砂防とは「山地・海岸・河岸などで土砂の崩壊・流出・移動などを防止すること。植林,護岸,水制,ダムなどによる(「広辞苑」)」とある。山からの不安定な土砂の発生を抑え,下流河川の河床への堆積などを防ぎ,人々の住まう草津川流域を山中でひっそりと守ってきた砂防堰堤(ダム)が,この「オランダ堰堤」である。
オランダ堰堤は草津川上流域の砂防堰堤であり,直高7m,天端幅5.8m,堤長は34m。下流のり面は,花崗岩の切石350×550×1200mm)を幅150~250mmで20段(水面上には13段が見えている)の階段状に横目地を水平に通した布積みになっており,のり勾配は4分をなす。この切石は奥行きが長く(ごぼう積みという)空積みであるが,内部を粘土でつき固め,貯砂だけでなく貯水も可能なように造られている。形状が鎧に似ていることから「鎧型堰堤」とも呼ばれる。上流側は満砂の状態でのり面を見ることはできない。
平面形は,半径約50m,拱矢比(最大径と拱矢との比)は11.6のアーチ状となっており明治期の原型を留めているものと思われる。洪水時の越流水は階段のり面に当たって減勢され,水叩き部の洗掘を防止する効果がある。長年降雨のたびに上流から流送されてくる土砂のためか,アーチ形状をなした中央部分の摩耗が著しく,鋭利な面を見せている。
また本堰堤の約60m下流には,同じく花崗岩切石積みの副堰堤がある。こちらは,直高1.37m,堤長18.2m,高さ約300mm,幅約500mm,5段の階段構造で,幅4.5mの水叩きを有し,河床の低下を防ぐ。
オランダ堰堤の竣工年には諸説あるが,土木学会土木図書館所蔵「砂防工事参考写真説明書」によると1886(明治19)年に着工され,1889(明治22)年完成,滋賀県の直営で施行し,工費は1622円を要したとされる。
オランダ堰堤の位置する草津川は,「湖南アルプス」とも称される田上山系北部に流域を持ち,大津市東部から草津市を経由して琵琶湖に流入している。田上山一帯は奈良時代以降寺院などの建立に当たり,用材供給のため幾度となく伐採が繰り返されてきた。また,再生能力が低い花崗岩地質のため,江戸時代中期には田上山は荒廃し禿げ山となり,幾多の土砂災害を招いてきたとされる。草津川流域の砂防工事は明治16年度から県費で開始され,同21年度には国費3分の1を含む連帯工事として施工されている。
明治政府は,淀川水源地砂防事業の重要性をよく認識し,1872(明治5)年オランダから招聘「お雇い」土木技術者,水理工師ヨハネス・デ・レーケに調査を依頼した。デ・レーケは淀川水源地の調査を精力的にこなし,淀川の治水にはまず上流部水源地において砂防工事を行うことを力説,自らオランダ式工法を参考として砂防工法を考案,指導したと言われる。
オランダ堰堤は,国内で施工された明治期の石積み堰堤の中でも最も古いものの一つである。本堰堤はデ・レーケの指導,ドイツに留学した後内務省の指導的技術者となった内務省技師,田邊義三郎が設計したとされる。
淀川流域と深く関わったデ・レーケは,1873(明治6)年大津,瀬田,玉水(現草津市野路町)へ最初の巡見に来ており,これが草津川砂防に関わった唯一の証拠とされる。鎧型と緩いアーチ構造は,デ・レーケが京都府の不動川水源地で施工指導した石堰堤のスケッチや彼の工法の砂防模型にも見当たらず,特異な石積みだったと言われている。鎧型のルーツはというと,広島県神辺町の堂々川六番砂留(1835(天保6)年竣工)のようである。
田邊義三郎は,1873(明治6)年よりドイツに留学,ハノーヴァ州工芸大学にて土木学を修業し1881(明治14)年卒業,8年半に渡る長期滞在を終え帰国し内務省に勤めた。田邊は各地を歴任し,1885(明治18)年には草津川水源地に出張,オランダ堰堤と似た形状をした天神川流域の鎧堰堤や野洲川流域の大山川堰堤の計画設計を行っており,オランダ堰堤の設計にも強く関わったと推測される。田邊は母国においてはわずか8年弱の在職,1889(明治22)年30歳にして彗星のごとく世を去り,以後鎧型の砂防堰堤は造られていない。
オランダ堰堤は丘陵地から平地に移行する区間に位置し,草津川は堰堤をはじめ床固工と蛇篭で整備されている。堰堤を中心とした周辺地区では,1990(平成2)年から「草津川砂防学習ゾーン・モデル事業」が滋賀県によって進められた。親水性を高めレジャー活動を促進するため,河道を複断面とし低水護岸の一部を緩勾配とする護岸工や,河川の縦断方向の連続性を回復するため床固工への階段の設置などが行われた。公園的な利用促進によって水辺空間の自由度は高まり,自然観察や水遊び,バーベキューなど市民の憩いの場となった。
周辺整備とともに,オランダ堰堤自体の美しさや機能に対する理解も期待される。砂防という土木事業への理解は,この砂防堰堤そのものへの理解から始まるのではないか。平面的には緩やかなアーチ,正面から見ると切石が階段状に積まれた堰堤は,地形に従いシンプルで周辺景観に溶け込むようにひっそりと佇んでいる。この堰堤を知ることが,地域がどのような災害から守られているのか,地域がいかなる環境にあるのかを理解するきっかけとなることを願う。
諸元・形式:
形式 石積み砂防堰堤
規模 直高7m/天端幅5.8m/堤長34m
竣工 1889年
(出典:土木紀行 オランダ堰堤 流域を守る砂防堰堤の話,田中 尚人,土木学会誌90-3,2005,pp.64-65)
(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架 登録番号:58453)
滋賀県大津市上田上桐生町