中野 朱美 (社会コミニュケーション委員会委員)
平成26年2月24日、東京四ツ谷の土木学会講堂にて第2回「土木 a la mode」が開催された。今回は、石原裕次郎主演の映画“黒部の太陽”で有名な黒部ダムと、神奈川の水がめ・宮ケ瀬ダムを取り上げ、徹底比較した。いずれのダムも、ダム本体とその周辺地域を含めて、年間100万人以上の観光客が訪れている、まさに人を惹き付けるダムである。昨年50歳を迎えたダム界の大先輩と、平成生まれの14歳の若手ダムの良いところ、人を呼ぶ秘訣を徹底比較するという、ユニークな企画に対して各方面から大きな反響があり、官公庁、建設会社、電力会社、コンサルタント、ダムマニア等幅広い層から122名の申し込みがあり、土木学会講堂は満員になった。今回は、土木学会のイベントとしては極めて珍しく締切日を前に予約を断るという事態になり、ご来場頂けなかった方にも会場の様子を味わって頂けるよう、イベントの模様を動画に収録しYou Tubeにもアップしている。
興味を持っていただいた方には、今からでもご覧いただけるのでぜひチェックして頂きたい。
それでは、当日の模様について報告する。
【開会挨拶】
まず始めに、社会コミュニケーション委員会 野崎委員長から、「土木のことを社会一般にもっと理解してもらえるよう、気軽に話し合える場として トークイベントを開催している。第1回は“ドボジョ”を取り上げ、今回の第2回は“人を呼べるダム”を取り上げることになった。本日は皆さん楽しみにしてください」との開会の挨拶を頂いた。
プログラムの本編がスタートする。
【第1部】
黒部ダム~その魅力を探る~として、吉津洋一氏(関西電力(株)北陸支社長)にご紹介頂いた。
昭和30年代、関西圏における高度経済成長を支える旺盛な電力需要に対応するという目的で、黒部ダム及び黒部第四発電所の開発は、周囲を3000m級の山々に囲まれた厳しい自然環境の中、前人未到の渓谷にダムを造るというもので、最初の資材輸送はブルドーザーを分解して人が担いで運ぶという前代未聞のものであった。総工費513億円は、当時の関西電力の電力収入のおよそ半分にあたり、世界銀行の融資を受けて工事にあたるという、まさに社運をかけた挑戦であった。
しかし、同時期に起こった仏マルパッセダムの崩壊事故を受けて、世界銀行技術部が再度の岩盤調査を勧告した他、186mの堤高を150mに下げるように要請した。しかし、堤高を下げると貯水容量が減るため、発電量が少なくなることを恐れた関西電力は、その後16回にも及ぶ設計変更を余儀なくされた結果、両岸の岩盤を削って重力式ウイングダムを造った上で、そこにアーチダムを結合するという、かつてない形状のダムになった。
施工面では、現地の厳冬期の気象条件を考慮した結果、打設しながら湛水するという極めて稀な方法になり、超高速施工に挑んだ結果コンクリート打ち込み量の日本新記録を樹立することとなった。
黒部ダムが人を惹きつける魅力については、想像を絶する困難の中、何が何でも世の中の役に立つダムを造るのだ、という熱い使命感のもと建設工事にあたった、延べ7万人にも及ぶ建設工事従事者の強い思い、情熱と、それらの先人のスピリットを引き継いでいく現代の関係者の情熱が半世紀を越えてなお新鮮さを失わず、今も人を惹き付けているのではないかと話された。
続けて、人々に守られる宮ヶ瀬ダム-原点は「黒四ダム」と「フーバーダム」として、竹村公太郎氏 (NPO法人 日本水フォーラム事務局長)にご紹介頂いた。
かつて竹村氏がフーバーダムを見学した時、わざわざ天端のギャラリー塔をアーチの外側にまで張り出す形に設計したのは、ダムが完成した後、訪れる人をその高さで怖がらせてやろうと考えていたからだと聞いていたく感銘した。そこで、宮ヶ瀬ダムでは、竣工後にはぜひとも観光客にアピールできるようにと、いくつかの工夫を仕込んだ。例えば、施工時に20tダンプを丸ごと載せて運べるインクラインをカウンターウエイトを使ったやじろべえ式にしておき、将来、コストをかけずに人を運べるケーブルカーに転用できるようにしておいた。 また、ダムの直下から見上げられるような位置に観光ギャラリーを配置するというレイアウトなど、ダム完成後に観光利用に活用できるように設計したという秘話を語った。
宮ヶ瀬ダムは、当時、人口増加の続く神奈川県が将来の水不足に備えて、独自の水源ダムを確保したいという大きな課題があり、完成後は安定した自主水源という目的を十分に達成することができた。また、地元に対しても、環境保全をはかるため大規模なビオトープを設計した他、周辺整備のための振興財団を設立し、地域住民のメリットになるよう、自主的運営が可能なようにしたことで、神奈川県民の財産として、ダムという大きなインフラを残すことができたという。
インフラ構造物は造った後に、多くの人が来てその価値を理解してくれれば、未来永劫人々の手で護られていくようになると話された。
【第2部】
コーディネーターを勤めた高橋裕先生
50年も前、人を寄せ付けないほど厳しい自然の中に造られた人工美である「黒部ダム」と、21世紀の幕開けの西暦2000年に竣工した、首都圏および横浜からわずか50kmの距離にある「宮ヶ瀬ダム」について、それぞれの時代背景を話された。
1956年、黒部ダムが完成をした時、高橋先生はそのニュースを留学先のフランスの地方新聞に載った日本を賞賛するスタンスの記事を読まれ、日本が大きく成長しようとする、燃え上がった時代だと感じた。まさにその記事になったのが黒部ダムである。
一方、2000年に完成した宮ヶ瀬ダムは、地方の都市化が進む一方、自然保護など環境問題への関心が高まり、ダムへの反対運動も盛んになってきている時代でありつつ、手厚い地元への環境整備を行い、貴重な財産として残せたダム。
どちらのダムにも共通して発注者や技術者、建設工事に従事した労務者など、ダム事業を支えた人々の熱い思い、情熱があった。それがダム完成後も人を惹き付ける魅力になっているのではないだろうか。と話された。
【第3部】
会場とのディスカッション
当日、来場されていた元土木学会阪田憲次会長は、両ダムが年間100万人の観光客を呼ぶ力を持っているという点に着目、今後、ダムの役割をもっと広く知ってもらうには、そうした力を活用すべきと語り、昨年、台風の大雨に対して現実に洪水を防いだ事例など、具体的な情報を出して認知を深めていくことが大事ではないか、と話された。
報告の最後に、当日、来場者に配布する資料や記念品などをご提供頂いた関西電力(株)と、宮ヶ瀬ダム管理事務所の方々をはじめ、会場設営の準備からお手伝いいただいたダムマイスターの夜雀さん他、土木学会事務局、社会コミュニケーション委員の方々に厚くお礼申し上げたい。
【プログラム概要】
日時:平成26年2月24日(月)
18:30~18:40 開会挨拶
社会コミュニケーション委員会 委員長 野﨑 秀則
18:40~19:00 【第一部】黒部、宮ケ瀬それぞれダムの紹介
(竹村公太郎氏、吉津洋一氏)
19:00~19:10 (休 憩)
19:10~19:30 【第二部】高橋先生の解説とプレゼンテーターとの議論
19:30~19:55 【第三部】黒部vs宮ヶ瀬のすごいところ
会場ディスカッション質疑応答、記念品抽選会
場所:土木学会 講堂
ゲストスピーカー:
高橋 裕 (東京大学名誉教授)
竹村 公太郎 (公益財団法人リバーフロント研究所 代表理事)
吉津 洋一 (関西電力(株)北陸支社長)
定員: 100名 (122名申込 当日95名参加者)
【新聞報道】
建設通信新聞(H26.2.26)[掲載許諾済み]
建設産業新聞(H26.2.26)[掲載許諾済み]
電気新聞(H26.2.26)
セメント新聞(H26.3.3)[掲載許諾済み]
建設工業新聞(H26.3.6[掲載許諾済み])