インフラということば、....皆さんはどのように説明していますか
わたしは、土木に詳しくない友人にむけては、次の様に説明しています。
「そうとは気づかないうちに、わたしたちの暮らしを支えるもの。
ただし、その整備と維持には、相当な手間と、コストがかかるもの」
それがインフラですと...
さて、私の仕事は、そのインフラのひとつ、橋を設計することです。
橋の仕事は、構想するところから始まります。
ここに橋があれば、いろいろ便利になる。
災害のときも物資を運んで、暮らしと命を守る。
いいじゃないか!よし、計画を立てよう、と始まります。
続いて、その思いを受け取り、設計者が、考えはじめます。
目に見える形、 例えば図面にしていきます。
その図面を工事をする人に 引き継ぎます。そうして、完成し、使われるようになります。
しばらくすると、いろいろ痛んできて、修繕する人が登場します。
使い続けて、100年も、たつと、社会情勢も変わり、痛みもひどくなります
世代交代が検討されます。
すると、また、設計者が登場して、...といった具合に、続いていきます。
長い長い 時間の中で、社会情勢や、世代も変わりながら、繰り返されてきました。
改めて、凄いことだと思います。インフラに関わる一人として、誇らしい気持ちになります。
幸せを感じて、おもわず笑みもこぼれます。
仕事の流れの中で、設計者の役割は、図面を残すことです。
そして、バトンを渡された次の人が、ていねいにつくってくれます。
だから、安心して、自分の仕事に 没頭できます。
でも、時々、気になって、現場を訪ねます。 挨拶をして、あれこれ話すうちに、設計者の思い や、
施工者の要望を聞いて、 調整をすることもあります。
思いと笑顔が交わされて、仕事全体の完成度も上がっていきます。
つながることで、インフラを作る私たちは、幸せになっていきます。
一方、 使う人の立場に立つと、...
知らないうちに、いつのまにか、ものが出来て、使っています。
そこが、とても気がかりです。
インフラは、 皆さんが納めた税金をベースに
整備され、維持され、運用されているにもかかわらず、使う人の関心が薄れている
そう思えてなりません
その無関心を放置していては、いつか、突然に、機能を失い、
あわてることに、なりはしないか?それも心配です。
そのような事態を招いていはいけない、そう、思います。
なにか良い方法はないか、日々考え続けています。
そして最近、、はっと思う出来事に出会いました。
それは、30年前に設計し、12年前に開通した橋での出来事です。
付近の人々も参加する清掃活動が、自然発生的に始まったのです。
橋は長さ500m、今から90年前に作られた橋の架け替え事業でした。
前の橋は、街の歴史に深く関わり、その姿も市民に愛されていました。
私は 設計者として、その事へのリスペクトを第一に考え
今度の橋も、市民に愛されることを念頭にデザインしたのでした。
実は、この橋は、開通直後から10年間、地元の小学生によって毎年、清掃活動が行われていました。
が、3年ほど前に、学習指導要綱が変わり、途絶えていました。
すると、橋はだんだん汚れていきました。
2年前、それを見かねたひとりの市民が、20人の友人達と清掃を始めたそうです。
続いて1年前、近所の方々が200人集まったそうです。
今年も予定されていて、こちらには私も参加します。
清掃を始めた方に 話を聞いてみました。
その橋にとても愛着を持たれていました。
その愛着の対象が汚れてきたので、何とかしようと、清掃を始めたそうです。
原動力は、橋への愛着だったのです。私は感動しました。
この事実は、インフラに対する無関心を変えていく、ヒントを含んでいると思いました。
愛着という心です。 そして、その心を引き出す、デザインの可能性です。
最初に述べたように、
そうとは気づかずに、わたしたちの暮らしを支えているもの.....それがインフラです。
そうではありますが、 税金という形で、事業資金を負担している
市民の無関心を放置すれば、....長続きは出来なくなります。
かといって、関心を強制することはしたくありませんし、そもそも出来るとも思いません。
気がついたら関心を持っていた、そのような状況でないと、長続きはしないと思います。
インフラに対する無関心を、愛着をキーワードに、変えていく。
とてもやりがいのある幸せな仕事に思えます。
人生100年時代、残りの30年を私はその研究と実践に捧げよう、
そう考えるに至ったのでした。....今日は、その宣言記念日です。
ご清聴ありがとうございました。
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