北海道南西部、内浦湾の入口に天然の良港室蘭港を抱く腕のように直角に曲がって突き出た絵鞆半島がある。
この半島の外海に面する南東から南西岸は、室蘭港の奥深く静かな入江と対照的に、金屏風、銀屏風、あるいはアイヌ語から名付けられた高さ数十メートルから百数十メートルの断崖や巨岩が連なり変化に富んだ景観を示している。
チキウ岬灯台は、1920(大正9)年にこの半島の直角に曲がったちょうど肘に当たる断崖上に設置され、その白亜の灯塔と眩い灯光は、室蘭港を目指す船と旅立つ船の道しるべとして、優しく力強い眼差しで海の安全を見守り続けてきた。
ちなみに、チキウ岬の名は、アイヌ語の「チケプ(断崖)」が「チキウ」と変化したものとされており、一般的には、大きなスケールで地球岬とも呼ばれている。
絵鞆半島は、地質時代の火山活動とその後の海水面の上昇により形成されたといわれ、チキウ岬灯台の立っている断崖は、隆起した安山岩が上層の凝灰岩を押し上げてできたことをその地層が物語っている。
灯台の上部踊り場から約130m下の海面を覗き込むと思わず足がすくむ。灯台としての標識効果を高めるために、断崖の際ぎりぎりまで険しい岩場を切り開いて灯台を建てた先人の強い意志と苦労がしのばれる。
灯台の構造は、白色八角形、無筋コンクリート造、高さ15mの灯塔の下部に付属舎が併設された中型沿岸灯台として標準的な形式で、部分的な改修を除いて設置当時の姿のままである。なお、付属舎の屋根と踊り場だけには鉄筋が使用されている。
わが国で最初の近代的な洋式灯台として1869(明治2)年に設置された初代の観音埼灯台(神奈川県)は石造りであるが、その頃の灯台は石のほかにレンガ、鉄、木で建設されていた。
灯台建設にコンクリートが使われるようになったのは明治中期で、1884(明治17)年設置の鞍埼灯台(三重県)が最初であるが、北海道では大正年代にチキウ岬灯台のほか、焼尻島灯台、松前小島灯台、能取岬灯台が無筋コンクリートで建てられた。
チキウ岬灯台の光源には、設置当初は石油白熱灯を使用していたが、その後白熱電球に変わり、現在は高輝度放電灯のメタルハライドランプを使用している。
レンズは、3等小型フレネルレンズで水銀槽式回転機械の上に据え付けられ、重いレンズが水銀の浮力で軽く回転するように工夫されており、設置当初は職員が分銅を巻き上げ、その下降する力でレンズを回転させていたが、後に電動機に変わっている。
また、水銀層式回転機械は免震装置の上に据え付けられているので地震により灯塔が横揺れしてもレンズと水銀槽は静止状態を保ち破損を免れるよう工夫されている。
光達距離は44km、北海道でもっとも遠くまで光が届く灯台である。
灯を点して86年、チキウ岬には毎年30数万人の人びとが訪れ、美しい自然に調和した灯台は、チキウ岬のシンボルとして地域の人びとに親しまれている。
技術の進歩により灯台は無人となり、かつて厳しい生活環境のなかで灯台を守った職員と家族の苦労は、今では昔話となった。
(出典:見どころ土木遺産 海の道しるべ「チキウ港灯台」,宮崎 信昭,土木学会誌91-11,2006,pp.80-81)
北海道室蘭市