緒言
河川名千丈川
架設年1930年
形式鉄筋コンクリート下路式
タイドアーチ橋
規模橋長25.4m
径間24.4m、幅員5.0m
鉄筋混凝土繋拱橋(てっきんコンクリートけいこうきょう)。RCタイドアーチ橋のかつての呼び名である。今回紹介するのは、このような表記が使われていた1930(昭和5)年、愛媛県八幡浜市の千丈川につくられた明治橋である。現役最古のRCタイドアーチ橋である明治橋を、技術史的な視点から紐解いてみようと思う。
このタイプの橋は、フランス西北部やベルギーでは第一次世界大戦(~1918年)後、標準型として多く架設されていた。ただ、日本での施工事例は多くなかった。当時出版されていたRC橋梁の書籍を見ても、ほとんど扱われておらず、計算方法も配筋図も見あたらない。十分な先行事例も教科書もないなかで、最先端の技術を取り入れようという果敢な挑戦だったといえるだろう。
ただこの挑戦には、時間的猶予は与えられていなかった。1929年5月21日に、同年の追加予算として架設が決定し、翌年3月には竣工している。同年代の同種、同規模の橋である神奈川県の千歳橋で施工に197日かかっていることから推測すると、事業決定から着工までたったの4ヶ月ほどしかなかったと思われるのである。
続いて施工について見てみよう。たとえば水セメント比については、これが強度に関係していることは国内では関東大震災後あたりから知られるようになったが、施工の現場に浸透するのは、土木学会がコンクリート標準示方書を整えた1931年よりも後であった。1926年に内務省が発表したと思われる『鉄筋混凝土橋梁設計準則』には、鉄筋の間に流れ込める程度にやわらかくするが、モルタルと骨材が分離するほどやわらかすぎてもいけない、という程度のことが書かれているのみである。混和剤もなかった当時、水の入れすぎなどで完成後まもなく壊れたものも多かったようである。また型枠支保工の技術も模索段階で、コンクリートを流し込んだら壊れた、というようなこともたびたび起こったようだ。型枠に関していえば、剥離剤も開発されておらず、型板の表面をカンナで滑らかにして水でよく湿らせてから打設する、打設直前に石けん水を塗る、型板に油を塗り乾かしておく、などの方法がとられた。ただし完成後に表面をモルタル仕上げなどにする場合は油を使用できず、また明治橋の吊材のように細い部材では打設直前に石けん水を塗ることも難しかった。表面仕上げがされている明治橋では、水で湿らせてから打設したものと思われる。技術者のセンスと高い志明治橋のデザインに目を移してみると、アーチリブの内側に床版が収まっているような形をしている。
また、吊材の直下に2段の小さな突起があり、吊材に吊られた横梁が床版を支えているという関係が明快に表われている。これらにより「複雑な形のコンクリートの塊」ではなく「それぞれ機能をもつ部材の組み合わせ」に見えるデザインが実現し、全体に重くなりがちな下路式アーチ橋の形態的バランスがとられている。しかし当たり前であるが、これらもすべて型枠による造形である。最下部の床版から型枠を組み上げていく際、構造的には単なる薄い箱形でも構わないが、複雑な型枠をつくることで、シンプルな部材を組み上げたような造形を行っているのである。
こうして時代背景とともに明治橋を見てみると、十分な情報や施工事例のない橋梁形式、打設に耐えられないかもしれない型枠、剥がせないかもしれない型板、ほどなく崩れてしまうかもしれないコンクリートなど、模索中の技術のなかでの架橋であったことがわかる。不確定要素の多いなかでも手間をいとわず美しい造形に挑戦し、かつ80余年たった今でもびくともしない堅牢な橋梁をつくりあげた当時の技術者に、心から敬意を表したい。
出典:真田 純子,『明治橋 コンクリート技術の模索と挑戦-現役最古のRCタイドアーチ橋-』,土木学会誌,Vol.96, No.4, pp.12-13
所在地愛媛県八幡浜市 大正町─古町