大橋ダムは,四国のほぼ中央,愛媛県と隣接する深山幽谷の里,高知県土佐郡本川村にある。高知市内からは,車で国道33号線を西へ約30分,吾川郡伊野町から仁淀川沿いにおれて,国道194号線を北へ約1時間の道のりである。
大橋ダムは,両岸が狭ったV字型地形で,貯水量,ダム規模においてきわめて効率のよい位置に,清流吉野川を堰き止めそびえたっている。ダムサイトの地質は,石英石墨片岩と緑色片岩の互層である。設置目的は,吉野川上流分水発電計画の一貫である長沢ダムの逆調整(貯水池による下流調整)と電力供給である。ダム規模は,高さ73.5m, 堤頂長187.11m,堤体積173600㎥,流域面積は吉野川本流145.0k㎡と葛原川45.0k㎡の計190.0k㎡,総貯水量2400万㎥である。1937年6月に着工され,1940年12月に竣工したコンクリート重力式ダムである。
建設当時,大橋堰堤の高さ73.5mは,塚原堰堤(宮崎県)の76.8m,小牧堰堤(富山県)の75.7mにつぎ,わが国第3位である。このほか当時工事中の大堰堤に,小河内堰堤(東京都)の146mをはじめ有峰堰堤(富山県),三浦堰堤(長野県)等があるが,全国屈指の大堰堤である。
工事を担当したのは間組で,「間組百年史1889~1945」によると,吉野川流域には適当な骨材がなかったため,仁淀川から採取し,延長22kmの索道で運んだとある。
ダムの傍らには,建設当時のコンクリートプラントの一部(右岸側)が現存している。また,左岸側には「大橋堰堤記念碑」が建立され,先人の偉業を今に伝えており,忙しく動き回る人びとの姿や,現場の喧噪が目にうかんでくるようだ。
四国を東西に流れる河川は,吉野川のように緩流するものが多いが,南北に流れるものは,河床勾配が急であり保水量も少ない。そこで,東西に緩流する河川の水を,南北の小河川に分水すれば,豊富な水量と高落差が得られ,大きなエネルギーを生ずることになる。
住友財閥では,1904年頃から,吉野川上流における水力発電の開発を計画していた。本川村長沢付近の吉野川の標高と,南分水嶺である大森峠を隔てた仁淀川水系の標高との差は,実に400m余ある。この天然の地勢と吉野川の豊富な水量を利用開発して発電工事を行おうとするのが,吉野川分水発電計画である。しかし,吉野川本流を仁淀川に分水して,常時の平水量を減水する案では,下流域,特に徳島県の了解を得ることは至難の業に近く,久しく実現しなかった。住友別子鉱山では,1927年に鷲尾勘解治(わしおかげじ)が最高責任者に就任した。彼は,鉱脈の限界を知り,別子鉱山の鉱業から工業への企業体質の転換と,山間から浜辺への移転を決意した。臨海部新居浜への工業都市建設である。新居浜地区における住友事業の発達は,莫大な電力需要を伴う。また,天与の資源である吉野川を開発し,産業と民政の役に立つことは,住友家伝来の念願であった。
1919年に設置された土佐吉野川水力電気㈱(のちの四国中央電力㈱)は,分水発電計画を実現するために,鋭意研究,工夫改良をかさねて,1932年5月,成案を得た。大橋ダムを造ることによって,上流の長沢ダムで分水しても,一大貯水池をつくって洪水時の水を貯留しておき,渇水時など必要に応じてこの貯水を放流することによって,下流地帯には悪影響を与えないとする案である。この案の策定にあたり,当時の堰堤の権威者永田專三博士を招いて堰堤予定地の鑑定を行い,建設地として適地であることは,1928年にすでにわかっていた。しかし,高知,徳島両県官民の支持を得,内務,逓信両省を動かし,分水発電の許可を受けたのは,1936年のことであった。計画から30余年を経て,大橋堰堤,大橋発電所の建設となったのである。
四国電力㈱は,急激な産業発展に伴う,ピーク電力の需要増加に対処するため,純揚水式の本川発電所を建設した。1978年10月に着工し,1982年6月に1号機が,1984年6月に2号機が,それぞれ運転を開始し現在に至っている。
発電所設備は,上池として新たに稲村ダムを築造し,下池として既設の大橋ダムを利用する。上池・下池間約4kmを圧力水路トンネルおよび水圧管路で連絡し,その中間に地下発電所を設置している。当時としては日本最高の567mの落差を利用して,揚水時(夜間)に愛媛県伊方原子力発電所の電力により,最大110㎥/sの水をくみ上げ,発電時(昼間)に最大140㎥/sの水を落下させ,最大60万kWの発電を行っている。
大橋ダムから,断崖の林道を車で走ること約30分,折り重なる山々を眺めながら峰を越すと,稲村ダムにたどり着く。
稲村ダムは,“ロックフィルダム”で,その規模は,高さ88m,長さ352m,堤体積310万㎥である。
地下発電所は,地下約300mの位置に,霞ヶ関ビルの6階分に相当する地下空洞を掘削して造られている。緑あふれる環境と調和させるため,大部分の設備は地下に設け,地上に出ているのは,稲村ダム・取放水口と屋外開閉所だけである。原石採取場や仮設用地の緑化復元を図り,“緑の中の発電所”を実現している。
大橋ダムは,住友精神をうちに秘め,歳月の経過とともにますます重厚さを増しつつ,その使命を果たし続ける。
諸元・形式:
構造形式 コンクリート重力式ダム
規模 高さ73.5m/堤頂長187.11m/堤体積173600㎥
(出典:大橋ダム(土木紀行),石川 眞理,土木学会誌88-7,2003-7,pp.54-55)
高知県土佐郡本川