日本初の西洋アーチ式ダムである大湊第一水源地堰堤は大湊港を見下ろす高台にある.海軍の軍用水道として1910(明治43)年に竣工したこの堰堤は,1946(昭和21)年に軍から大湊町(現在のむつ市)に引き継がれ,1976(昭和51)年までは水道施設として利用されていたものの,現在はその役目を終えて,水源地公園の中心に杉と桜の木々に囲まれながらひっそりとたたずんでいる.
この水源地公園は地元住民には桜の名所としても知られ,公園に隣接する海上自衛隊大湊地方総監部(旧海軍大湊要港部)周辺にも堂々とした桜の木々が並んでいる.聞けば海軍が盛んに植えたものだという.
大湊の軍港としての歴史は1902(明治35)年,北方警備の拠点として大湊水雷団を設置したことにさかのぼる.その後1905(明治38)年に大湊要港部へと再編され,整備が進んでいった.この堰堤は軍関係施設,士官官舎,艦船への給水のために建設されたものである.
堰堤は釜臥山,七面山より南へ伸びる二つの丘陵の間を流れる宇田川をせき止める形で建設された.堤頂の標高は46m,貯水量は約5000tと小規模なものである.ここから,径200mmの鋳鉄管で濾過池へと導かれ,配水池等を経て送水された.設備能力は日量1200㎥であった.構造は一般のアーチ式堰堤に比べその断面積が厚く,完全なアーチ作用を期待したものではなかったのであろう.堰堤はその中心に粒径150~200mm程度の砕石を詰め,さらに粒度の細かい山砂を詰めながら300~360mm角の間知石をモルタル目地で布積みしたものである.建設にあたっては九州から石工が呼ばれ作業にあたったといわれている.堤体の上部には櫛型アーチをもつ溢流口があり,そこから水の流れ落ちる景観は美しい.
堰堤の中央には取水塔が作られており,取水管を三方向に高さを変えながら設け,堰堤の下部を通じて濾過池へとつながっている.取水塔の上部には赤が印象的な木造上屋があり,弁の調節ハンドルが納められている.堰堤の下流には第二取水口があり,曲線が美しい小規模な石造の溢水堤と枡形を設けて,堰堤の溢流水や,渇水時には堰堤下部の排泥口を開いて流した水を再度取水する仕組みである.
大湊は,横須賀鎮守府の管轄下におかれていた.そのため,大湊の施設は横須賀鎮守府の技術者たちの手によって建設された.堤体下流側中央部の銘板には「横須賀鎮守府建築科長 海軍技師 桜井小太郎,主任海軍技師 伊藤誠吉,海軍技手 鈴木定次郎」らの名が刻まれている.桜井小太郎はロンドン大学において建築を学び,A.R.I.B.A(Associate of Royal Institute of British Architects)の称号を得た建築家である.1896(明治29)年に海軍入りし,その後呉海軍経理部建築科長となり,1903(明治36)年に横須賀鎮守府建築科長となっている.1913(大正2)年には海軍を辞し,三菱合資会社へ入社.丸ビル(現在は取り壊し,消滅)などの設計を手がけたことで有名である.さて,大湊の水源地堰堤のデザインについては桜井小太郎によるものなのか,また,どれほど関わったかについては資料を欠き定かではない.しかし,その優れた意匠・造形はこの堰堤の大きな魅力の一つとなっている.
今でこそ水源地公園の中心施設として保存されているこの堰堤であるが,昭和50年代にはこの貯水池を埋め立てる計画があり,存続の危機にさらされていたのである.このことを知った建築史家の高島成侑(当時八戸工業大学助教授),大湊出身の永川強氏(当時文化財建造物保存技術協会)らがその保存を強く訴えたのであった.独自の調査を進めると同時に建築史家の村松貞次郎氏(故人・当時東京大学教授)らに積極的に働きかけ,村松氏の「日本の水道史,産業史においても貴重な遺構である」というむつ市長への進言もあり,工事入札を目前に高島氏,永川氏らにより緊急調査が行われた.このような関係者の努力もあり,埋土工事は中止され,1984(昭和59)年にはむつ市文化財,1993(平成5)年には青森県有形文化重宝に指定されている.
しかしながら,すべての問題が解決したわけではない.1975(昭和50)年に計画決定された国道338号線宇曽利バイパスが建設予定であり,このため堰堤の下流側20mほどの位置に公園大橋(仮称)が建設される予定となっているのである.計画にあたっては,堰堤と第二取水口をはじめとする関連施設を保存しながら,調和したデザインが検討されたが,景観面での影響や,木立の中にひっそりとたたずむ近代化遺産という趣きある雰囲気は少なからず影響を受けるだろう.将来は国による重要文化財指定の可能性も十分あり,今後どのような形で保全されるのかが注目されている.
(出典:海軍がつくった日本初のアーチ式堰堤 大湊第一水源地堰堤(土木紀行),鈴木 伸治,土木学会誌87-5,2002-5,pp.44-45)
青森県むつ市