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ホーム › 2006年 › 西天竜幹線水路円筒分水工群

西天竜幹線水路円筒分水工群の解説シート

概要

名称
西天竜幹線水路円筒分水工群
にしてんりゅうかんせんすいろえんとうぶんすいこうぐん
所在地
長野県/上伊那郡辰野町、箕輪町、南箕輪村
伊那市
竣工年
大正8年
~昭和14年
選奨年
2006年 平成18年度
選奨理由
水田の面積に応じて決められた穴の数から各水路に正確な比率で水を配分するよう工夫された全国最大規模の円筒分水工群

沿革や緒元・形式

県道伊那箕輪線沿いの長野県上伊那郡箕輪町と南箕輪村との境に、1950(昭和25)年に建設された大きな石碑があり、題字に「鍾水豊物(しょうすいほうぶつ)」と刻まれている。

西天竜土地改良区が管理する「西天竜幹線水路」は1922(大正11)年に起工し、6年後の1928(昭和3)年に完成をみた、土地改良区の基幹施設である。
当地域は南・西駒ケ岳より経ケ岳(きょうがたけ)の東面山裾から天竜川までの段丘にある扇状形台地で、大部分が森林地帯であった。幹線水路の完成に続き、1928(昭和3)年より開田工事に着手し1935(昭和10)年までに1000ha余を完了させた。
「鍾水豊物」は「みずをあつめ、ものをゆたかにする」の意味で、まさにこの大事業達成の苦労と地域住民の希望を表している。

日本の国土は肥沃で平坦な土地と豊富な水に恵まれて稲作が発達したが、その反面、梅雨と台風期に集中する降雨や何ヶ月も雨の降らない渇水期など、流出量の変動が大きく、また河川が急勾配であることも重なり、河川水の取水には常に苦労してきた。
用水路は水を送り配分し、水田は水を貯留する役目をもつ。取水、送水、配水、貯留のため、これらの施設をすべて農民が手作業により造営してきた。
しかしながら、安定取水のため堰など水の取入れ口や水路の上・下流などは、水を奪い合う争いが常に絶えなかった。特に渇水時には堰が壊されたり農民同士が鎌(かま)や鋤(すき)を片手ににらみ合ったりした。まさに「我田引水」の戦いである。

西天竜幹線水路においても竣工した当初、開拓された水田は漏水などがあり、水量が不足し水争いが絶えなかったといわれている。
円筒分水工が設置されている西天竜幹線水路建設の構想は、江戸時代からであったものの、資金不足によりたびたび消滅した。時代は下り大正時代になって米騒動と第一次世界大戦により、政府が食料増産政策をとったため事態が好転し、1918(大正7)年西天竜耕地整理組合が設立され、延長26㎞に及ぶ幹線水路の完成をみた。
しかし、当初は水量不足による争いが発生した。用水路が分かれる分水点の断面が少しでも違えば、流入する水量は変わってしまう。いかに水田の面積に応じて、公平に分水するかが決め手であった。
そこで、第3代組合長の穂坂申彦氏は、その争いを解決する方法として「円筒分水工」を採用した。この分水工は上流からの流水を逆サイフォン管により地下に導き、円筒分水漕の中央部に吹き出させ、放射状に配置された円筒分水漕円縁の分水口を越流させる構造である。
その特徴は、円縁の分水口の数を分水比に比例して配分することにより、水田面積に応じた公平な分水が可能となる点である。当地では穂坂氏により採用されたため、「穂坂式円筒分水工」と呼ばれ、その後、用水配分の公平性を見事に解決している。

西天竜幹線水路には、現在、円筒分水工が35基活用されており、大小の分水を加えると、実に83基に上り、円筒分水工群として日本最大規模である。
また、分水工の設置場所の地形を考慮して、円形以外に数種の扇形に建設されたものもあり、風景に溶け込んで、地形、形状、多様な水の流れと、見どころは多い。

諸元・形式:
形式 鉄筋コンクリート構造
規模 幹線水路延長26㎞/円筒分水工直径3~6m
竣工 幹線水路1946(昭和21)年~1958(昭和33)年改修/円筒分水工1919(大正8)年~1939(昭和14)年

(出典:西天竜幹線水路円筒分水工群 公平な水配分の知恵,馬場 慎一,土木学会誌93-6,2008,pp.58-59)

所在

長野県上伊那郡辰野町,箕輪町,南箕輪村,伊那市(天竜川)

保存状況など

 

見どころ

 

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