ワインカーヴは、英語の「ワイン」とフランス語の「カーヴ」(cave:綴りと語義は英語と同じで発音が異なる)を組み合わせた言葉で、ワインの地下貯蔵庫のことである。ワインは、温度、湿度、振動、光に敏感なため、一般には工場の地下などに貯蔵庫を設け保存・熟成しているが、ここ山梨県甲州市では、廃止された明治時代のトンネルを活用している。
このトンネルは、旧中央本線の深沢トンネルで、新深沢第二トンネルの新設(防災強化のための線路付替え)に伴って1997(平成5)年に廃止され、JR東日本から地元の勝沼町に無償譲渡された。勝沼町では、トンネル内の気象条件がワインの保管に適していることに着目し、2005(平成17)年5月24日に「勝沼トンネルワインカーヴ」としてオープンした。ワインカーヴは、ボトル約100万本の収容能力があり、地元のワイナリーのほか、レストランや個人向けにも貸し出されている。
甲府盆地に初めて鉄道が達したのは、1903(明治36)年のことで、同年6月11日には初鹿野(現・甲斐大和)~甲府間の開業式典が甲府市で盛大に挙行された。当時の鉄道作業局長官は後の初代土木学会会長・古市公威で、古市は開業式典に出席した後も沿線の工事現場などを視察し、名古屋経由で帰京した。
深沢トンネルは中央本線の甲斐大和-勝沼ぶどう郷間に位置する延長1106mのトンネルで、1896(明治29)年12月に起工した。工事中は、大量の湧水と坑内の換気に苦労したと伝えられるが、1899(明治32)年12月に導坑が貫通し、翌年11月に竣工した。トンネルの構造は笹子トンネルや隣接する大日影トンネルなどとも共通し、ピラスターに支えられた風格ある石積みのポータルは、明治期の典型的な坑門のデザインである。工事は、鉄道作業局八王子出張所の直営で、作業員は有馬組および大倉粂馬が供給した。
一方、勝沼付近は、奈良時代にわが国に伝えられた葡萄の産地として古くから知られ、江戸時代には神田市場などにも流通していた。やがて明治維新とともに新しい産業を興す気運が高まり、1878(明治10)年、地元の有志が大日本山梨葡萄酒会社を設立し、25歳の高野正誠と19歳の土屋龍憲を約1年半フランスに派遣して、ワインの醸造技術の習得にあたらせた。2人の帰国によって本格的なワイン造りが始まり、やがて開通した鉄道により全国へと出荷された。
鉄道のもたらした土木技術は、甲州ワインの生産にも少なからず影響を与えた。ワインの貯蔵施設の建設に鉄道で用いられた煉瓦積みアーチ構造物の技術が応用され、1898(明治31)年、土屋龍憲によって半地下式の「龍憲セラー」が完成した(国登録文化財)。
勝沼町には、勝沼郵便電信局舎(現・旧田中銀行博物館)、宮崎第二醸造所(現・メルシャンワイン資料館)、勝沼堰堤、祝橋などの近代化遺産があり、町ではこれらの遺産を観光資源として活用するため、「勝沼タイムトンネル100年構想」を立案し、地域の活性化を図っている。
この計画では、散策コースとして「ぶどうの歴史コース」、「ワインの歴史と味のコース」、「鉄道遺産コース」が用意され、「鉄道遺産コース」では、深沢トンネルの甲府方に隣接する延長1368mの旧大日影トンネルを遊歩道として整備し、勝沼ぶどう郷駅から旧大日影トンネルを経由して勝沼トンネルワインカーヴへと観光客を導く予定である。勝沼町は2005(平成17)年11月1日付で塩山市、大和村と合併して甲州市となったが、計画はそのまま継承されており、何年か後にはワインを楽しみながら、優雅な気分で近代化遺産を巡ることができるだろう。
(出典:ワインカーヴになった明治の鉄道トンネル―勝沼トンネルワインカーヴ(旧深沢トンネル)―,小野田 滋,土木学会誌91-1,2006,pp.74-75)
山梨県甲州市勝沼町