創世橋に関する記録は,架設されている創成川の計画や名前の由来に関するもの,あるいは北海道の道路元標としての位置づけに関するものを除くと,旧北海道庁札幌派出所発行の橋梁台帳以外にはないといってよい。そこに記されているのは,スパン,幅員といった基礎諸元のほか,設計員として「澤連蔵」という名が記されている。
構造形式については「石造橋」となっており,日本橋の竣工に先立つこと約一年,1910年(明治43年)4月,当時の北海道庁に新設された札幌土木派出所の図面が引き渡され,同年10月に竣工したと記載されている。現在の創成橋は華僑から100年近くが経過しているものの初代のものではなく,木造橋として架設されてから札幌の開拓の歴史とともにその歴史を刻んできた。しかし木造の創成橋はたびたび豊平川の氾濫により流出し架け替えが行われてきた。現在の創成橋架設の経緯については,橋梁台帳によると「(先代の)土橋の腐朽」が原因とされている一方,1909年(明治42)年4月に札幌を襲った大水害により流出したことが原因との説もある。これまでの情報を整理してみると,流出までにはつながらなかったとしても,土橋であった先代創成橋がこの水害により大きな損傷を受けた可能性はきわめて高く,現在の創成橋への架け替えの機運はこのとき産まれたものと思われる。そして水害から一年後に設計図書が完成,その半年後には竣工を迎えることとなる。
当時,馬鉄や路面電車の通行も考慮して幅員は約13mと広いものの,スパンはわずか6mあまりと小さい橋ではあるが,施工自体が半年で完了したことは驚きに値する。 構造形式:石造単アーチ 設計者:澤 連蔵 橋長:7.33m 幅員:13.25m スパン:6.38m ライズ:1.05m スパンライズ比:6.08 1909(明治42)年4月:流出あるいは損傷 1910(明治43)年4月:着工,10月竣工
創成橋の設計者として橋梁台帳に名を刻む「澤 連蔵」に関する記録は,当時の人名録にわずかに残るのみである。澤は1870(明治3)年3月長岡に生れ、東京の攻玉社で数学や測量学を学んだ後,北海道に渡り,刑務所の看守等を経て,北海道庁に土木技手として採用される。その後,土井良太郎に部下として室蘭土木派出所勤務等を経て,1910(明治43)年,新設された札幌派出所となり,谷口三郎の部下として創成橋の設計に携わったことになる。澤の土木技術者としての記録はほとんどなく,大正年間になって小樽市の技師になったことがのこされているが,その後の動静については不明である。
ここまで出典:蟹江 俊二ほか『創成橋と日本橋 二つの橋に見る技術進化の過程と背景』土木史研究論文集,Vol.27,pp.1-12,2008
札幌創成橋は,明治43(1910)年に木橋から架け替えられた石造アーチ橋である。 同橋は,橋長が短いながらも幅員が広い橋で,従来の和式石橋と比べてもスパンライズ比が大きく(従来の石橋3):3.0-5.8,創成橋:6.08),当時としては珍しい路面電車などの重量物の通行を視野に入れた設計となっている.
近年,創成橋が架設されている札幌市街中心部を流れている創成川に沿う幹線道路がアンダーパス化するのに伴い,同橋の保存や移設に関わる検討が始められた.同橋は北海道内に現存する石造アーチ橋3橋のうちのひとつであり,かつ現役の道路橋として今も供用されているという点で,歴史的価値の見直しと構造的特徴の把握が必要とされている。
運河としても利用されていた創成川はたびたび水害をもたらし,創成橋は幾度も流出の憂き目に遭ってきた.現在の石造創成橋の架橋直前にあたる明治42(1909)年4月,大規模な豊平川および創成川の氾濫により,木造創成橋は豊平橋と共に流出した.流出から1年後の明治43(1910)年4月に北海道庁札幌土木派出所が工事着工同年10月,わずか半年の工期で竣工した.
出典:工藤 直,蟹江 俊仁ほか『札幌創成橋の構造と力学的特徴』北海道支部論文報告集 Vol: 62巻 年: 2006年 頁: I-18頁
所在地 北海道/
札幌市中央区南1条西1丁目
昭和53(1978)年に大規模な補修工事が実施された.しかし高欄などの改修が主であり,橋本体の改修は行われなかった.創成橋の下面から輪石の風化状況を調査したところ,えぐれたような損傷箇所がいくつも見られた.この損傷は特にアーチ端部に多く,えぐれの程度が著しい部分にはモルタルが詰められている.また,この改修工事の際に輪石の一部が脱落,元の位置にモルタルを用いて補修したという報告もある. 同橋のアーチ部の大半は,圧縮強度が小さく風化しやすい性質を有する札幌軟石によって構成されている.・札幌軟石で構成される橋幅中央付近の一般部は,常時荷重に対して充分な耐力を有していると考えられる・しかし,目視により現況を調査したところ,輪石の風化が著しく,えぐれや欠落している箇所も多く見られた.・3次元FEM解析によれば,札幌軟石の剛性のみで応力や変形が評価できるのは,橋の中央部だけであり,橋幅端部付近では札幌硬石に応力が多く分担され,軟石の脱落が懸念される.
出典:工藤 直,蟹江 俊仁ほか『札幌創成橋の構造と力学的特徴』北海道支部論文報告集 Vol: 62巻 年: 2006年 頁: I-18頁
大正7(1918)年8月に路面電車が設置され,昭和48年(1973)3月に撤去されるまで路面電車の供用に耐えた同橋は,昭和53(1978)年に大規模な補修工事が実施された.しかし高欄などの改修が主であり,橋本体の改修は行われなかった。創成橋は合口の部分にモルタルが挿入されてい点,橋台およびアーチの付け根部分にコンクリートを使用している点,アーチ石の上面に三和土が布置されていた点などから考えても,従来の和式石橋と明らかに異なる構造様式を持った橋である.・この構造様式には,当時の西洋式アーチ設計法との共通点が多く見られる・同橋のアーチ部の大半は,圧縮強度が小さく風化しやすい性質を有する札幌軟石によって構成されている。
出典:工藤 直,蟹江 俊仁ほか『札幌創成橋の構造と力学的特徴』北海道支部論文報告集 Vol: 62巻 年: 2006年 頁: I-18頁