明治時代以降の日本の都市は、江戸期までの城下町を欧米の都市を手本として部分的、段階的に改造することで近代化されてきた。その際、交通や防災といった実利的な機能の充実はもちろんのこと、近代国家にふさわしい見栄えのする景観を整えることも重視された。ヴィスタ景の導入はそのもっともわかりやすい例である。
ヴィスタとは見通しのきく眺めの総称だが、特に直進街路の突きあたりに記念碑的な建造物を据えたヴィスタ景は、バロック景という華麗な都市デザインの要であり、パリのシャンゼリゼ通りと凱旋門はその代表例である。
この華やかな都市デザインの手法は、東京駅、国会議事堂、赤坂離宮、さらには東京大学の安田講堂などに適用された。しかしいずれも、街路延長が短い、微妙に軸線がずれる、街路の幅と沿道建物の高さのバランスが悪いなどという理由で、地図上ではヴィスタを期待させるものの、実際の眺めとしては、あまりぱっとしない。これに対して、明治神宮外苑前のイチョウ並木は伸びやかで、突き当りの絵画館へきちんと視線を集めている。日本においては最も完成度の高いヴィスタである。
明治神宮は明治天皇と皇太后を祀るために大正時代に建設された。全国から樹木の寄進を受けて杜(もり)として造営された内苑に対して、外苑は逍遥や運動に適した明るい場として青山錬兵場跡地に計画された。明治天皇の偉業を描いた絵画を展示する絵画館を中心的施設として、競技場、野球場などの運動施設と広大な芝生広場を配置し、道路と園路でつないでいく。1918(大正7)年12月工事着手。関東大震災で一時中断したものの、1926(大正15)年10月22日に竣工奉献式が行われた。現在に至るまで外苑全体としてはかなりの改変を見ているが、青山通りから伸びるイチョウ並木の直線道路は当時の姿をよく留めている。
なお、ファッションストリートとして名高い表参道は、明治神宮内苑に至る参道である。また、北参道から千駄ヶ谷駅へ至る道は内苑と外苑をつなぐ連結道路として当初は馬車レーンも備えた緑豊かな遊歩道として整備されたが、現在は首都高速道路が通っている。
絵画館に至る直線道路は道は、「幅員18間車道歩道を区別し歩車道の境界に並木を植栽す。此延長約二百間にして中央周回道路に交叉し中央広芝地を通過する歩道を以って絵画館前に達す」として外苑の最も主要な道路として計画された。幅は9間(約16m)の車道、その両側に植樹帯(3.6m)と歩道(4.5m)があり、4列の並木が配された。そのイチョウは、新宿御苑の既存木から採ったギンナンを、明治神宮内苑に蒔いて育成したものが用いられている。植樹に関しては、当時、樹高6m程度に育っていたものから選抜し、青山通りより徐々に高さが低くなるよう配列して遠近効果を高めたという。種子の採取から約1世紀、多くのイチョウは手入れを受けながら現在に至っている。
また、この道路はワービット舗装が日本で初めて用いられた。ワービット舗装(正式名称はワーレナイト・ビチュリシック舗装)とは、アメリカの会社が特許を有していたアスファルトコンクリート舗装である。これを1923(大正12)年に日本石油株式会社が導入し、アスファルトコンクリートのシールコートに替えて上層に特殊なアスファルトモルタルを薄く用い、下層の粗度の高いアスファルトコンクリートと同時転圧して一体化する特殊工法とした。外苑での施工に際しては、アメリカより技師2名を呼び寄せて万全を期したという。
1919(大正8)年に制定された都市計画法には風致地区という仕組みがあり、これが明治神宮外苑整備にあわせて適用された。対象はまず内外苑連絡道路、表参道、代々幡明治神宮線沿道に対して1925(大正14)年7月に風致地区の指定が要望され、ついで翌年9月、外苑への青山口からのアプローチについても追加で指定がなされた。風致地区に指定することで建物の高さを抑え、緑豊かな沿道景観を誘導することが行われたのである。なお、現在では青山通りの反対側にも地区指定は及び、絵画館と反対方向を振り返ってみた場合の景観にも配慮されている。道路自体のデザインだけでなく沿道の都市計画による景観づくりの先例である。
こうした先人たちの努力によって、今日でも個性的なヴィスタ景を楽しむことができるのである。
諸元・形式:
形式 バロック式ヴィスタ
規模 幅約33m/長さ約300m(青山口から円周道路まで)
竣工 1926年
(出典:明治神宮外苑イチョウ並木―聖徳記念絵画館前区道―,佐々木 葉,土木学会誌90-6,2005,pp.64-65)
(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架 登録番号:58453)
東京都新宿区(明治神宮外苑)