「めがね橋」は、埼玉県春日部市八丁目地先にある市道橋である。同橋の南側部分は、頂部がアーチ型の4連の煉瓦づくり樋管で、水面に円形が並んで眼鏡のように見えることから、この呼称がある。この煉瓦づくり樋管は、「倉松落大口逆除」が建設時の名称である。現在、交通量の増加に伴って、1径間のPC桁が北側に並設されている(なお、本稿では以下倉松落大口逆除を、めがね橋または樋管と記述する)。
同樋管の前身である倉松落(現・準用河川幸松川)の門樋は、1890(明治23)年8月の洪水によって破壊された。このため、1891年3月に強固な煉瓦づくりの構造で復旧工事に着手し、同6月完成して「めがね橋」が誕生した。なお、この樋管の役割は排水先である大落古利根川の高水が、倉松落に逆流するのを防止するためである。
現在、めがね橋の樋管部分は上部を除く本体と、下流両岸の翼壁が残存しており、地山に巻込む袖部は既設護岸があるので有無が不明である。また、めがね橋に関する図書などの資料がなく、構造の形状寸法は把握できない。このため既設の計測可能な寸法は、樋管長(流水方向長)が5.10m、胸壁の長さが11.10mで、4連ある樋管は幅が1.89mである。本体の高さは、上部が改築されているので不明であり、樋管の床版・頂部間の高さが未測定である。同樋管の特徴としては、次のとおりである。
①頂部がアーチの4連の樋管である
②コーヒー色の煉瓦で積まれている
③角落しおよび剣先(管前面の導流壁)は、石材を用いず煉瓦づくりである(県内に残る煉瓦づくり樋管の多数が、石材を使用している)(なお、この煉瓦づくりの角落しは、使用回数が少ないせいか、作業に伴う痕跡があまり見受けられない)
④翼壁の笠石に「角出し」の装飾を用いている(「角出し」は、4段積みの笠石のうち、一段を各煉瓦の角を斜めに突き出し
て並べる手法である。ちなみに、県内に現存するほかの笠石は、簡素で単調の積み方が大部分である)
⑤南(上流)側に3個所の剣先があり、この頂部に技巧を凝らしたコーピング(笠石)が設けてある。
なお、県内に建設された煉瓦づくり樋管の基礎構造物については、県立文書館所蔵の資料によると、松丸太の基礎杭、縦・横の平面に組む角材(梯子土台)の工法が用いられている。
めがね橋は115歳の高齢ながら現役であり、春日部市民から愛されている。現役である要因は、倉松落が65年前の改修によって旧川に変わり、樋管としての役割が軽減されたこともあるが、まず第一に頑強な施設に建設されたことである。次に、その名が示すように、4連のアーチが醸し出す秀逸の構造美をもっていて、人びとに安らぎや落着きの場を与え、街のランドマークになっており、取壊しを阻むような存在感をもつ建造物であるからであろう。
一般にコンクリート構造物は、機械的な冷たい感じを覚えるのに対して、煉瓦づくりのものは手作業の温かみを感じ、誰しもが親近感を抱く。しかし、煉瓦づくりの構造物は強度面で劣るのは否めない。めがね橋は、自動車交通の累積する負荷に耐えているが、胸壁やアーチの頂部などには、中小の亀裂が生じており、現状は厳しい。
また、周辺には緑に恵まれた小公園があるが、橋下には清流がなく、沿岸は住居が並ぶ市街地である。めがね橋がこれらの環境の中に生き続けているのは、健康に生まれたことと、常に見守っている春日部市の行政と市民があるからであろう。これからも、めがね橋が現地にその元気な姿があるために、維持管理について、今後その対策の検討を進められることを望みたい。
(出典:見どころ土木遺産 街のランドマーク めがね橋(倉松落大口逆除),小林 寿朗,土木学会誌91-10,2006,pp.68-69)
埼玉県春日部市八丁目地先