日本の一大工業地帯として発展してきた北九州.その歴史は,20世紀の幕開きの1901年(明治34)年2月,官営八幡製鐵所の操業開始に始まる.
河内貯水池および南河内橋は、第一次世界大戦後の鉄鋼需要の急激な増大に対処するため、1917(大正6年)から着手された八幡製鐵所の第三期拡張工事によって誕生したものである.河内貯水池は,将来にわたる用水の安定供給を確保するため,1919(大正8)年5月,帆柱山系の山間を縫う板櫃川を水源とする河内貯水池に着工,1927(昭和2)年に完成した.建設には8年の歳月を要したが,その間1人の殉職者も出さず,また外国の技術者にも頼らず,製鐵所の土木技術者たちが独力でこの巨大な事業を成し遂げた.
河内貯水池の設計・施工を総指揮したのは,1900(明治33)年卒の京都帝國大学土木工学科第一期生で,操業当初から八幡製鐵所と歩みを共にしてきた当時の工務部土木課長,沼田尚徳である.アメリカ土木学会員であった沼田は,無類の新しいもの好きで,新しい技術の活用に大変熱心な技術者であると同時に,「召水」と号した優れた詩人であり,漢詩と書を愛する教養人・文化人であった.文学的素養に裏打ちされた風景感覚と新たな時代を生きる技術者の挑戦的意欲が随所に発揮されて,ここに貯水池の新たな風景が創出されたのである.
谷筋を流れる小川に沿って民家が点在し,そのまわりには棚田の広がる山間の農村風景は,貯水池の建設によって水面下に沈み,製鐵所,都市の血液ともいえる水の安定供給を得て更なる発展を保証された八幡の町は,風光明媚な一農漁村から急激な変貌を遂げた.しかし,帆柱山系を繞うこの地に新たに創り出された貯水池は,その広い水面に新たな風景を映し出したのだ.
貯水池を取り巻く山々の地形の襞は水面を型取って,大小さまざまの入り江や変化に富んだ汀線の形を生み,広い水面が山との適度な間を作って,程良い山容を湖面に映す.三島由紀夫は小説『沈める瀧』の中で「山の姿は,そのどの高さを水面で切っても,おのづから形を成して,前からここが湖だったかのやうに自然であった.岸の形が,昔を知らない人の目には,少しも異様に思はれなかった」と,ダム湖の風景を上手く言い止めている.
貯水池堰堤は,施工時の型枠を兼ねた切石積で,この黒味を帯びた地元・北河内産の石で覆われた堤体はどっしりと重いが,それと同時に,切石積の肌理細かな表情と堤体の曲線形が柔らかさを添えている.堰堤下流側は,当時植えられた桜をはじめとする木々がその枝ぶりを競って斜面を覆っていて気づきにくいが,堤体端部の放水路とこれを跨ぐアーチ部,そして堤体下へ降りる管理用階段が,一体に上手く処理されている.また,天端の高欄には細かな割石を積み上げた丹念な意匠が施され,この高欄と一体に照明器具が取り付けられるなど,奇を衒ってはいないが,手を抜かない丹念な仕事ぶりである.堰堤下流には亜字池が作られ,貯水池から導かれた水を曝気する役割を兼ねた大噴水が訪れた人々の目を驚かせ,岸辺に植えられた数千本もの桜の木は湖面にやわらかな影を落としている.そして,周囲には「河内五橋」とよばれる道路橋や付帯建造物が,地場の石材と伝統的な石工の組積技術,あるいは新しい材料と技術を用いて,また時には鉱滓煉瓦,切石の余剰材(割石)など廃材を有効利用して造られ,それぞれに異なる趣を添えつつ,周辺の環境に違和感無く収められている.その中でひときわ鮮やかな姿を見せるのが,赤色の二連トラスの上・下弦材が描くS字曲線が印象的な南河内橋である.
貯水池に架かる南河内橋は,レンティキュラー・トラスという日本で唯一現存するきわめて珍しい構造形式を主構造としており,2006(平成18)年12月,国の重要文化財に指定されている.これは,19世紀中葉にイギリス・ドイツで鉄道橋として,その後アメリカに渡って19世紀後半に主に道路橋として多用された形式で,日本では,1921(大正10)年と1922(大正11)年にそれぞれ1橋,群馬県に架けられた記録が残っているという.
レンティキュラー・トラスの構造および形態の特徴は,吊り橋のケーブル(チェーン)の引張力にアーチの圧縮力で対抗する,自碇式吊り橋とタイドアーチの中間的形式,あるいは,2つのポオリートラス(Pauli Truss:上弦材の各部材最大応力が等値を有するよう型を定めたもの)の一方を上下反転させ,双方の水平弦材を一致させてその応力を相殺させる形式ととらえられようか.トラスは,部材にアイバー(Eye Bar)を用いたピン接合により組まれており,軸力によって外力に対抗するというトラス構造本来の力学的要点がそのまま形に表現されている.部材格点の接合はすでにピン接合からリベット接合に移行していた年代に架けられたという点でも,この橋はその構造形式と同様,技術史的に珍しい貴重な存在である.
山水に映える洗練された形のこの橋に,国営製鐵所の威信を誇示する威風堂々たる風格こそないが,むしろそれが,周囲の自然を意識しつつ沼田が導き出した答えだったのだろう.新しい時代の技術作品を,伝統的な山水に重ねつつしっくりとおさめる,それこそ沼田にとってこの上ない喜びであったに違いない.
市街から約5kmとさほど遠くなく,市民の憩いの場として,また花見の季節には多くの観光客が訪れる桜の名所として親しまれてきた河内貯水池は,当初からレクリエーション・観光拠点としての価値も十分に有していた.近年,さらにサイクリングロード,温泉施設が整備されるなど,その潜在的価値を周辺に展開しながら,完成から七十有余年を経たこの貯水池は今なお,産業・都市基盤としての当初の機能を果たし,湛えた水を支える堰堤は,今も変わらぬ貯水池の風景を支える風景基盤として,その役割を果たし続けている.
諸元・形式:
「河内貯水池堰堤」
構造形式 コンクリート重力式ダム
規模 堰堤長189 m/堰高43.1 m/最大底幅35.1 m/堰頂幅3.5 m
竣工 1927(昭和2)年
「南河内橋」
構造形式 レンティキュラー・トラス(Lenticular Truss)
規模 橋長133 m(2 径間)/幅員3 m
竣工 1926(大正15)年
(出典:河内貯水池堰堤および南河内橋(土木紀行),山田 圭二郎,土木学会誌86-10,2001-10,pp.72-73)
(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架 登録番号:58453)
福岡県北九州市八幡東区