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ホーム › 2005年 › 箱根地区国道1号施設群 旭橋 千歳橋 函嶺洞門

箱根地区国道1号施設群 旭橋 千歳橋 函嶺洞門 の解説シート

概要

名称
箱根地区国道1号施設群
   旭橋,千歳橋,函嶺洞門
所在地
神奈川県/箱根町
竣工年
旭橋:昭和8年 千歳橋:昭和8年 函嶺洞門:昭和6年
選奨年
2005年 平成17年度
選奨理由
箱根駅伝のコース上にあり、橋がRC下路式タイドアーチ、洞門は中国の王宮をイメージしたデザインのRC6連など観光地箱根に相応しいデザイン

沿革や緒元・形式

神奈川県西部にある箱根町の中心地・湯本を西へ抜けたあたりから、国道1号線は東海道一の難所といわれた箱根山中へと入っていく。その直前約500mほどの距離を進むためには、川を渡り、山腹をくぐり抜け、さらにもう一度川を渡らなければならない。昭和初期から現在に至るまでそれを支えているのが、旭橋、函嶺洞門(かんれいどうもん)、千歳橋という3つのRC構造物である。

江戸末期までの東海道は、湯本に入る直前に早川を越えて須雲川沿いを行くルートが主流であった。現在国道1号線となっている早川沿いを行くルートが整備され始めるのは、箱根が観光地として発展し始める明治初期のことであるが、当初は徒歩や人力車が通行できる程度の道だったようである。大正期になるとこれが国道に編入され、1919(大正8)年に内務省により策定された道路改良計画を受けて、神奈川県によって1931(昭和6)年度より14年間にわたる改良工事が実施された。特に、箱根湯本から塔ノ沢にかけての区間において、国道1号線は脆弱で急峻な地形が連続するため、国道の改良にあたっても、万全の防災対策が求められた。

函嶺洞門は、急傾斜地の直下に位置する国道1号線を落石から守る落石覆(らくせきおおい)として建設された建造物で、全長99.1m、河側に18径間開腹部を設けたのコンクリートラーメン構造(開腹隧道)で完成した。工事は、1930(昭和5)年4月に起工し、翌年10月に完成。工事中の1930(昭和5)年10月に発生した北伊豆地震では、巨石の直撃を受けたものの、これを食い止めその機能が証明された。
両側の坑口は山腹からの張り出しを柱が支えるような、ドライバーの視線を意識したであろう東洋風のデザインになっており、開腹部の曲線で構成されたハンチ(梁と柱をつなぐ部分)とあわせて全体的に柔らかい印象を与えている。建設後73年を経た現在、1.5m厚の盛土がなされた天井には草木が一面に茂り、函嶺洞門が山と同化しているかのようにも見える。

函嶺洞門の東側、西側の両坑口付近には明治期から早川を渡るための木橋(旧旭橋、旧千歳橋)が架かっていた。しかし、年々増加する自動車交通に対応するには幅員が十分ではなかったことや、早川の増水による被害も重なっていたことから、1933(昭和8)年にRC橋へと架け替えられた。それが、現在の旭橋と千歳橋である。
旭橋と千歳橋は、鉄筋コンクリートアーチ橋として設計された。鉄筋コンクリートアーチ橋は一般的に上路式(アーチの上を車が走る形式)として設計される場合が多く、旭橋と千歳橋で採用された下路式は珍しい。タイド・アーチと呼ばれるスタイルで、あたかも弓のような形でアーチを閉合しているのが特徴である。アーチとタイ(弓の弦にあたる部分で、路面に相当する)を垂直材で吊っている。
旭橋はスパン39.5m、完成時は国内でも最大級の規模であった。同形式の千歳橋はスパン25.95mとやや小ぶりではあるが、重厚なアーチがもたらす外観は旭橋と比べても遜色ない。下部構造には表面に花崗岩を張って仕上げているほか、それぞれ異なる親柱のデザインや、親柱と隅角部の処理など、ディテールに対する設計者のこだわりが感じられる。なお、旭橋の上流側には、1967(昭和42)年に下路式鋼箱桁橋の新旭橋が建設され、それぞれ上り線、下り線を支えている。3つの構造物が完成したことで、湯本付近の国道1号線に安全で円滑な交通がもたらされたといえるだろう。

昭和初期といえば、全国各地に鉄筋コンクリート橋が浸透しつつあった時期である。神奈川県下の国道1号線改良工事では9橋の橋梁が建設されているが、そのすべてが鉄筋コンクリートアーチ橋となっているのも頷ける。またこの時期、箱根一帯は国立公園への指定を控えていたため、国道1号線は観光道路としての重要性も認識されていた。当時見られた道路の美観に対する考え方のうち、橋梁に関しては「総じて鉄橋よりもコンクリートアーチ橋の方が好ましい」とする意見も見られることから、あるいはそのような意見が反映されているのかもしれない。
そのなかで特徴的なことは、9橋のうち旭橋と千歳橋だけがタイドアーチ形式を採用していることである。山岳地の河川では河床までの距離が少なく、支間長も短いため、上路式アーチでは災害時などに河川水の流れを阻害してしまう可能性が高い。そのため、幹線道路を守るべく、下路式アーチという特殊な設計が採用されたと考えられる。都市の入り口などに架けられることで空間の境目を表す性質をもっていたタイドアーチ橋が架けられた結果、函嶺洞門を中心とする3つのゲートが配置される格好になった。

奥行きのある玄関口を抜けると、道の勾配が徐々にきつくなり始める。かつて「天下の嶮」と謳われ、箱根駅伝往路の山場としても有名な箱根山越えは、ここから始まる。

諸元・形式:
「旭橋」
形式 下路式鉄筋コンクリートアーチ橋
規模 橋長39.5m/幅員10m/車道幅6m/側道(人道)幅(両側)各2m
竣工 1933年

「千歳橋」
形式 下路式鉄筋コンクリートアーチ橋
規模 橋長25.95m/幅員10m/車道幅6m/側道(人道)幅(両側)各2m
竣工 1933年

「函嶺洞門」
形式 鉄筋コンクリートラーメン構造
規模 全長99.1m/高さ5.15m/車道幅6.36m/歩道幅1.8m
竣工 1931年

(出典:箱根地区国道一号線施設群 箱根山麓に設置された3つのゲート,本田 泰寛,土木学会誌91-8,2006,pp.62-63)

(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架  登録番号:58453)

所在

神奈川県足柄下郡箱根町

保存状況など

 

見どころ

 

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