コンピュータを利用する情報技術が誕生してから半世紀の間に,コンピュータ技術が国内の産業を変えた例と,情報が社会を変え,ビジネスや生活も変えてきた例を,思いつくまま列挙してある.そして,企業や学校など組織のツールであったコンピュータが家庭に入るようになったことで,個人の情報活用が日本の社会により大きな変革が引き起こすと予想している.
情報で社会が変わるにつれ,土木も変わってきた.情報活用による土木の変化を,以下の2つの視点から概説してある.
工業分野では製品そのものがコンピュータ技術によって変わっている.しかし,土木では建造物そのものに情報機能を付加する情報活用が,これまではあまり行なわれていないことを指摘している.
来たるべき21世紀にむけて,土木に求められる変革のニーズを,科学技術庁が1992年11月に発表した「第5回技術予測調査」の結果を参照し,列挙してある.ここにあげた項目を実現させるためには,コンピュータと情報関連機器を組み合わせ高度な情報活用を行なうことが必須であると分析してある.
情報活用で,この先,土木がどんな変革を遂げるのかについて,以下の3つの視点で,その意義と可能性を論述してある.
そして,情報活用が薬となり,土木の体質の悪い部分が正され,良い部分が伸ばされると予想している.
建設技術開発会議が1994年に建設大臣に答申した「21世紀を展望した建設技術研究開発のビジョン」から,情報活用に関連する項目を抜粋し,以下の3つの視点で整理することで,社会のための土木の役割を明らかにしている.
他に,社会に役立つ情報システムや情報整備で,土木でなければ作れないもの,土木が主体となればよりよく作れるものがあることを指摘し,社会にもっと土木を知ってもらうための情報発信も大切さについても言及している.
戦後の復興から今日に至るまで,日本経済の変動の足跡を列挙し,特に,バブル崩壊を生活者のライフスタイルに与えた影響について論述している.また,社会や経済の動きばかりでなく,若い世代からはじまっているパソコンを個人による情報活用の環境からも新しいライフスタイルが産まれてくることを指摘している.
電子メールやインターネット利用など,個人利用から始まった情報活用が,企業,組織に逆流している.バブル崩壊により変革を迫られている企業にとって,通信ネットワークを媒介とする新しい情報活用は,従来の階層型組織,上位下達の情報伝達の仕組みを根底から変化させる流れであることを指摘している.21世紀には,日本の企業からピラミッド型の組織が消滅し,個人の情報活用がビジネスを変え,新しいビジネスを誕生させる可能性があるこを予想し,新時代の職業人は情報活用で個を確立させることの大切さについて論述している.
通信ネットワーク社会に潜む現代病の危険性を指摘し,それに陥らないようにするために土木技術者が身に付けるべき情報活用の基本的な事項を列挙している.そして,情報の価値を見極め,人に情報を発信できる素養が土木技術者に求められていることを論述している.
コンピュータを利用する情報技術が誕生して50年,この半世紀の間に情報が社会を変え,土木分野の技術や業務内容も情報化の洗礼を受けてきた.日々の生活に慣れてしまうと変化をあたりまえに感じてしまったり,変化が緩やかだと気がつかなかったりするが,あらためて振り返るとその勢いに驚かされる.まず,コンピュータ技術が国内の産業を変えた例を,思いつくまま年代順に列挙する.
これらの例は,氷山のほんの一角である.今日では,業種にかかわらず,産業のあらゆる工程にコンピュータ利用が定着している.善悪の議論は別にして,産業はもはやコンピュータなしでは立ち行かない.
コンピュータ技術は産業とともに,ビジネスや生活も変えてきた.ビジネスは1980年代にブームとなったOA化を境に,ひたすら情報化の歩みをたどっている.ビジネスに前後し,生活にも情報化の波が押し寄せた.生活の情報化は情報サービスの利用に始まり,パソコンの価格が個人で購入できる水準まで降りてくると,パソコンが家具の仲間入りするようになった.こうして,パソコンがビジネスにもたらした効果が家庭に波及するようになった.家電メーカーの次なるターゲットは,一般家庭の情報化である.コンピュータ技術がビジネスと生活を変えた一例についても列挙する.
挙げたのは数例にすぎないが,ここには顕著な傾向が表わさせている.まず,パソコンや多機能電話など情報機器の利用はビジネスから始まり,家庭に普及するまでには10年のスパンが必要であった.次に,電子メールやインターネットなど,マルチメディアに関連する最近の情報活用は家庭から始まり,ビジネス場面に逆流している.そして,ビジネスと家庭を結び情報活用が浸透するスパンは,ますます短期化している.
情報が社会を変え,その社会がまた情報に変化をもたらす.企業や学校など組織のツールであったコンピュータが家庭に入るようになり,趣味や消費,娯楽など生活感に溢れる情報活用が広がっている.こうした個人の生活の知恵ともいえる情報活用が,職場や教育の場での従来の情報活用にアンチテーゼを唱えはじめている.個人の情報活用が,日本の社会により大きな変革を引き起こそうとしている鼓動が感じられる.
情報で社会が変わるにつれ,社会基盤を整備する産業である土木も変わってきた.日本にOA化のブームが襲来した以降,他産業と肩を並べるようにして土木のオフィスが変わった.建設現場の事務所が,どちらかといえば乱雑できたないイメージであったのは過去の話である.事務机の上にはパソコンやプリンター,通信装置などの情報機器が配備され,建設企業が機関が全国に張ったコンピュータネットワークに接続されている.パソコンが組織の情報システムの拠点となり,現場と管理部門との間で管理データが交信されている.文書作成,表計算や電子メールなど市販ソフトも利用され,建設現場は情報活用の前線基地となった.
オフィス業務だけでなく,建設プロセスのあらゆる場面に情報利用が浸透した.建設プロセスで行なわれる情報活用は,以下に挙げる例のように,土木分野で特有ものである.
このように,コンピュータと通信技術の進展につれ,建設のプロセスと土木のオフィスが様変わりした.土木の変化は,コンピュータ技術を応用することの安全と効果を点検,確認つつ,新旧の技術を共存させながら緩やかに進行してきた.土木の情報活用を中長期のスパンで捉えた時,累積した変化でその水準には格段の高まりが認識できる.
しかし,オフィス業務と,土木の建造物を計画し,造りあげ,供用する過程を支援する技術が変わったのであって,建造物の性質に目立った変化はないといえる.工業分野では製品そのものがコンピュータ技術によって変わっている.家電製品にはAI技術が組み込まれ痒いところに手がとどくような機能も付加された.自動車は電子部品の固まりとなり,航空機はコンピュータ制御で運航されるようになった.土木の建造物には単品,属地生産,強度と耐久性の確保という特性がある.そのため,土木の建造物には,工業製品のようには情報機能を絞り込みにくい面がある.しかし,土木と近い関係にある建築では,ひところ話題のキーワードとされたインテリジェントビルを実現している.今後は,コンピュータ技術で土木の建造物そのものに情報機能を付加する情報活用が求められるようになろう.
来たるべき21世紀にむけて,土木にはどのような変革が求められているのだろうか.情報活用は土木の変革にどのように寄与するのだろうか.その糸口を探るため,科学技術庁が1992年11月に発表した「第5回技術予測調査」の結果を参照する.この調査は,科学技術分野の開発課題について,専門家を対象にしたデルファイ法で行なわれた.回答者は2回目が3334名,2回目が2781名である.回答の全体的な傾向として,環境保全,病気の克服,防災とういう課題の重要度が高い.未来には健康で安心した生活がおくれる生活大国が求められている.回答の内,都市,建設分野で進展が期待される領域として挙げられたのは,以下の項目である.
この内,「仮想都市」は情報活用のホットなキーワードである通信ネットワーク,マルチメディア,インターネットなどの技術がさらに発展し,その利用が専門家から一般市民のレベルにまで降りてきた時点で実現に向かう.基盤となる通信路の布設,あるいは,そのための施設の新設,増設,改修には全国規模の土木工事が発生する.生産性と安全性に関する領域は土木分野の積年の課題である.これまでの取り組みの延長線上にあるが,情報活用の環境が一新すると飛躍的な改善が期待できる.
重要度の高い課題で建設に関連したものには,以下の項目がある.項目に付記されている重要度の比率は,全体の回答者のうち重要と判断した人数の比率であり,実現予測年は,回答者の平均値である.
技術開発がこの調査の主眼であるため,これらの課題から土木技術へのニーズは明確になるが,情報活用との係わりは表面に現れていない.しかし,課題とされている項目のほとんどは情報システムの支援がなければ実現できない.地震や火山活動を予測するためには,自然現象の微妙な変動を監視し,異常を察知したらただちに状況を解析して予測をたてなけらばならない.原子力発電所を安全に解体するためには,人間に放射能の被害が及ばないよう,建設機械を遠隔操作する技術が必要となる.新幹線を超高速で運転させるには,車両の操作制御とともに鉄道構造物の健全度を定常的に把握する必要がある.こうした機能を付加するためには,コンピュータと情報関連機器を組み合わせ高度な情報活用を行なうことが必須の要素である.
情報活用で土木に新しい活力が注入され,土木のオフィスや建設プロセスに大きな変化があったことは前述してある.ここでは,一気呵成に成長を続ける情報技術を応用することで,この先,土木がどんな変革を遂げるのかについて,その意義と可能性を論述する.
変革の1つ目は,通信ネットワークやマルチメディア,人工衛星データ利用など,通信と情報技術のさらなる進展により,建設プロセスに関連する土木特有の情報システムの段階的な高度化である.その延長に,例えば以下のような建設情報システムが実現される可能性がある.調査,計画は高解像度の人工衛星データが使えるようになると,より広範囲な自然環境を高精度で分析できるようになる.土木CADにウォークスルーや人工現実感の表現が加わると,景観や施工性への配慮が行き届いた設計ができる.施工現場では監視データが映像とともに伝達され,危険を伴う施工は遠隔操作で制御できる.供用されている施設の利用状況が災害発生などの緊急事態に備え,常時監視されている.
変革の2つ目は,1つ目の波及効果として,高齢化と若年層の減少よる労働者不足,低い生産性と安全性という土木が抱えている問題の解消である.施工状況を監視し,危険作業を建設ロボットが代行するようになると,生産性と安全性が向上する.機械化,自動化が進めば少ない人数の労働者で施工できる.加えて,建設現場が産業における情報活用の最前線となれば,魅力ある土木としてのイメージが甦り,若者が土木に戻ってくる.
変革の3つ目は,通信ネットワーク,データベース,マルチメディア,情報の国際規格など情報活用の総力を結集した建設情報の統合化と,その結果,達成される建設プロセスの均質化と精度の向上,コストダウンである.建設情報の統合化,共有化は建設業に携わる多くの技術者が心待ちにしている情報活用であり,建設CALSはそれを象徴するキーワードである.その実現に向け,建設省が率先し実証試験を開始している.しかし,建設情報の統合化は,受け身でいる土木技術者を置き去りにする.だれにも役立つ共通情報は,利用するそれぞれの技術者が提供しあわねばならない.利用しやすく提供しやすい建設情報の形態を考え,運用方法や利用のためのルール作りをする過程で,できるだけ多くの土木技術者の声を反映させるような調整が是非とも必要である.
変革の総決算として土木の産業構造が変わる.建設情報が統合化されると,土木技術者が公平かつ公正に情報活用する道が開ける.情報活用する能力,いいかえれば有用な情報を選別でき,相手に伝達できる能力が,企業活動に問われる場面の比重が増してくる.そして,情報活用が薬となり,土木の体質の悪い部分が正され,良い部分が伸ばされる.
土木には豊かで安全な構造物の建造や,社会の基盤となる情報システムの構築が求められている.建設技術開発会議が1994年に建設大臣に答申した「21世紀を展望した建設技術研究開発のビジョン」から,情報活用に関連する項目を抜粋すると,社会に向けた土木の意気込みが読み取れる.ゆとりと福祉,自然災害からの安全を確保するために土木が提供できる情報活用,情報システムとして,以下の項目が掲げられている.
これらの項目をいくつかの視点で並べると,社会のための土木の役割が見えてくる.その1つに,情報活用と組み合わした土木の構造物の高度化がある.これまで,土木の製品で構造物そのものに情報機能を付加する技術は,他産業の製品のようには実現されずにいる.それが,道路安全システム,視覚障害者の誘導システム,道路交通情報システムといた項目に認められる.これらのシステムは交通施設に設置され施設と一体で機能する.その実現は,個人に豊かな生活と安全な国土を提供する.
2つ目は,地図や災害情報など土木分野で情報活用の経験が豊富な情報項目の整備である.視覚障害者用の地図,バーチャルリアリティー地図,広域災害情報が該当する.地形や地質,周辺環境など自然条件を相手に構造物を建造し維持管理してきた土木には,地図情報や災害情報の取り扱いには他産業より一日の長がある.人工衛星や赤外線カメラ,光ファイバーなどの情報技術を有効に利用し,土木が地図情報や災害情報を整備すれば,その情報活用は他産業に波及する.土木の地図には流通や運輸,交通などで情報活用するには十分な細目と精度がある.災害情報がすばやく行政に伝達されれば,二次災害の防止や事前対策に役立つ.バーチャルリアリティー地図の組み合わせで3次元景観シミュレーション技術が実用化できば,自然環境をシミュレートた地球にやさしい土木構造物が計画できる.人工衛星データの利用技術は農林水産や自然監視など多方面に応用できる.こうした土木の情報整備と情報活用は地球環境問題を解決する手段のひとつとしても有用であり,国際社会にも貢献する.
3つ目は,健康診断通信システムや情報ネットワークの構築など,社会のための通信施設や通信路の建設である.広域の通信ネットワークは地震,地殻変動,降雨量など生活者や社会施設を災害から守る情報伝達路の要となる.公共機関が,行政や施設利用など生活者に役立つ情報を通信ネットワークを介し,マルチメディア対応型で提供するようになると,家庭の情報化に拍車がかかる.
列挙した項目は,国への答申ということもあり,情報システムなどが固有名詞で記述されている.しかし,社会に役立つ情報システムや情報整備で,土木でなければ作れないもの,土木が主体となればよりよく作れるものは,他にも考えれれる.環境保全しながら自然と触れ合うことのできるレジャーシステム,建設需要を全国レベルで把握し廃材の有効利用をはかり環境汚染を防止するシステム,海洋や地中,さらには宇宙などこれまで調査が進んでいない領域の情報整備などは,その一例である.
情報システムづくりや情報整備だけでなく,社会にもっと土木を知ってもらうための情報発信も大切である.土木学会では毎年11月18日を「土木の日」と定め,一般市民が参加する催しを行なっている.こうした成果もあり認識が改まりつつあるものの,まだまだ他分野の人達から土木が正当に評価されていない面がある.インターネットのホームページや電子出版など最新のマルチメディア活用し,土木の情報をもっと社会に発信すべきであり,土木学会はその先導的な役割を担うべきである.新しい情報システムの作成,社会に役立つ情報整備,社会に向けた情報発信など,土木が主役の情報活用を率先して実施していけるよう,土木に自発的な変革が求められている.社会のための土木の変革は,ひいては社会の変革に波及する.情報活用で,社会と土木は相互に良質の影響を与えあいながら世の中が進歩する.
コンピュータの歴史のすべてが語られるこの半世紀,それは,戦後の復興から今日に至るまで日本経済が激動した半世紀でもある.経済の浮き沈みは庶民の台所と直結している.景気の流れが変わると生活者の価値観が動き,それに伴いライフスタイルに変化が生じる.日本経済の節目となった項目を,以下に年代に沿って挙げる.
とりわけ強烈な影響をおよぼした項目は,1970年代に2度にわたり襲ってきたオイルショックと,1990年代の幕開けに勃発しまだ余波が消えやらぬバブル崩壊の荒波である.オイルショックは,それまで概ね10%以上の実質成長率を続けていた日本のGNPをマイナス成長に引き落とした.大量消費に支えられ大量生産が行なわれていた産業構造に根底からゆらぎが生じ,生産の形態は重厚長大から軽薄短小へと移行した.それは,ダニエル・ベルが唱えた脱工業化社会の到来でもある.そして,経済成長の過程でそれなりの衣食住を確保していた生活者は,景気が徐々に立ち直ってくると,人と違う個性のある生活やハイテク,ハイタッチなサービスを求めるようになった.
実質GNP成長率が5%前後の安定した経済を維持できた1980年代の後半には,日本の社会は成熟期に入り,国民のニーズが多様化した.この時期に,生活者の価値観を表現する多くのキーワードが登場した.リーズナブル,伝統,本物志向、ゆとり,快適,簡単便利,エコロジー,自然志向などであり,いずれも一昔前の日本では考えにくいキーワードである.経済大国はしばらく安泰と思われた.
日経の平均株価が1989年の大引けで38,915円の最高値をつけると,1990年の年明けから暴落がはじまり,1992年の夏には14,308円と半値以下にまで下落した.株価につられ,大都市圏の地価,ゴルフ会員権の価格も大きく下降した.いわゆるバブル崩壊である.突如,見舞われた大不況をなんとかしのごうと,日銀は1995年には公定歩合を史上最低の0.5%にまで引き下げたが,折り悪しく円高が進行し,期待した効果は得られなかった.超低金利時代に入ると,国民の所得が目減りするようになり,買い控えにより消費が低迷し,不況に輪をかけるという経済の悪循環に陥った.バブル崩壊を境に,生活者の商品を選択する眼は厳しくなり,流行に左右されない,無理しない,気がねしないといった自分のライフスタイルを持つようになった.打つ手に窮したさしもの大不況にも,1990年代の半ばに来て,ようやく回復の兆しが見えている.生活者がおった深手はまだ癒えないが,バブル崩壊が生活者に与えた教訓も多い.
生活者のライフスタイルは確立されるものではなく,社会や経済の変化とともに流動するものである.いつの時代にも新人類と称される世代が存在する.時代の動きを敏感に察知でき,暮らしが保守的でない若い世代が新しいライフスタイルを取り入れ,やがて,そのスタイルが主流となる.その繰り返しで世の中は進んでいく.TVゲームの時代を経験してきた若者はパソコンの利用に違和感がない.通信ネットワークやマルチメディアなど最近の情報活用に興味を示し,パソコン通信やインターネット,電子出版などの普及を先導している.パソコンを個人で購入し家庭で情報活用する形態は,若い世代からはじまっている.近未来のライフスタイルは,社会や経済の動きばかりでなく,最新の情報活用の環境からも産まれてこよう.
生活者は職業人の顔をあわせ持つ.国が物質的に豊かになり,生活にゆとりができると,人は精神的な潤いを求める.日本でも最近になって,仕事より生活を優先する欧米流の考え方をもった個人が増える傾向にある.その一方で,バブル崩壊は企業の経営にドラスチックな変化をもたらした.存亡にかかわる危機に直面し,企業はリストラやリエンジニアリングなどの組織変革を迫られた.情報システムの世界にダウンサイジングの嵐が吹き荒れているように,企業は減量経営を強いられている.それに伴い,職業人の企業や組織への帰属意識や仕事に対する考え方に変化が見られる.
これまで,日本のビジネスは組織が中心に動いてきた.組織にはマスメリットがあり,ビジネスが大規模になる程,効力を発揮した.のれん,ブランド,企業イメージの傘下でビジネスが行なわれ,社会や消費者の信頼を獲得した.職業人は個性を埋没することが美徳とされ,企業は終身雇用,年功序列といった慣習でそれに報いていた.企業のピラミッド型の組織は,日本を経済大国に押し上げた原動力であった.
組織力は目標が定まると一斉に展開できるが,アイドリングに時間がかかる.一端,動きだすと集団で方向転換するのは容易でない.情報を伝達する経路にバイパスがなく,意思決定するまでの社内調整に手間取る.トップからの指示は上位下達で降りてきて双方向性に乏しい.現場の提案をトップに伝えるには手順を踏んで稟議を通さねばならない.以心伝心やあうんの呼吸が尊ばれ,情報によってはあいまいで見通しが悪い.大量生産の時代ならこの方法でも通用した.しかし,ニーズがばらけているうえ目まぐるしく入れ替わる現代社会では,ピラミッド型組織の情報伝達だとせっかくのホット情報も賞味する前に冷めてしまう.旧来からある日本企業の情報伝達の仕組みは立ちすくんでいる.
情報活用の分野に眼を転じると,通信ネットワークとマルチメディアの時代に突入している.これまで出版物や映画を制作するには高価な機材が必要であり,企業や専門家の仕事であった.マルチメディアを活用すると出版物や画像,映像が自前で編集できるようになる.広域に情報発信するのは新聞やテレビ,ラジオなどのマス媒体であったが,インターネットにホームページを掲載すれば個人が世界中に情報を発信できるようになる.このように個人が対等の立場で情報交換できるヨコ型社会が形成されている.現代人は情報活用で個人が情報の製作者,発信者になれる社会に身をおいている.
高度に成長しつつある最近のコミュニケーションツールで情報活用することで,行き詰まりの見える企業の情報伝達の機能が蘇生できる.通信ネットワーク環境を一足先に整備し終えた企業が多い.そこに電子メールやグループウェアなどのコミュニケーションツールを載せ,組織的に活用しはじめる企業が増えている.インターネットの技術で企業の情報システムを再構築するイントラネットが,新しい情報活用ツールとして注目を集めている.今後,通信ネットワークを媒介にした情報伝達は企業に普及し,企業内,企業間の主要な情報コミュニケーションツールになるだろう.
通信ネットワークの利用には企業の組織構成を土台から崩していく要素がある.通信ネットワークは相手を指定し直に情報伝達できる仕組みであり,迅速,正確である.さらに,個人と個人が直接,情報交換しながらビジネスを遂行できる情報環境となり,組織内で「個の確立」を実現する下地となる.これはピラミッド型組織にとり両刃の刃である.普及の初期では,従来の伝達経路との間で軋轢が生じることになる.しかし,早晩,企業に情報伝達の新しいルールができ,それに伴い,組織の構造も変化する.企業のリストラ,リエンジニアリングは,職業人の個人に対しての痛みとともに,経営側の制度や組織の運営に関しても痛みを伴わねば達成されない.
建設分野での職業人の「個の確立」には,多少の特色が見受けられる.規模の大きさ,受注,単品生産という生産形態から,建設は一般製造業ほど個人ニーズが多様化しにくい.建設資本は,個々のニーズを集約,収斂した建造物に投下され,金額も高額となる.情報活用の場面にダウンサイジングが進行しても,建設プロセスの遂行には依然として組織力に頼る部分が残されることになり,これが「個の確立」を阻害する要因となる.
反面,個の確立を促進する要因もある.建設プロセスには複数の企業,組織が連携し遂行されており,企業,組織を横断する情報伝達が多い.通信ネットワークを利用すると,個人と個人が組織の代表として情報交換することになる.この場面では,組織内の情報伝達で「個の確立」がなされないと,スムーズな情報伝達が行なえない.建設企業の対外的な情報伝達には必然的に「個の確立」が求められる.それが発展すると,調査,計画や設計,あるいは施工における資機材管理や計測,制御,点検など,建設プロセスの中で組織よりは個人の能力に依存する比率が高い部分では,個人が組織間でプロジェクトを形成することも可能となる.そこには,組織に属しながら,一時的に組織から分離した個人の集団が,通信ネットワークで情報交換しながら建設プロセスに参加する姿がある.
21世紀には,日本の企業からピラミッド型の組織が消滅するかも知れない.さらには,個人の情報活用がビジネスを変え,新しいビジネスを誕生させる.そして,企業の組織そのものが解体していくかも知れない.職業人に自立が求められている.新時代の職業人は情報活用で個を確立し,組織力に依存しないでビジネスを達成していく能力を身に付けた個人である.
物のない時代は食べられず病気になったが,現代人は過食で病気になる.この現象はそのまま情報活用にあてはまる.コンピュータを利用する情報処理技術が躍進し,通信ネットワークが整い,企業,大学内に巷に情報が氾濫し錯綜する時代となった.コンピュータを利用することで,情報が速く,広く,多様に加工できるようになり,情報の量と扱う件数が増えた.電子メールが飛び交い,情報が情報を求めている.コンピュータを使っても,仕事が仕事を産み,いっこうに楽にならない.現代人は情報に病んでいる.
通信ネットワークは社会に情報活用の恩恵をもたらす一方で,テクノストレス,情報依存症,VDT (video display terminal)症候群などの現代病を誘発する引き金となった.土木技術者は,扱う材料や建造する構造物が堅固であるばかりでなく,探求心も旺盛で,実直で真面目な性格の人が多い.このような性格の人程,現代病に取り付かれやすい.よりよい業務改善や提案を追求するあまり,情報活用するとなるとコンピュータの仕組みや原理にまで深入りしなければ気が済まなくなると危険信号である.
通信ネットワークやパソコンは,土木の技術的な仕事や学問を便利に支援してくれる.キーボード操作に選択の幅は広がっているものの,電話機やファクシミリと同じく,最新の情報技術が提供するツールのひとつである.現代人は電話で会話したり,ファクシミリで情報を受発信するのに違和感がない.情報機器を利用する情報活用もかくあるべしといえる.パソコンが思った通りに動かなかったり,操作が分からなくなったり,通信ネットワークで情報が文字化けしたり行方不明になったりするのは,ツールか使用者のどちらかに問題がある.使用者が以下に挙げる情報活用の基本的な事項を身に付けているとするなら,情報ツールにまだ未成熟な部分あることが不具合の原因となる.
いずれ情報ツールは,電化製品や自動車のように,誰でも分かりやすく操作できるように成長する.建設分野の産業構造や企業の組織形態にも変化が訪れよう.しかし,有史依然に発祥した土木技術はなくならない.土木技術を発展させ,次世代に伝承するためには,日常の業務で最新の情報ツールを使いこなし,有用な情報を選別し,使いやすい形に編集して人に伝えていくことが基本である.組織内で,あるいは組織の枠を越え,情報の価値を見極め,人に情報を発信できる人材がこれからの土木技術を先導していく.これが土木技術者の「個の確立」である.