二重うだつのまちなみが特徴的な徳島県美馬郡つるぎ町貞光から国道438号線に入り、剣山に向かって12kmほど南下したあたりに土釜橋(どがまばし)はある。剣山は標高1955mの西日本第二の高峰で、土釜橋付近もすでに山深い雰囲気を呈し、橋の架かる貞光川もこのあたりでは峡谷となる。
この峡谷の、土釜橋のすぐ下には徳島県指定の天然記念物である土釜がある。滝が河底のもろい岩盤を削ってできた、三連の甌穴(おうけつ)状の滝壺である。深い峡谷にぽっかりと開いたエメラルド色の滝壺に、白く気泡を含んだ水が勢いよく落ちていく様子は見事で、つるぎ町の観光スポットの一つである。
道路から少し降りたところに土釜の展望所が設けられているが、ここは土釜橋を見る好位置でもあり、複雑で繊細な姿の橋が広葉樹の木々からこぼれるやわらかい陽を静かに浴びながら、荒々しい岩の両岸をつないでいる様子を仰ぎ見ることができる。
土釜橋は橋長22.7m、幅員5.2mの赤色の鋼上路アーチ橋で、細かな斜材からなるレース状の鋼板が2本のアーチリブの間でクロスしてアーチの下面をつくり、アーチリブと補鋼桁は斜めにクロスした細い部材でつながれている。また橋をよく見ると、高欄のすぐ下に見える縦桁は、アーチリブから立ち上がる鉛直材の間で緩やかに弧を描いている。
弧を描いている縦桁は他にあまり例のない珍しいものであるが、これが構造的に意味をもたせたものか、単なる意匠上のものかは定かではない。しかし竣工当時の新聞に掲載された写真を見ると、高欄にも同様の弧を描いたデザインが用いられており、アーチ橋のアーチ(弧)が、この橋の売りだったのだろうと推測できる。
新聞記事をもう少し詳しく見てみると、橋が完成し「盛大な開通式」が行われることを伝えるこの記事には、「モダーン橋」という見出しが付けられ、土釜橋は「徳島県下有数の名勝地たる土釜にふさわしく立派に出来上がった」と紹介されている。山あいに架かる小さな橋であるが、注目度は高かったようである。
この橋の地域における役割を把握するために、もう少し歴史をさかのぼってみたい。土釜橋があるのはつるぎ町一宇であるが、2005年に合併するまでは一宇村といった。明治の中頃まで、村で採れる柿や椎茸などの産物は人の肩に乗せて運んでおり、そのため距離の短い峠越えのルートが主であった。木材は貞光川に流して運んだが、いかだの通らない峡谷のため、1本ずつ流していた。その際土釜は難所だったようで、土釜にすむ大蛇に酒樽を供えないと1本も流れなかった、という言い伝えもあるほどである。
明治中期になり、大八車や牛馬車の使える勾配の緩やかな道として川沿いの道が整備されるようになった。しかし岩盤を削りながらの難工事のため、1888年の整備では幅員1〜1.5mの道をつけるのがやっとで、人、馬、車もろとも谷へ転落する事故が毎年のように起こっていた。1902年、ようやく3〜3.5mに拡幅され、安心して大八車や牛馬車を使える道が完成した。
当時土釜橋は木橋であったが、時代が下り木材やその他の産物の輸送に自動車が使われるようになって、荷重に耐えられるよう1930年に今の土釜橋である鋼橋に架け替えられた。ここではじめて輸送路としての機能が完成したといえる。一宇村や背後の村々にとって待望の橋だったのである。
1964年には剣山が国定公園に指定されて、土釜橋には観光ルートの役割も加わり、一宇村のさらなる発展に寄与することとなった。1991年に、土釜橋を迂回する形でトンネルと橋が完成したのを機に土釜橋は輸送・観光ルートとしての役割を終え、今は付近の人びとの生活の道となっている。
諸元・形式:
形式 2ヒンジ鋼ソリッドリブ上路アーチ橋
規模 橋長22.7m/幅員5.2m/径間長20.6m
竣工 1930年
(出典:土釜橋 山村の発展を支えた橋,真田 純子,土木学会誌93-10,2008,pp.44-45)
徳島県美馬郡つるぎ町(国道438号線,貞光川)