どぼくのことば Vol.2(2009.4)
「われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少なくともよくしていこうではないか」。明治生まれの土木技術者・青山士(あきら)という人は、内村鑑三から土木事業の話を聞いて土木の道に進む決心をしました。そして、東京帝国大学土木工学科を卒業すると、ひとり、アメリカに渡って、太平洋と大西洋をつなぐ大土木工事・パナマ運河の建設にチャレンジしたのです。そして、日本に帰国してから青山は、東京の荒川放水路工事で首都を洪水から守り、新潟の信濃川改修工事で越後平野を豊かな穀倉地帯に蘇らせました。青山は、それぞれの完成碑に「人類のため、国のため」と記しました。そんな青山が信条とした言葉が「技術は人なり」です。土木技術者の理想像を自分の生き方で示して、後世に残していったのです。
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