年には、阪神電鉄が小冊子『市外居住のすすめ』を発行し、郊外生活がいかに健康に適しているかを強調した。鉄道や軌道によって大都市と結ばれた郊外は、住空間としての新たなターゲットとなっていったのである。
関西系財閥や豪商の間で、郊外住宅地を開発して新たな住環境を創造することは、それ以前からも行われていた。中産階級の人々も積極的に郊外の新生活を求めるようになり、そのライフスタイルに一つの大衆的な文化潮流が生まれた。これを一般に「阪神間モダニズム」という。
こうした時代背景の1919(大正8)年に、大阪~神戸間を東西に貫く大動脈として、阪神国道(国道2号線)の建設が決定され、1926(大正15)年にこれが竣工する。これにともなう武庫大橋架橋は、周辺地域の文脈のなかで、重要な位置づけをもつこととなる。

まず1921(大正10)年頃に兵庫県は、氾濫川であった武庫川を改修するために、この川から分岐する枝川と申川を廃川として払い下げることで資金を得ることを決定する。細長いこの敷地をまとめて買い受けたのが、住宅経営およびレクリエーション施設を建設する構想を抱いていた阪神電鉄であった。その敷地において、まず建設された巨大スタジアムは、竣工した1924(大正13)年の干支にちなんで「甲子園球場」と名付けられた。
球場建設は、『市外居住のすすめ』に謳われた健康・健全な郊外生活を求める衛生志向の文脈によるものであり、甲子園の名を冠した一連の住宅地経営がこれに続く。特に武庫大橋の位置に近い上甲子園の地域は、廃川沿の松が残っており、建売をするよりは、高級豪華住宅地の建設を見込んだ大きな敷地で売る土地経営に適しているとされたため、緑豊かな庭をもつ閑静な住環境が形成されることとなった。

また、阪神電鉄は、帝国ホテル元支配人の林愛作を擁して、リゾートホテルが計画された。林は、新築の武庫大橋橋詰めの松林あたりを敷地に選び、帝国ホテル新館を設計した建築家F・L・ライトの弟子である遠藤新(あらた)を起用した。1930(昭和5)年に瀟洒(しょうしゃ)なデザインの「甲子園ホテル」(現在武庫川女子大学)が開業すると、大阪の迎賓館として利用され、また阪神間に移住してきた中産階級の社交の場ともなっていった。

さて、そのような地へ武庫大橋は建設された。武庫大橋建設事業を監修を務めたのは、アメリカでの修行から戻ったばかりの増田淳である。増田は、風景に調和させつつ洗練された力強い構造体を表現する力量で後に世に知られる、近代屈指の技術者であった。その増田を顧問として、兵庫県の「老練家」として定評のあった阪神国道西宮工営所長の溝口親種が建設・工事にあたった。溝口は、竣工直後に「此の地方将来の発展亦予期すべきを以て、本橋は市街橋に適する強度と、四周の風致に応はしき意匠
とを与へて計画せり」と述べ、機能だけでなくその美観を強く意識している。すでに阪急電鉄の小林十三によって私鉄沿線に興るモダンな生活スタイルは注目されており、隣接する甲子園経営地周辺にも新しい動きが始まる可能性を、増田や溝口は感じ取っていたに違いない。
橋の主要構造である開腹アーチ(アーチと路面の間に材料が詰まっていない構造)は、モダンな雰囲気のシルエットをもっている。高欄や歩道のバルコニーなども、細部がていねいにデザインされており、新しい生活文化を支える地域の橋として十分な役割を果たしたであろう。武庫大橋は、支間20mのアーチ橋6連、8mの桁橋が9連である。6連のRC開腹式アーチ橋は、当時最大級であった。

現在でも、武庫大橋を渡れば、六甲山脈を背景に青銅製照明塔の並びが美しく、河川敷を歩けば、見上げるアーチとバルコニーが心地よい。河畔の松林からは、旧甲子園ホテルの二本の塔が顔を見せている。橋上ですれ違う人びとの表情が、どこか楽しげに見えたのは気のせいだろうか。

諸元・形式:
形式 鉄筋コンクリート開腹アーチ橋
規模 橋長262.5m/幅員20m/(開通当時 軌道中央3間/車道両側各3間/歩道両側各1間)
竣工 1926年

(出典:薫る阪神間モダニズム―武庫大橋―,出村 嘉史,土木学会誌92-8,2007,pp.70-71)

(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架  登録番号:58453)

所在

兵庫県尼崎市、西宮市(国道2号、武庫川)

保存状況など

 

見どころ

 

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