緒言
井倉橋:
形 式鋼ソリッドリブ・タイドアーチ橋
規 模長さ88.49m、スパン55.2m
完成年:1936(昭和11)年
田井橋
形式:鋼ランガートラス橋
規模:長さ114.7m、スパン88.28m
完成年:1937(昭和12)年
方谷橋
形式:鋼ランガー桁橋(カンチレバー)
規模:長さ99.9m、スパン56m
完成年:1937(昭和12)年
(1934年)9月21日、西日本各地を襲った台風は、岡山県下でも高たか梁はし・旭・吉井の三川を中心に甚大な被害を及ぼした。多くの市町村が濁流にのみ込まれ、死者・行方不明者145名、家屋の全半壊4560棟床上浸水約2万7000棟、土木関係では2856(流失1394、破損538)個所の橋梁に被害が出た。
県土木課では災渦の最中21日午後8時から徹夜で協議し、橋梁の流失した個所には仮橋、渡船場を設けることとし、翌22日には調査員を派遣して、主要な個所については24日までに応急復旧に着工した。26日には土木部首脳会議を開催し、応急対策の実施方法と国費補助申請に向けた設計方針について協議している。
復旧橋梁の形式選定橋梁の本復旧にあたっては、これまでの木橋からコンクリート、鉄の永久橋にするとともに幅員を5・5mに拡大し、将来の交通需要にも対応するものとした。中でも橋長70m以上のものは鋼橋とし、1936( 昭和11)年に正田橋(ランガートラス)、井倉橋(タイドアーチ)、玉川橋( プラットトラス)、1937年に田井橋(ランガートラス)、方谷橋(カンチレバーランガー桁)、旦土大橋(ワーレントラス)、江与味橋(ワーレントラス)、1938年に水内橋(ゲルバートラス)など、実にさまざまな形式の大型鋼橋が一斉に架けられ、高梁川・旭川はさながら橋の見本市であった。
内務省復興局橋梁課長として関東大震災の復旧を手がけた東京帝国大学教授の田中豊から予算および架橋地点の地形に適合するようにとの指導を受けたが、この助言がさまざまな形式が採用された要因とは思えない。なぜなら、田中豊が岡山に来たのは災害後3ヶ月も経った12月22日で、すでに10月中には内務省による復旧原案の査定を受けて事業費が確定している。
ちなみに査定率は82・6%で、当時の新聞には「縣復舊案を査定官が大斧鉞!」と報道された。形式の多様性は、むしろ九州帝国大学の土木工学科を卒業し、東京市の橋梁課に在籍した後、長野県から復旧担当として岡山県に赴任した古川一郎の影響ではなかろうか。水内橋の竣工式では、彼が工事報告を行ったことが明らかになっているし、著書の『橋梁工学』では、水内橋、正田橋、方谷橋、田井橋など岡山県で復旧を手がけた橋梁を写真付きで多数紹介している。
出典:樋口 輝久,『室戸台風の災害復旧橋梁群-復興の証として-』 土木学会誌,Vol.97, No.6,pp.6-7、2012
井倉橋 岡山県新見市井倉~草間
田井橋 岡山県高梁市高倉町田井~川面町
方谷橋 岡山県高梁市本町~落合町近似
架橋後70年以上を経た復旧橋梁のうち、新見市、高梁市に移管された井倉橋、田井橋、方谷橋は地域を支える足として、また、当時の土木技術や災害の歴史を伝える貴重な土木遺産として、土木学会選奨土木遺産に認定され、今なお現役で活躍している。しかしながら、岡山県管理の正田橋(撤去)、玉川橋(架替中)、水内橋(計画中)、旦土大橋(設計中)、江与味橋(計画中)などは架替が次々と進められている。
出典:樋口 輝久,『室戸台風の災害復旧橋梁群-復興の証として-』 土木学会誌,Vol.97, No.6,pp.6-7、2012