山口県下の山陰本線は,窓越しにひなびた漁港や,日本海に沈む夕日を眺めることができ,絶景の車窓を楽しむことのできる路線として人気も高い.この海岸沿いにかかる橋梁のひとつが,ここで紹介する惣郷川橋梁である.惣郷川橋梁は,1923(大正12)年に建設が開始された益田-萩間の萩線(全通後,山陰線に改称)のうち須佐-宇田郷間(第七工区)に位置し,惣郷川河口の波打ち際を跨ぐようにして架けられた.
惣郷川橋梁の設計にあたって大きな課題となったのは,波浪による浸食や塩害による橋梁の耐久性であった.このため,プレートガーダーにモルタルを吹付ける案,鉄骨鉄筋コンクリートトラス案,鉄筋コンクリートラーメン案の3案が比較検討され,施工実績や工事費などを勘案した結果,鉄筋コンクリートラーメンを採用することとなった.ラーメンは,都市部における高架橋の基本構造としてすでにいくつかの適用事例があったが,鉄道橋として独立した橋梁に用いた例はあまりなかった.基礎地盤は良好であったが,河口部は波浪による洗掘が懸念されたため,井筒基礎が用いられた.上部構造は,単線2柱式の3径間2層ラーメンを基本とし,長さ30mを1ブロック3径間として計6ブロック+単T桁1径間で全体を構成した.諸元は,橋長189.14m,高さ11.6m(井筒天端からレール面までの最大)であった.また,課題となった塩害に対しては,鉄筋の被りを厚くすることによって対処した.
工事着手は1931(昭和6)年5月であったが,同年9月の暴風雨で基礎の仮設工が波浪で破壊されるなどの被害に遭遇したほか,脚柱下部の狭隘部分のコンクリート突固め作業にあたっては,「熟練せる子供」が活躍したというエピソードも残っている.工事は1932(昭和7)年8月に竣工,翌年2月に開業してここに山陰本線京都-幡生間が全通した.設計監理は鉄道省山口建設事務所,施工は間組,総工費は95530円であった.
惣郷川橋梁の造形は,鉄筋コンクリートの特徴を最大限に活かした無駄のない形を基本としながら,全体をひとつの連続した構造物として完結させている点にある.ことに,3径間のラーメン構造を背割式で継ぐことによって全体があたかも多径間の連続ラーメン橋梁であるかのように見せている点は秀逸で,よく見ると各ブロックの端柱と端柱の間に伸縮継目を観察することができるが,遠目にはほとんど気がつかない.鉄道高架橋で背割式が本格的に用いられるのは,1934(昭和9)年に着手した鉄道省神戸市街線高架橋第二期工事あたりからで,惣郷川橋梁はその先駆的役割を果たしたといえる.また,開脚式の脚柱を採用することによって,背の高い構造物に対して安定感を与えているが,これも当時としては画期的な試みであった.さらに,水平に貫く中間梁が構造物の剛性を高めるとともに全体の印象を引き締めているほか,海岸線に沿った緩やかなカーブが,結果的に周囲の自然と絶妙なバランスを保っている点も特筆される.
惣郷川橋梁の設計者については確たる記録がなく,また当時のものと思われる図面にもサインや印影がないため明らかではないが,工事報告は山口建設事務所の市川順市が行った.市川は,1929(昭和4)年3月に東京帝国大学土木工学科を卒業し,ただちに鉄道省に入省して同年6月には山口建設事務所に配属され,さらに1931(昭和6)年2月には惣郷詰所在勤を命じられた.帝大卒とは言え,採用間もない市川がどの程度の中心的役割を果たしていたかは定かでないが,初めて赴任した現場で奮闘する若き技術者の姿が目にうかぶようである.市川は,各地方建設事務所や本省建設局などに勤務した後,1941(昭和16)年に興亜院(のち大東亜省)に出向し,北京駐在を経て,1944(昭和19)年には運輸通信省鉄道総局盛岡地方施設部副長として復帰したが,終戦を間近に控えた翌年7月,わずか39歳で帰らぬ人となった.
明治30年代にわが国にもたらされた鉄筋コンクリートの技術は,大正から昭和戦前期にかけて急速に発展することとなるが,海外でもまだ研究途上であったこの新材料をめぐって,技術者たちは何とかこれを自家薬籠中のものとすべく格闘を繰り返した.そして,試行錯誤の末にたどりついた究極の姿がラーメン構造だったのである.ラーメン構造は,厳しい荷重条件と耐震性,経済性を満足することのできる構造として鉄道高架橋の標準形式として多用されるが,おそらく世界広しといえども,これだけ数多くのラーメン高架橋を建設してきた国はほかにないだろう.景観工学的には必ずしも評判が芳しくないラーメン高架橋であるが,日本海に対峙して人知れずその役割を果たし続ける惣郷川橋梁の姿は,ラーメン構造の原点を今に伝えている.
諸元・形式:
構造形式 鉄筋コンクリートラーメン橋
規模 橋長189.14m/高さ 11.6m
(出典:屹立するコンクリートラーメン 山陰本線・惣郷川橋梁(土木紀行),小野田 滋,土木学会誌87-1,2002-1,pp.54-55)
(出典:著者名:土木学会/編集 書籍名:日本の土木遺産 近代化を支えた技術を見に行く 頁:206 年:2012 分類記号:D01.02*土 開架 登録番号:58453)
山口県阿武郡阿武町惣郷