医療・製造や海水ろ過の分野で導入が始まった膜処理技術に注目し、大量の廃水処理を行う下水道分野で「膜分離活性汚泥法(MBR)」の技術開発から普及に至るまで、果敢にチャレンジし、多くの困難を乗り越えてきた。
膜処理技術は、医療・製造や海水ろ過の分野で導入が始まった技術ですが、近年では、上下水処理においても盛んに取り入れられるようになりました。特に下水処理では、「膜分離活性汚泥法(Membrane Bioreactor:MBR)」と呼ばれる方法が採用されています。
しかし、わずか10年ほどさかのぼるだけで、下水処理を取りまく状況は一変します。当時、膜処理技術は、下水処理のような大量の排水処理が必要な場面ではほとんど注目すらされていませんでした。
この技術に早くから注目し、技術開発から普及に至る、下水処理分野での膜処理技術の育成に、果敢にチャレンジされてきた技術者が、村上孝雄氏です。
大学において衛生工学コースを専攻し修めて以来、一貫して水処理分野の研究に携わってきた村上氏ですが、当初この技術に先進的に取り組む気持ちは、いたって「懐疑的」だったといいます。
MBRによる処理水はきわめて綺麗であること(例えば、ノロウィルスの除去も極めて良好)、消毒用塩素注入などの工程が不要なこと等の利点は以前から理解されていました。その一方、下水のような大水量の処理に要するろ過膜の製造コストやその管理コストなど、導入コストが高価であり、様々な利点を相殺してしまうかもしれない、と村上氏は考えていました。
しかし、コスト縮減要請の高まりという時代潮流が、逆に膜技術の研究に追い風を吹かせます。都市での親水公園整備、大規模ビル群の水辺空間の創出など都市内下水の処理要望が増える一方、通常の下水処理では大きな処理面積が必要なために、実現が不可能となっていたのです。そこで、膜の製造コストが高価でも、沈殿池が不要で敷地面積を大幅に削減できることで、MBRは研究推進すべき技術として大きな注目を浴びはじめました。
写真3 実験プラントでの村上氏
(村上氏提供)
MBRの都市下水処理への適用は、1998年の日本下水道事業団と民間企業との第一次共同実験にあたる「埼玉県中川水循環センター」パイロットプラントから始まりましたが、その苦労は並大抵ではなかったそうです。膜の目詰まり防止策としての空気洗浄は全く効果が無く、通常は数ヶ月に1回もやれば十分の膜の洗浄が、3日に1回の割合で洗浄しなければいけない状況でした。時には泊まり込み体制を敷いて洗浄作業を繰り返すことを強いられました。実験プラントの分離膜を引き上げて手作業で洗うたびに、不安がよぎり、挫折感が漂うなか、チーム全体でミーティングを繰り返し、粘り強い意志を持ち続けました。献身的にトライアンドエラーを重ねるうちに、活性汚泥の濃度を高く保持することにより、効率的に膜の詰まりがとれやすくなることが分かり、成果が上がるようになってきました。「今思えば最初の実験は事業場排水の比率が大きく、生活排水に比べ格段に処理が難しい排水だった。この壁を超えたのが本当に大きかった」と村上氏は当時を振り返ります。
このような実証実験を繰り返し、主な研究成果として、2003年度の『膜分離活性汚泥法の技術評価』『膜分離活性汚泥法設計基準(案)』のとりまとめを行い、これを機に自治体への導入も進んでいきます。2005年4月には第1号施設である兵庫県福崎町「福崎浄化センター」が稼働開始したのを始め、2009年末時点で10施設が稼働し、今後数年で、約20箇所のMBR稼働が見込まれています。
下水処理施設の多くは約30年前に建設されたもので、国内の中~大規模施設の多くが近々設備更新を迎えます。「MBRは有力な更新手段である」と村上氏は考え、下水処理量や特性に応じた技術提案を全国に向け行っています。大阪府堺市の「三宝下水処理場」はその先駆的事例であり、関係者はその成果に注目しています。
また村上氏は、MBRを「下水処理技術を表舞台に上げる技術」と位置づけています。膜処理技術は、一般家庭でもみられる、水をフィルターでろ過するという身近な技術であり、中東や東南アジア等で推進されている飲料水供給プロジェクトでも活用されている普遍的な技術でもある、という面も持ち合わせているからです。
安全できれいな水に対する生活欲求の高まりを受け、また淡水資源の保全や地球温暖化対策の観点からも、下水処理水の再利用促進が期待されています。村上氏の活動も、今後さらに各界から注目を集めることでしょう。
生活シーン全般で、より無臭で綺麗な水が求められています。しかし一方、下水の高濃度化や新しい化学物質(環境ホルモンやダイオキシン類、し尿に混じり排出される医薬品、浴室排水等に混じる化粧品等)混入、水温の高温化などの質的な変化が起きています。下水には人間生活や社会情勢の変化が反映されやすく、それらにどう対応するかが重要となってくるでしょう。
下水道分野は、取っ付きにくそうな反面、大変魅力的で夢のある分野。明るく粘り強く研究に取り組んでいくことが大切です。膜処理技術は10年前には分かっていることが時代の流れの中で見直され、実現性が可能となった技術です。他にも、20年前から下水汚泥に金やレアメタルが含まれている事が分かっていました。レアメタルの価値上昇が顕著ななか、これらを抽出する都市鉱山的な技術が、ひょっとすると近々花咲くかもしれませんね。
行動する技術者たち取材班
森島仁 Hitoshi MORISHIMA 日建設計総合研究所 主任研究員
参考文献
1)村上孝雄:「膜処理技術は高度処理の普及を促進し、再生水利用率の向上に貢献できるか」,月間下水道Vol.32,No.9,pp.14-17,2009.
2010.1.28
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第11回 しぶとく、明るく、トライアンドエラー~時代の変化に応えた下水膜処理技術開発~(PDF) | 187.53 KB |