北海道中央部にある上川盆地は,冬季の深い積雪と過酷な冷え込みで知られる。その中心都市・旭川市の1月の平均気温は氷点下4度。厳しく冷え込んだ大気は,旭川市街を南北に貫流する石狩川から大量の川霧を発生させる。そこに架かる旭橋は,離れてみるとまるで太古の恐竜が川辺でたたずむかのような重厚なモノトーンの情景を見せる。その姿は,流麗かつ無言の威厳を示す。この厳しい自然の大地にも人間が街を作り,生活を営んでいる証とも思えてくる。
現在の旭橋は二代目であり,北海道三大名橋の中で唯一現存するものである。初代旭橋(曲弦トラス形式,支間長49.4m)が竣工したのは,1904(明治37)年のこと。その4年前の1900(明治33)年,旭川市街から石狩川を挟んだ北側に旧陸軍第7師団が設置された。このため,石狩川を渡る交通量は急増し,当時架けられていた木橋の鷹栖橋に変わり,北海道で二番目の鋼道路橋として建設されたのである。
その後も旭川は北海道内陸の開発,物流拠点として発展した。明治中期には早くも離宮建設の動きが起き,明治末には北海道鉄道建設事務所が設置されたため旭川に本拠を置く建設事業者も増えた。当時北海道の鉄道建設には北海道拓殖費のほぼ半分近い金額が別に投入され,北海道帝国大学附属土木専門部の前身を旭川に誘致し高等工業学校を設立する動きもおきた。大正末には師範学校も設置され開拓地の子弟教育にあたる人材育成も始まった。旭川は北海道開発の拠点都市として発展した。旭橋を渡る交通量は年々増大し,そのために老朽化が急速に進んだ。また,市内電車の通行も求められ,時代の要請に応えるため,初代旭橋は現位置において架け替えられることとなった。
1927(昭和2)年,北海道庁は北海道帝国大学工学部長吉町太郎一に新橋の設計指導を依頼した。吉町は「旭川の象徴になるような橋」と考え,復興局の例などを引きあいに内務省と協議を行い橋梁形式を決定した。実際の設計者は北海道庁の塩塚重蔵技師,北川昇技師,樋浦大三技手である。樋浦は北海道帝国大学工学部で吉町の教えを受けた若手気鋭のエンジニアであった。彼らは1929(昭和4)年7月までの半年間で詳細設計を完了し,工事着手は同年11月,竣工は1932(昭和7)年11月であった。このころ北海道では内陸交通の確保のために鉄やコンクリートを用いた永久橋梁の建設が進められていた。それらには,舞鶴橋(長沼町),張碓(はりうす)橋(小樽市)などがある。
旭川周辺の石狩川は,約90mの川幅と,300m近い堤防幅がある。架橋に際しては,常時水の流れている90mの川幅を一径間で渡り,できるだけ橋脚を造らず,橋脚に水平力の負担をかけないようにすることが技術的課題であった。そのために,アーチ両端を引張材で結ぶタイド・アーチが採用された。側径間のトラス形式と組み合わせることで力学的バランスを図り,地震時の水平力の分散化に配慮がなされた。また,アーチの弓の部分を2本並列にし,トラス構造で一体にした「ブレースト・リブ」と呼ばれる部分は,放物線形状で支点を越え外側に張り出している。これらの特徴から「ブレースト・リブ・バランスド・タイド・アーチ橋」と呼ばれている。また,中央径間91.4mというのは1953(昭和28)年の茂岩橋完成まで北海道最長支間であった。
過酷な冬の気象の一方で,旭川の夏は暑く,夏冬の温度差は60度以上にもなる。こうした旭川の過酷な気象を配慮し,橋全体の温度変化による伸縮を吸収することを「ロッキングカラム」を採用し,タイド・アーチの引張力対応するドイツ製のウニオンバウシュタールという輸入高張力鋼を使った。また,両側のアーチを支える橋門構の複雑な部材接合には電気溶接を用い,床組に現在の鋼床版の原型である「バックルプレート」など当時最先端の技術を採用した。その結果,重厚ではあるが流麗な曲線美を見せ,重量物の通行に耐えるだけではなく,橋自体の軽量化が図られた。
旭橋は,力学上の理論に従って合理的に設計され,無駄に遊んでいるところがない。必要なだけの生きた材料が活躍し,力強い橋梁美を示している。
旭橋周辺には公園や文化施設が集中し,散策をする人たちが行き交う。市民公募と市民投票によって選定された旭川八景(1997(平成9)年制定)において,旭橋は,紅葉の名所である神居古潭渓谷など,自然にまつわる景観を押さえて第一位の得票で選定された。
旭橋は「力強い橋の美しさ」の要件を備えているだけではなく,厳しい自然環境のなかで市民の日常風景に溶け込んでいる。これらにより市民に愛着をもたれ,最北の街の原風景となっているのであろう。
諸元・形式:
構造形式 ブレースト・リブ・バランスド・タイド・アーチ
規模 橋長226.0 m(中央支間長91.4 m)/幅員18.3 m
竣工 1932(昭和7)年11月
管理者 北海道開発局
(出典:旭橋 市民に愛される最北の名橋(土木紀行),今 尚之,土木学会誌88-2,2003-2,pp.58-59)
(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架 登録番号:58453)
北海道旭川市(国道40号,石狩川)