梅小路機関車館は、JR京都駅の西方約1.5kmの距離にあり、入口では京都市指定文化財である旧二条駅舎(平成8年移築)が迎えてくれる。
この旧二条駅舎は資料展示館となっていて、そこを抜けるとすぐ隣に機関車展示館である扇形車庫(せんけいしゃこ)が建っている。
機関車館は、昭和47(1972)年に鉄道開業100周年を記念し、蒸気機関車の動態保存博物館として誕生した。
明治10年(1877)、阪神間鉄道の京都延長に伴い、初代の京都停車場が完成した。しかし、当時は旅客と貨物の取扱いが未分化で、鉄道輸送の拡充にともない次第に動線が交錯するようになった。この問題を解決するために当時の鉄道院は、京都駅は旅客専用に改め、別に貨物専用の梅小路駅を新設し、同時に京都機関庫と二条機関庫を統合して梅小路機関庫を設けることとした。明治43年(1910)秋には基本計画が固まり準備に着手したが、大正3年(1914)秋に大正天皇の即位大礼が京都で挙行されることになり(実際には同4年に延期された)、工事を急ぐことになる。
設計は鉄道院西部鉄道管理局、施工は大林組による両停車場の工事は大正2年(1913)2月に起工し、翌3年11月に竣工した。京都停車場本屋は同年8月に営業を開始した。
貨物停車場は東寄りの貨物取扱所と西寄りの操車ヤードに分かれ、山陰線が分岐する大きな三角形の敷地の中心に扇形車庫と転車台が計画された。これが現在の梅小路機関車庫である。
車庫は、鉄道院技師の渡辺節によって設計されたが、同氏は大正5年に退官後、大阪の綿業会館〔昭和6年(1931)・重要文化財〕などを設計したことで知られている。
機関車庫は転車台(昭和31年製)を中心としてほぼ東西に扇形を描き、西の1番線から東へ20線の引込線が設けられている。扇形車庫は矩形車庫に比べ小さいスペースで入替えができる利点があり、その平面は機能上3つに分かれる。1から7番線は機関車の修理を行う線で、軌道内にピット(点検坑)があり、その内の2、3番線を奥へ延ばし部品加工等を行う場所としている。そして壁を設けて8から20番線までを機関車の駐留場としている。
構造は鉄筋コンクリート造で、アンネビック式工法を用いた。これはフランソワ・エヌビク(1842~1921)が1892年に特許を取得した鉄筋コンクリート造の配筋法で、梁の曲げモーメントに対応させた折曲筋や、下端筋を吊上げるあばら筋などを用い、細い部材によって構成される軽快な外観が特徴である。実際、車庫は柱と梁から構成される単純な立面で、装飾というものが見当たらない。
現在、当時の梅小路機関庫の様子を伝えるのは、この車庫のみである。車庫本体は建設以来、設備の更新、窓枠の取替え、トップライトの設置、展示施設とするために床にアスファルトを敷くなど手が加えられている。しかし、外観についてはほとんど建設当初の状態が保たれている。
当時の設計図によると、屋根には集煙装置として煙突が各線入口側に付き、駐留スペースでは背面側にも付いていた。今は殆ど取り外されているが、天井には煙突の穴が残っているのを見ることができる。
また、各線入口には鉄製波型シャッターが取り付けられていたが、現在は後補のものが3箇所確認できるだけである。しかしこれもよく見ると、シャッターの巻き上げ部分の歯車が残っていて,当時を偲ばせてくれる。
梅小路機関車庫は、わが国現存最古の大型鉄筋コンクリート造機関車庫として、鉄道建設史上貴重であることが評価され、平成16年12月10日をもって重要文化財建造物に指定された。機関車の車庫として現役であり、現在も機関車の整備、機関士の研修等に活用されている同館が、今後さらに広く親しまれる施設となることを願っている。
諸元・形式:
形式 鉄筋コンクリート造扇形車庫
規模 建築面積3870.57㎡
竣工 1914(大正3)年
(出典:見どころ土木遺産 重要文化財 梅小路機関車庫,小宮 睦,土木学会誌90-5,2005,pp.62-63)
京都市下京区観喜寺町