かつて林業と街道の宿場町として栄えた鳥取県智頭町から国道373号線を5kmほど岡山・姫路方面へ進み,大内発電所(旧・河合発電所)のゲーブルが見えたところで北股川沿いの県道に入る。その後林道を進み,沖ノ山トンネルの手前から渓谷沿いの遊歩道に入る。断崖に所々架かる鋼プレートガーダー橋を渡り,林の中の築堤を行くこのコースは,森林鉄道の廃線跡を「中国自然歩道」として整備したものだ。そしてしばらく歩き続けると,三滝ダムに辿り着く。
現在、現存する6基のアンバーセン式バットレスダムの半数が選奨土木遺産となっている(三滝ダム,笹流ダム,丸沼ダム)。アンバーセン式は戦前の一時期だけに,しかも少数しか造られなかったために,その希少性が称えられたのであろう。遮水壁で受けた水圧を水平材によって連結されたバットレスで支えるこの形式は,アンビエルンセン(Nils F. Ambjørnsen)が1903年に特許を取得し,1920年代までアメリカで一世を風靡した。わが国では小野基樹が笹流ダム(1923年)に導入した後,物部長穂が耐震設計法を確立したことによって立て続けに建設された。その採用理由は,少量のコンクリートですむため経済的で,工期が短く,資材の運搬に困難な場所に適している,中空構造のため点検・補修が容易で,重力ダムに適さない地盤でも施工が可能というものであった。わが国でもアンバーセン式ダムの時代が到来したかに見えたが,1928(昭和3)年にこの形式を採用した小諸ダムが崩壊したことや世界恐慌による電力需要の激減により,一時,建設が見合わされる。7年ぶりに三滝ダムで採用されたものの,凍害による耐久性の低下が報告されたり,施工に手間がかかり人件費が材料費の安さを帳消しするようになり,結果的に1937(昭和12)年完成の三滝ダムが最後となってしまった。
三滝ダムを手がけた山陽水力電気は,姫路や加古川の工場への電力供給を目的に,内藤利八(姫路水力電気社長)が1918(大正7)年に設立した電力会社であった。しかし,社内や地元とのトラブルにより,1923年になってようやく大呂・河合の発電所が完成し,送電に漕ぎつけた。この時,社長は日本毛織の社長・川西清兵衛に交代しており,供給先は日本毛織の姫路・印南・加古川の3工場に計3500kW,山陽皮革に150kW,神戸姫路電気鉄道(現・山陽電気鉄道)に1100kWで,日本毛織の子会社的な電力会社になっていた。
その頃,同じく鳥取県東部で姫路への送電を計画していた因幡水力電気は,山陽水力電気の送電線を利用することを企み,1928(昭和3)年,日本毛織から山陽水力電気の株式を買収して傘下におさめた。ところが,因幡水力電気というのは名義上で,実質は日本電力の子会社であり,社長以下,山陽水力電気の役員は更迭され,日本電力の役員が兼任することになった。結局,日本電力による支配体制が1938(昭和13)年4月の合併まで続くことになる。したがって,1935年に着工された三滝ダムの設計・建設は,実際には日本電力主導で行われたものであろう。
ほかのアンバーセン式ダムでは設計に関与した人物が判明しているが,唯一三滝ダムだけはそれが未だわかっていない。しかし,地震力を両岸に伝達するため「支壁を繋ぐ水平耐震支材」が一直線上に貫き,その端部には「鎭碇塊」を設けたり,バットレスや余水吐けの重量を利用して固定されているほか,バットレスの下部にはヒンジプレートを挟むなど,物部の耐震理論に忠実に従った設計になっている。なお,現場を指揮したのは,1926(大正15)年に九州帝国大学を卒業した宮川正雄で,若い主任技師の活躍は後々まで技術者の間で語り継がれている。
山間僻地のダムでは,建設資材の運搬が大きな課題となる。三滝ダムの場合,砂と砂利はダム付近のものを使用し,セメント,鉄筋などの資材は,付近一帯が大阪営林署管轄の国有林で,森林鉄道が敷設されていたため,これを利用して運搬することができた。したがって,ダムの建設にあたっては,まずこの軌道をダムの堤高まで高める付け替え工事が行われた。しかし,森林鉄道の起点までは,因美線の智頭駅から馬車で運ばざるを得なかったという。工期は20か月間であったが,12月から4月までは降雪により工事ができなかったことを先の宮川は報告している。よって,実際には基礎掘削を3か月,堤体工事を9か月で終わらせた。三滝ダムの場合,アンバーセン式を採用した理由は明らかになっていないが,資材運搬と工期の2点はその要因としてあげられるのではないかと思われる。
諸元・形式:
構造形式 アンバーセン式バットレスダム
規模 堤高25.00 m/堤長82.50 m
着工 1935(昭和10)年12月1日
竣工 1937(昭和12)年7月31日
(出典:三滝ダム わが国最後のアンバーセン式バットレスダム(土木紀行),樋口 輝久,土木学会誌88-11,2003-11,pp.62-63)
鳥取県八頭郡智頭町芦津